comic

全国のごはんの思い出、マンガにします!

マンガ作品一覧

全52作品

52

ツルリンゴスター

餃子の時間

食べるだけじゃなく、作る過程を子どもと楽しむ時間にしているのが素敵です。「たまにつくるメニュー」っていうのがまた良くて、いつもは忙しくて無理だけどたまにこんな日があると、その家族だけの”特別”が積まれていくんだなあと感じました。

51

ツルリンゴスター

おばあちゃんの煮た林檎

描いていても口の中にあったかくとろける林檎の甘さが広がるようでした。歯がぐらぐらで食べられない、という孫にさっと煮て出すおばあさまの手練れ感も頼りがいがあって好きです。

50

ツルリンゴスター

春限定の山菜

私が無類の山菜好きなので是非描きたかったです。山菜が食卓にあるときは家族全員で料理を分担するというところも、食材と家族の特別なつながりを感じられてとても素敵だと思いました。

49

ツルリンゴスター

お弁当がつくる満開笑顔

初めて作って食べきれなかったお弁当が、一つじゃ足りない、とお弁当箱が増えていくことで子どもの成長を感じられるのが素晴らしいです。私がお弁当作りとても苦手なので、尊敬とともに選ばせていただきました。

48

ツルリンゴスター

娘と海の家

その日初めてお姉ちゃんになった娘さんと、閉まりかけの海の家で食べた、いつもより豪華なかき氷。夜の海は真っ暗で…という情景が、この親子だけの大事な思い出となっていることがわかる、じんわりと心を満たすエピソードでした。

47

一秒

タッカンマリで色づく街

新大久保に行くと不思議と元気がでるのは何故でしょう。街自体がカラフルでエネルギーをもらえますよね。タッカンマリ、食べたことないので是非いつか食べに行きたいです!

46

一秒

焼き鳥ほおばり、夜歩く

友達と食べ歩きしながら話すと普段話せないことも話せて不思議ですよね。横並びでダラダラ歩きながらだからこそ話せる空気感。いくつになっても友達と食べ歩きしたいです。

45

一秒

仲直りはチリンチリンアイスで

チリンチリンアイスというのをこの企画で初めて知りました。子どもの頃にあったら絶対毎日通っていたと思います。地方によっては名前が違うみたいなので皆さんの地元にももしかしたらあるかも!?

44

一秒

ごぼ天うどんと年越し

私も初めて友達と年越しをするときのワクワクドキドキを思い出しました。貴重な瞬間とみんなでワイワイごぼ天うどんを食べる風景が想像できてとても素敵なエピソードでした。

43

一秒

おにぎりの魔法

白いご飯が、塩とラップとお友達のやさしさで美味しいおにぎりに変身!私も子どもの頃小食だったのですが、こんなお友達がいたらバクバクおにぎりを食べていたでしょう!

1/6

エピソードをもっと見る

エリアで探す

お母さんのカニクリームパスタ

誕生日や特別な日は自分が大好きなカニのクリームパスタにしてくれる両親。2人でカニを買ってきて、仕込んで仕上がる味は絶品。大きくなっても、それがずっと好きだと思って作ってくれる。でも、自分的には「ちょっと飽きてきたかな」と思うけど、毎回得意げに「今日はカニクリームパスタよ」と言ってくる両親の顔を見ると言えないし、愛されているなと改めて感じるそんな”ごはんメモリー”でした。

キュータロー さん

旅行好き一家の宴会

私の家族は、父母兄私妹の5人構成。両親は旅行先で出会ったくらいの旅行好きだったので、私たち子どもが小さい頃から、よく旅行に連れていってくれました。行き先は国内から海外まで様々でしたが、子ども心に、非日常な光景や文化、食事、ちょっと大人ぶったような振る舞いを楽しんでいました。ただ、子どもたちが小さいと大人は夜遊びができないですよね……。そんな中、パワフルな母は率先して、地元スーパーやコンビニで「宴会のつまみを買え〜〜!」と子どもたちに指令を出し、私たちは夜、部屋で宴会をするためのおつまみやお菓子をたくさんカゴに入れました。もちろん食べ切れる範囲で、ではありますが、その日はどんなに買っても大丈夫! 食事を終えてお風呂にも入ってから、部屋で家族5人、子どもはジュースを、大人はお酒を手に、わいわい楽しんだ宴会をよく覚えています。大人になってから思うと、両親は旅行先の夜も楽しみたかったんじゃないかな〜と思うのですが、それでも私たちと一緒に楽しむことを選んでくれたのかなあと思っています。

