comic

全国のごはんの思い出、マンガにします!

マンガ作品一覧

全17作品

17

したら領

現地の優しさに試される、トイレットペーパー飯

今まではご飯に救われるお話ばかりでしたが、今回はご飯が試練となり、主人公を試す役割として出てきます。かくいう私も就活を途中で投げ出し、あてどなく絵を描き始めた人間です。ラスト、主人公は「旅ごはん」を通じて変化するわけですが、それは良いことなのか悪いことなのか…。どちらとも言えないところが気に入っている作品です。(したら領)

16

したら領

タイの迷子飯、暗闇で気づく友達の光

今回主人公が、暗闇で1人ぼっちになるシーンがあるのですが。実はそこの演出には思い入れがありまして。なぜかと言いますと、大学の頃、友達から聞いたエジプトの土産話、砂漠の夜がとても印象深かったからです。 エジプトの砂漠、特に月のない夜というのは、本当に真っ暗になるらしく。それは人工的な灯りが、水平線の隅々まで存在しないから。友達いわく「人生で一番の暗闇だった」と。もう本当に自分の手も不確かなくらいの闇で、瞼を閉じているのかどうかも怪しくなってくる。ずっとそこにいたら気が狂ってしまうだろうと言っていました。その話を聞いて以来、暗闇に佇むたびに、エジプトに想いを馳せてしまいます。いつかエジプトに行って、暗闇に染まってみたいものです。 (したら領)

15

倉田けい

父と山菜

思春期になって普段はあまり話さなくなってしまった親とでも、「この場面なら互いになんとなく話せる」というコミュニケーションの場…といったものが私にもあったなぁとしみじみと思い出してしまいました。離れて暮らすようになってからも送られてくる山菜に愛を感じました。(倉田けい)

14

倉田けい

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

子どもの頃に地域の大人からいただいた優しさやあたたかさを、大人になってからふと思い出すの、すごくわかるなぁと感じながらエピソード拝見しました。もうその方々に直接ありがとうを言うことができなくても、今いる地域の人々や子どもたちにあたたかさをかえしていけたらと考える今日この頃です。(倉田けい)

13

倉田けい

冬の予備校帰りに食べたカツ丼

受験など人生で特に頑張ってつらい思いをしていた時期に寄り添ってくれたごはんって、とても印象に残りますし、その後の人生も励ましてくれるような気がしますよね。エピソードを拝見しながら、私も受験生の頃を思い出してしんみりしてしまいました。(倉田けい)

12

倉田けい

おばあちゃんが作るもっちりさつまいもご飯

甘くてもっちりしたさつまいもご飯と、おばあちゃんとの優しい時間がとても伝わってくるエピソードでした。ごはんを作る時間も待つ時間も一緒に過ごせる大切な人を、もっともっと大切にしたいと感じました。(倉田けい)

11

倉田けい

地元を離れて初めて食べたゴーヤーチャンプルー

大人になってからわかる味、きっと人によっていろいろありますよね(私はミョウガや大葉が「わかった」とき、大人になった気がしました!)それに、いつでも故郷に帰れる味があるって素敵なことだなと感じました。(倉田けい)

10

したら領

美味しい呪文ぷーぱっぽん

わたしは変な人が好きでして。優しい変な人が好きです。きっと優しさがうまく伝わらなくて、変になってしまっているのだと思います。優しい人、かっこいい人、かわいい人、色んな素敵さがあります。 その中でも自分の魅力を伝えれてない、変な人が好きです。みんなから嫌われている怪獣の隠れた優しさに、心動かされます。 今回の先輩もある種の怪獣です。怪獣の魅力が少しでも伝わったら嬉しいです。(したら領)

9

したら領

夏の終わりにもらった宝もの

今回の「思い出の旅ごはん」シリーズは全5話構成なのですが。その中でも、元エピソードに手を加えず、割とそのまま漫画になったのが今作だったりします。それはエピソードの完成度が高かったということでもあります。 なので遊び心として、おじいちゃんをヨー◯っぽくしてみました。もしかしたら、その他のエピソードでもキャラデザが若干ハジけているのは、おじいちゃんの影響かもしれません。 実は私も以前、焼きまんじゅうを食べたことがあります。とても美味しかったです。次に食べる時は、また違った趣がありそうで今から楽しみです。 (したら領)

8

したら領

父とエチオピア料理とバオバブの夕焼け

今回のテーマである「旅ご飯」の醍醐味の一つが、風景・シチュエーションの多様さにあります。皆さんのエピソードを読んでいても海外での思い出が多く、ご飯のインパクトもさることながら、そこにまつわる風景や情景が印象に残っているからこそ、色褪せない思い出になっているのを感じました。私も実際に旅に出たような気持ちで、楽しく読みました。 その中でも「父とエチオピア料理」のお話は、異国情緒が丁寧に描かれており、美しかったので、開幕のエピソードに選びました。個人的にはバオバブの樹が好きなのと、子供ながらの不自由さと窮屈さ、感情の移り変わりが魅力的で、そこをうまく描けていたら嬉しいです。(したら領)

