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全国のごはんの思い出、マンガにします!

マンガ作品一覧

全9作品

51

ツルリンゴスター

おばあちゃんの煮た林檎

描いていても口の中にあったかくとろける林檎の甘さが広がるようでした。歯がぐらぐらで食べられない、という孫にさっと煮て出すおばあさまの手練れ感も頼りがいがあって好きです。

50

ツルリンゴスター

春限定の山菜

私が無類の山菜好きなので是非描きたかったです。山菜が食卓にあるときは家族全員で料理を分担するというところも、食材と家族の特別なつながりを感じられてとても素敵だと思いました。

45

一秒

仲直りはチリンチリンアイスで

チリンチリンアイスというのをこの企画で初めて知りました。子どもの頃にあったら絶対毎日通っていたと思います。地方によっては名前が違うみたいなので皆さんの地元にももしかしたらあるかも!?

38

小菊えりか

別れの手作りチョコレート

ほろ苦い思い出…!思わず自分が高校生だった頃を思い出してしまいました。「この機会を逃したら もう二度と会えないと思って…」なんていじらしいことを言われたら忘れられなくなっちゃうなぁ。

34

吉本ユータヌキ

食べ放題の帰り道

ぼくも高校時代、真冬の夜にバイトの先輩と原付で大阪から京都まで行こう!と、ノリで出発したことがあります。20分ほど走ったところであまりにも寒くて、牛丼屋に入ったんですが、その時の味噌汁が人生で1番美味しかった記憶があります。青春ですね。

33

吉本ユータヌキ

もしこの仕送りが

すっごくよくわかります。子どもが生まれてから日常がバタバタになり、つい片手間に「とりあえず」の返信をすることが増えてしまってるので。それでも送り続けてくれる親の優しさに甘えてしまうんですよね。

24

こしいみほ

白熱のずんだ春巻き

給食のおかわりじゃんけんに全力投球していた時代が、私にもあります。なんて単純で、なんて純粋だったんでしょう。楽しかったなぁ…。 ずんだ餅は食べたことがありますが、ずんだ春巻きは食べたことがありませんでした。市販のずんだ餅の素と春巻の皮で作ってみました。ずんだの新しい扉を開いた気がします。

23

枇杷かな子

父の作る茶色いお弁当

エピソードを読みながら切なさやあたたかさで胸がぎゅっとしました。 大人になって「あぁあれは愛だったんだなぁ」とわかる瞬間ってありますよね。 投稿者さまの茶色いお弁当はきっととっても美味しかったんだろうなぁと その美味しさやきらめきを表現したく思い込めて描きました。

15

倉田けい

父と山菜

思春期になって普段はあまり話さなくなってしまった親とでも、「この場面なら互いになんとなく話せる」というコミュニケーションの場…といったものが私にもあったなぁとしみじみと思い出してしまいました。離れて暮らすようになってからも送られてくる山菜に愛を感じました。(倉田けい)

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6か月後の誕生日ケーキ

大学生になって誕生日は友達と過ごすようになった。クリスマスが誕生日の私にとって、誕生日を祝う=25日を家族で過ごすことになる。それがなんだか恥ずかしかったし、ケーキをわざわざ用意してもらうのもなぜか申し訳なかったのだ。だから、誕生日ケーキは断っていた。しかし、私の誕生日から6か月後のある日、母がホールケーキを買ってきた。しかも私の大好きなアイスケーキ。理由を聞くとお祝いできなかったことが母の中でもずっと気にかかっていたらしい。それを聞いて、自分の都合で母のお祝いしたいという気持ちをないがしろにしてしまっていたことに気づいた。6ヶ月過ぎてしまっていたけれど、その日ケーキを食べて初めて自分が誕生日を迎えた実感がわいた気がした、