RHODIA さん

地元を離れて初めて食べたゴーヤチャンプルー

6歳まで沖縄にいて、今は親の転勤で別の県にいる私。 沖縄での食卓には、時々母の作るゴーヤチャンプルーがのぼりました。 時々、というのも、その頃は私たち兄弟は、にがーいゴーヤを好んで食べることはなかったからです。ゴーヤチャンプルーといえば、大人のメニューでした。 その頃は引越しするだなんて考えたこともなかったから、全然知らない場所に引っ越すことになって驚きました。 県外に出て、めったに食べられなくなったメニューもあります。 それでも、ゴーヤチャンプルーはやはり食卓にのぼりつづけました。 大学生になったある日。栄養バランスも考えて食べなきゃなあ、と、ゴーヤチャンプルーを食べはじめました。 すると、コリコリ苦くて爽やかなゴーヤ、ふわふわの炒り卵、ジューシーなスパムが奏でるハーモニーに惚れ惚れしちゃいました! いつの間にか、私はゴーヤチャンプルーをもりもり食べられるほど大人になっていたのかしら、としみじみしました。 沖縄を出ていろんなことがありました。全く違う環境に慣れるために頑張ったり、夢ができたり、父が亡くなっなり。 目まぐるしい変化の中で、変わらない味のゴーヤチャンプルーを好きになった、という「変わったこと」が、とても嬉しかったです。 もう随分里帰りしていないですが、1口食べればすぐに沖縄に帰れる、母の作るゴーヤチャンプルーが大好きです。

銀河 さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

夜道の焼き鳥

高校生の頃、よくお泊まりにくる友だちがいて、お風呂にも入った後、夜食に駅前の焼き鳥を買いに行っていました。うちのマンションから駅前まではだいたい10分くらい、駅前のちょっと年季が入ったお店で好きなだけ焼き鳥を買って、それを食べながらまたマンションまで帰る。寄り道したり、わざとゆっくり歩いたりしながら、焼き鳥を食べ歩きする帰り道はちょっとお行儀が良くなくて、なんだかいい気持ちでした。仲は良かったしなんでも話すような友だちだったけれど、家の中じゃ話せないし、向き合っていると話せない、そういうことがあったんだよな〜と思います。ああいう夜は大人になってからは取り戻しづらくて、たまにすごく懐かしいです。

月の番人 さん

タグで探す

畑仕事の後のやきいも祭り

地元では、秋になると畑仕事をした後に、みんなで夕方集まって焼き芋を焼く。 落ち葉を集めてきて、穴をほって、畑でとれたさつまいもをアルミホイルで包んで蒸し焼きにする。 子供達も集まってきて、みんなで談笑しながら食べる。 ほっこりする好きな時間だ。

Q さん

父が作ってくれたスクランブルエッグ

私が受験生だった時  夜中に「お腹空いた」と言うと父がお酒を飲みながら作ってくれた。  「半熟加減が難しいんだぞ〜」と解説しながら作る父。  美味いだろ〜!って言う父の笑顔が大好きだった。  今では私が作ったこのスクランブルエッグを旦那と子供が笑顔で食べる。  その笑顔を見ると父を思い出す。  皆元気だから天国で見守っててね。 

kenchicoクッキング さん

茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

おじいちゃんと焼きまんじゅう

夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。

加藤 さん

いやいや食べた思い出の春巻き

僕は給食が嫌いだった。偏食で、味の濃いものしか口にしなかった。春巻も野菜が入っているというだけで食べられなかった。でも、4年生のときに当たった厳しい先生に、春巻きを食べさせてもらった。最初は嫌すぎて涙を流したけど、勇気を出してみると意外と美味しかった。それ以来、春巻は大好物。これを食べるたびに、あの時の先生の顔を思い出す。

丹波人 さん