1/2

エピソードをもっと見る

エリアで探す

思い出の椎茸と鍋焼きうどん

夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった  みんなで鍋の準備をしている時  私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった  不細工な椎茸を見てみんなが笑う中  初対面の夫がこう言った  『伸びしろがあってええやん』  ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた  夫と結婚して十五年  人生色々あるけれど  理解のある優しい夫に救われる事は多い  父としても申し分ない  そして  椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は  毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった  人は誰しも伸びしろしかない  努力は必ず報われる  そんな事を思いながら  今日もごはんを作る

shufuおうちごはん さん

母の誕生日、ココナッツパンにロールキャベツ

母は日本語を日本人と同じくらい上手に話すが、異国の出身で、出身地の料理が日本にないことをいつも嘆いていた。そのうちのひとつがココナッツパンだった。母の誕生日に、私が「誕生日は何が欲しい?」と聞くと、いつも「ココナッツのパンが食べたい」と答えていた。まだ幼かった私は、ココナッツパンなんて食べたことも無く、ネットで調べても日本語のレシピは見当たらなかった。その代わりに、私の大好物であるロールキャベツを母の誕生日に作って一緒に食べていた。そして、ついに私が15歳、高校一年生のとき、母の誕生日にココナッツのパンを作ってあげようと思い立った。ネットで調べても、日本語で書かれたレシピは見つからなかった。そこで、私は異言語で書かれたレシピを翻訳サイトを使ってちまちま翻訳しながらココナッツパンを焼いた。焼き上がりは自分が見てもなかなか上出来だったと思う。その夜、仕事から帰ってきた母は私の焼いたココナッツのパンを少し涙ぐみながら美味しそうに食べた。「この味だよ、𓏸𓏸(私の名前)これがずっと食べたかったの、本当に美味しいよ」と私を抱きしめた。父の分も含めて多めに焼いたつもりだったが、母は1人で2人分も食べた。母に褒められて嬉しかったのもあって、それから毎年母の誕生日にはココナッツパンとロールキャベツを作って誕生日を祝っている。今でこそもう慣れたココナッツパン作りは、当時の私にとっては大冒険だったことを覚えている。

くろすけ さん

みそおにぎり

自分の地区では、おにぎりの外側に味噌をまんべんなく塗った味噌にぎりを食べます。特徴は焼かないこで、炊き立てのご飯に味噌を塗るだけです。冷や飯でも美味しいですが、 この食べ物は自分が子供のころから、おやつがわりにおばあちゃんがよく作ってくれました。 この味噌にぎりを一番美味しいと思ったのは、高校の時です。私の通っていた高校では一昼夜を通して80km強の距離を歩く「強歩」というイベントがありました。1日目の朝に出発し、那須・大田原あたりをぐるっと回るこの強歩はかなりきつく、次の日の昼に終わった時には本当に立ち上がれないくらいに疲れ切ってしまいます。これを三年間、毎年私は最後まで完歩しました。  一年目の強歩が終わってへろへろの状態で家に帰ると、おばあちゃんが「疲れたろ」と言い、この味噌にぎりを作ってくれました。高校になってから部活も勉強も忙しく、おやつを食べることも少なくなっていた私にとって、それは久々の味噌にぎりでした。なんだこんなもの、と思いながらも食べると、それは疲れと空腹もあって、人生で一番美味しかった味噌にぎりでした。 あっという間に平らげると、おばあちゃんはもう1つ作ってくれて、それもすぐに食べると3つ目を作ってくれました。「味噌は力になるから」というのがおばあちゃんの口癖で、その時もそれを言っていました。 おばあちゃんはそれからしばらくして施設に入りましたが、味噌にぎりを食べる私を見ながらにこにこ笑っていた顔を今でも思い出します。

栃木のバティストゥータ さん

青春の食べ放題

中学生のころ、なにかイベントがあると時々同級生と田舎の食べ放題に行っていた。電車に乗って遠出をする感じが、子供たちだけで旅に出ているようで、どこか特別な感じした。子供にとっては豪華な金額を払っていることもあり、もとをとろうとはりきって食べ過ぎて、ぱんぱんのお腹で田んぼのあぜ道を駅に向かって帰っていた夕闇の風景をとても覚えている。

青春っていいよね さん

ニューオリンズ

ニューオリンズで、バーボンストリートでお酒を飲みながら、そこらかしこに響くジャズを楽しんだのはいい食の体験だった。ほかの場所では外でお酒を飲むのを禁止されていることもあって、特別な感じがしたのと、カフェからストリートから、BARから、そこら中に音楽があふれているあの空気感は、やっぱり他では味わえない体験だなぁと感じた。