スキュラ さん

気難しい母が笑う体育祭

私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。

かもめコップ さん

お母さんの唐揚げは世界一

私の家はあまり裕福ではなくて、お肉が出ることがあまりなかったのですが3人兄弟の誰かが誕生日の時は必ず唐揚げがでました!その唐揚げが美味しかった!前日から下味をつけた唐揚げがお店なんかよりも美味しくて、今では兄弟みんな家庭を持っていますが、お母さんの唐揚げがそれぞれの家の味になりました

ぽつ さん

給食のわかめごはん おにぎり

中学の給食の時の話です。 わかめが入ったご飯が主食として出たのですが、その日はご飯がかなり余ってしまいました。そこで担任の先生が余ったわかめご飯を小さいおにぎりにして食べれる人に配ってくれました。 小さい一口サイズのおにぎりで、小ぶりな感じがなんだか愛おしかったのを覚えています。

ポンデと さん

旅行好き一家の宴会

私の家族は、父母兄私妹の5人構成。両親は旅行先で出会ったくらいの旅行好きだったので、私たち子どもが小さい頃から、よく旅行に連れていってくれました。行き先は国内から海外まで様々でしたが、子ども心に、非日常な光景や文化、食事、ちょっと大人ぶったような振る舞いを楽しんでいました。ただ、子どもたちが小さいと大人は夜遊びができないですよね……。そんな中、パワフルな母は率先して、地元スーパーやコンビニで「宴会のつまみを買え〜〜!」と子どもたちに指令を出し、私たちは夜、部屋で宴会をするためのおつまみやお菓子をたくさんカゴに入れました。もちろん食べ切れる範囲で、ではありますが、その日はどんなに買っても大丈夫! 食事を終えてお風呂にも入ってから、部屋で家族5人、子どもはジュースを、大人はお酒を手に、わいわい楽しんだ宴会をよく覚えています。大人になってから思うと、両親は旅行先の夜も楽しみたかったんじゃないかな〜と思うのですが、それでも私たちと一緒に楽しむことを選んでくれたのかなあと思っています。

RHODIA さん

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大阪のおでん屋さんのうどん

20代前半、社会人になって間もないころ、慣れない出張で大阪へ。緊張しながらも取引先と日中の仕事を無事終えることができた。夜は打上げで大いに盛り上がり、1軒で3時間は過ぎていただろうか。すでにだいぶお酒も呑んでいた。店を出ると、「締めの一杯行こうぜ」と言われ、まだ呑むのかよ、勘弁してくれよ、と思いつつ千鳥足で歩き回り、営業しているおでん屋さんをみつけ飛び込んだ。とりあえずじゃないけどビールとおでんを少々頼み再度乾杯。そこで口にしたおでんのおだしが・・・うまい。東京と違う。地域によっておだしが異なるという知識はあったが、体験したのは初めてだった。さらに若かった私はまたお腹がすき始めていることに気づき、おでんでは飽き足らず、何か追加注文しようと思い立った。「うどん頼んでいいすか」と取引先に伝えると、「いいよ、しっかしお前、よく食うなぁ―」と上機嫌。でてきたのはシンプルきわまりない素うどんだったが、これが五臓六腑にしみわたるうまさ。そもそも、なんでおでん屋にうどんがあるんだ?、東京にはおでん屋ってないよなあ、大阪なんかいいな、と思いながらうどんをすすってあっという間に完食。取引先は半寝状態。何だか大人の階段を上った気がした夜だった。

河童 さん

冬の予備校帰りに食べたカツ丼の味

なんでもないご飯なのに、とても感動することがある。 受験生だったとき、朝から晩まで勉強で我ながらよく頑張っていた気がする。 しかし成績は思い通りに伸びるわけではなく、よく落ち込んでいた。 たしか、模試の結果が良くなく、落ち込みながら帰った帰り道。 ふと見つけたカツ丼屋に吸いこまれていった。 寒くて凍えるような日で、出てきたカツ丼を食べて、あまりのおいしさに少し涙が出た。 あれ以来、色々なカツ丼を食べたけど、あの日のカツ丼を超えることはまだない。

さいとう さん

中学生のときに食べた肉まん

無二の親友と言える友がいる。彼とは、中学時代一番長い時間を過ごした。部活で家に帰るのが遅くなったら、いつもコンビニに寄って食べたのがほっかほかの惣菜まんだった。特に冬に食べた肉まんはうまかった。雪が積もる寒い都道府県だったので、吹雪の中スリップしながら帰る日もあった。そんな日に暖房が効いたコンビニに寄って、イートインスペースで食べたほっかほかの肉まんは、ゲームのセーブポイントみたいな魔法の地点だと感じたっけ。大人になってからも交流が続いているが、年末に飲んだとき、ふとその話になって、若き日の自分と、彼の姿を思い出した。飲んでフラフラになったあと、懐かしくなって友達を誘ってコンビニで肉まんを食べた。昔より美味しくなってたけど、思い出は色褪せなかった。

ニックマン さん

おじいちゃんのもつ煮込み

母方のおばあちゃんの家は、我が家から道を挟んだ向かい側にある。 誕生日やクリスマス、お正月や節分、お盆にお彼岸……もちろん、なんでもない日も気軽に遊びに行ってたけど、なにかイベントがある時は、家族みんなでおばあちゃんの家に集まった。 特別な日におばあちゃん家に行った時は、決まっておじいちゃんがもつ煮込みを作ってくれた。大鍋2つ分。1つはみんなで食べる夜ご飯用。もう1つは、私達が家で食べる用。うちは3人姉弟5人家族だから、帰りにお土産として、その大きなお鍋ごともつ煮込みを持たせてくれる。 みんな、おじいちゃんの作るもつ煮込みが大好きだった。 私が小学校の頃、おじいちゃんは病気で寝たきりになってしまった。そして高校生の時に亡くなった。 おじいちゃんは料理上手だった。いろんな美味しいものを沢山食べさせてくれた。でも、一番思い出に残っているのは、大鍋いっぱいのもつ煮込みだった。 おじいちゃんが亡くなった後、おばあちゃんやお母さんがもつ煮込みを作ってくれた。だけど、すごく美味しかったんだけど、「やっぱりおじいちゃんのとは味が少し違うね」っておばあちゃんもお母さんも笑ってた。 何年も経って、大人になった私達姉弟は、就職をして家を出て。そしてお正月に帰省して。久々に家族5人揃ったからと、みんなで初詣に行った。 車で少し遠出して、少し大きな神社へ。お昼過ぎだったから、人もそこまで多くはなかった。 お参りをして、おみくじを引いて、お守りを買って。立ち並ぶ屋台を見て、お家でお留守番しているおばあちゃんにお土産を買って行こうという話になり。 大判焼きと煮イカを買って、駐車場に戻ろうとすると、ぽつんと一軒の屋台が目に入った。色鮮やかな暖簾には『もつ煮込み』の文字。 境内の屋台列から外れたこんな人気の無い所に一軒だけあるのも不思議に思ったし、もつ煮込みの屋台なんてあるんだ〜なんて、そんなことを思いながら通り過ぎようと思って。 でも美味しそうな匂いに惹かれて。汁物で持ち帰れないから、その場でみんなで分け合おうということになり、1杯だけ買った。 そのもつ煮込みは、おじいちゃんのもつ煮込みと同じ味がした。 屋台の店主も全然知らない人だし、きっと本当に偶然だったのだと思うのだけれど、家族みんな口を揃えて「これはおじいちゃんの味!」と同じ感想を抱いていて。 おばあちゃんに食べさせてあげられなかったのはすごく残念だったけど、その年のお正月は、おじいちゃんも含めてみんな居たように感じられて、とてもあたたかい気持ちになった。

そば子 さん

あぁ、我が故郷の味わらびもち

僕が小さいときからきなこをかけて食べていたわらびもち。量が多くて激安。我が家のおやつは常にこれだった。でも、大人になってから兵庫県を出るとまったく店に置いていなくて焦った。その事実に気づいてからは、兵庫に戻るたびに大量に買って、あのすきとおったプルプル食感のもちに舌鼓を打っている。

高田 さん