ジャズー さん

タグで探す

つくってよかったな〜!と思わせてくれる満開笑顔

私は元々料理が得意なタイプでは決してないけれど、気づけば、もう7年ほど、家の料理当番として、子どものため、家族のためにごはんを作り続けている。料理が得意ではないといっても、食べること自体は好きなので、数あるレシピサイトを参照して、涼しい顔を気取りつつ料理に集中すれば、その日食べたいものを作ることができ、食べることができる。日々のごはん作りはそうして乗り切れるけれど、こどもの遠足の日のお弁当作りは時間との勝負だ。いつもよりも早起きをして、お弁当に入れられるくらいには冷ます時間も考慮して、2口コンロ(実際には3口あるが3口目がどうも使いづらい)を駆使して、脳内でシミュレーションしながら手を動かしていく。何度つくっても、同じ組み合わせも良くないだろうと新たなことに挑戦はしてしまう性格なので、毎回、勝負どきなことには変わりない。そうして何回も行事を乗り越えてきたが、初めてのお弁当のときには「時間が足りなくてフルーツだけ残しちゃった」なんてしょぼんとしながらお弁当箱を渡してきたこどもが、保育園の年長さんになってからは「みてみて!完食だよ」と空になったお弁当箱を見せてくれるようになった。そして、小学生にあがってから学童での夏休みの日々には「お弁当箱、一段じゃ足りないから2つに増やしてほしい」と不服そうに伝えてきた。ああ、この子はお弁当をもっと食べたいと思ってくれてるんだ……! 嬉しさと同時に、その成長に心が動いた瞬間でした。 それからは、一段のわっぱ弁当におかずを詰めて、スープジャーにはメインとなる炊き込みご飯やパスタ、オムライスを詰めて、小さなタッパーにフルーツを入れて持っていくようになりました。時に完食してこないこともあるけれど、持っていく朝、完成したお弁当を「見せて見せて〜」と覗いてくるこどものため、これからも時々、勝負のお弁当作りをがんばります!

おさつチップ さん

大会の前夜のラーメン屋さん

高校生のときです。部活の大会が土曜日の朝早くからあるため、前乗りで開催地の下関に向かうことがありました。学校を早退し、みんなと移動して宿泊をする高揚感を携えながら夜ごはんは顧問の先生、部活仲間と町の小さな中華屋さんで食べました。食後に撮った写真が残っており、そこには楽しそうな先生と私たち、そして笑顔で一緒に並んで写真に収まる店主さん。写真を見るとそのときの思い出が蘇ってきます。

ろんぐ さん

成人式で知った思い

私が小学生のころは、まだ、完全完食が目指される時代でした。給食もすべて食べるまで机に座らされて、食べ終わるまで、給食後の掃除の時間や5時間目が始まってからも給食のトレイを前にずっと座っているクラスメイトもいました。 ある時、いつもは元気で活発なクラスメイトが家庭環境によりこころが疲れていて、給食が食べられない、完食できないという時期がありました。 先生はいつものように、すべて食べるまで、給食時間を終わらせません。  何日かそんな日が続き、子供ながらにクラスメイトが辛そうな顔をしているとなんとかしないと…と思いました。 数日後から、私はこっそり、給食が配膳されたタイミングで、手をつける前に、そのクラスメイトのお皿から、給食を減らし、同じ班で食べている子達のお皿にササっと振り分けました。周りの子達の量を少しずつ増やし、食べられそうな量に調整したのです。 しばらくの間、先生が見ていない間にこっそりとそれを続けて、時間内に完食できるようにしたのです。 しばらく長い間、そんなことを続けていたと思います。でもそのうち、そのクラスメイトも様々な問題が解決したり、時間が解決したり、こころが安定してきたような気がしていました。 小学生のその頃、その後のことは、あまりよく覚えていませんが、ぼんやりと記憶の中にある思い出でした。 それから何年も経ち、成人式で私は当時のクラスメイトと再会しました。その時、当時についてお礼を言われたのです。 あの時、給食が食べられなくて苦痛だった日々を助けてくれてありがとう、と。辛い毎日に、大きな光であったと。 軽い気持ちでクラスメイトを助けていたことが、本人にとっては本当に忘れられない思い出で感謝していると言われ、なんだか照れ臭いような、でも過去の自分を褒めたいような、嬉しい気持ちになりました。 離れた場所で暮らしているので、そのクラスメイトに会うことはきっともうないのですが、私のこころにも大切な思い出になっています。

ゆきだるま さん

青春18切符での旅のシメご飯

お盆は名古屋の実家に帰っていたのですが、家族と予定が合わず私だけ別で現地集合に。 交通費を節約するために青春18キップで名古屋を目指したのですが、電車での長旅と途中熱海などで下車したこともあり、名古屋についたのは夜遅くに。 駅から実家に向かう途中の手羽先屋さんの手羽先をテイクアウトして食べたのですが、旅の疲れと手羽先の濃い味付けでビールが進み、とても美味しいごはんになりました。

なんでもないや さん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん