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みんなから集まったごはんの思い出

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全140作品

旅行好き一家の宴会

私の家族は、父母兄私妹の5人構成。両親は旅行先で出会ったくらいの旅行好きだったので、私たち子どもが小さい頃から、よく旅行に連れていってくれました。行き先は国内から海外まで様々でしたが、子ども心に、非日常な光景や文化、食事、ちょっと大人ぶったような振る舞いを楽しんでいました。ただ、子どもたちが小さいと大人は夜遊びができないですよね……。そんな中、パワフルな母は率先して、地元スーパーやコンビニで「宴会のつまみを買え〜〜!」と子どもたちに指令を出し、私たちは夜、部屋で宴会をするためのおつまみやお菓子をたくさんカゴに入れました。もちろん食べ切れる範囲で、ではありますが、その日はどんなに買っても大丈夫! 食事を終えてお風呂にも入ってから、部屋で家族5人、子どもはジュースを、大人はお酒を手に、わいわい楽しんだ宴会をよく覚えています。大人になってから思うと、両親は旅行先の夜も楽しみたかったんじゃないかな〜と思うのですが、それでも私たちと一緒に楽しむことを選んでくれたのかなあと思っています。

RHODIA さん

  • 家族とのごはん

同僚彼氏とのおつかれごはん

会社の同僚と付き合っていたときのこと。帰り際にくる「今夜、乾杯する?」の誘い文句。ビールの絵文字で元気に応えて、彼の家に集合! 彼は料理上手なので短い時間でもサッと料理を出してくれる。かたや、私はお酒担当。美味しそうな日本酒、ワイン、果実酒サワー。その日のごはんに合いそうなお酒をちょっといいスーパーで見繕って買って行く担当。そして、ちょっと遅い時間、元気にふたつのグラスを重ねての「お疲れ様ー!かんぱーい!」は至福のときでした。そんな日々から10年経った今は、子どもたちが眠った後、二人だけで(子どもたちを起こさないように)静かに乾杯をしています。

ぐうぐう さん

  • 恋人とのごはん

こんなときだから

大学生の頃、悲しい知らせがあって、急に一人暮らしの家を出て、九州の実家に帰省することとなった。自炊が習慣化していた私は、その前夜にたくさんの野菜やお肉・魚類を買い溜めて、一人暮らし用の小さな冷蔵庫をいっぱいにしていた。あまりにも悲しそうな私を見かねて、彼氏が私の家から空港まで送ってくれると言ってくれた。悲しい気持ちを味わい、そして翌朝の出発の準備をしながら、冷静な頭ではその大量の食材をどうにかしないと、という思いがあり、なぜか私は食材を使い切る勢いでごはんを作った。自炊は習慣化していたけれどそこまで手際が良い訳なかった私だが、なぜかそのときはどんどん料理を作った。今思えば料理は一つのセラピーのようで、手元に集中することが心地よかった。彼氏が夜のうちに家に来てくれたとき、テーブルに並んだ大量の食事を見て驚いていたけれど、その夜、その食事を美味しそうに次々たいらげてくれた。私はどこか安心した気持ちで、翌朝、九州に帰省した。

tree さん

  • 恋人とのごはん

卵型のゼリー

小学校の校外学習が誕生日と被った3年生の秋。その日のお弁当はいつもと違って特別でした。卵に小さな穴を開けて中身を出して、中にゼリーを入れて母特製のバースデースイーツを作ってお弁当に入れてもらいました。遠足の外で食べるお弁当というだけで、いつもより特別なのに、今日はさらに特別。そしてお友達からもおめでとうと言ってもらい、ご機嫌。一緒にレジャーシートを広げて食べた子たちからはいいなぁと羨ましがられ、ちょっぴり得意気。食べたらすすぎきれなかったのか、少し卵の味が残っていたゼリーでしたが、嬉しかったです。素直じゃないので、帰宅後、きちんと母にありがとうを言えなかった記憶がありますが、ちゃんと伝えれば良かったなぁ。母からの愛を感じました。10年以上前に他界していて今はもう会えない母に感謝です。素敵な美味しい愛情たっぷりのお弁当をありがとう。美味しかったよ!またいつか食べたいよ〜。

へなちょこぴーまん さん

  • 家族とのごはん

哀しいくらい君が好き

僕の間違いは、君を僕のもとから離してしまったことだった。地元で教師になる君を振って、僕は自分の夢を追うために他県に進んだ。今、夢を叶えて自分の好きな仕事をしているが、心は満たされていない。君が僕のそばにいないからだ。そう思いながら、自分で作った卵焼きを食べた。甘い。甘すぎる。君が作った卵焼きとは随分違うな。高校時代、君が毎日作ってきてくれたお弁当。そこに入っていた酸っぱい卵焼きの味が、今でも恋しい。そう思って、久しぶりに連絡を取ってみた。すぐに返ってきた。向こうも驚いていたようだった。ちょうど別れたところで今、彼氏はいないらしい。今までずっと新たな恋をしようとしても、若き日の僕が心の中にいて長続きしなかったそうだ。なんという奇跡。10年間の心の隙間を埋める、新しい恋が始まりそうだ。

哀しき街 さん

  • 恋人とのごはん

中学生のときに食べた肉まん

無二の親友と言える友がいる。彼とは、中学時代一番長い時間を過ごした。部活で家に帰るのが遅くなったら、いつもコンビニに寄って食べたのがほっかほかの惣菜まんだった。特に冬に食べた肉まんはうまかった。雪が積もる寒い都道府県だったので、吹雪の中スリップしながら帰る日もあった。そんな日に暖房が効いたコンビニに寄って、イートインスペースで食べたほっかほかの肉まんは、ゲームのセーブポイントみたいな魔法の地点だと感じたっけ。大人になってからも交流が続いているが、年末に飲んだとき、ふとその話になって、若き日の自分と、彼の姿を思い出した。飲んでフラフラになったあと、懐かしくなって友達を誘ってコンビニで肉まんを食べた。昔より美味しくなってたけど、思い出は色褪せなかった。

ニックマン さん

  • 友人とのごはん

年末年始の寿司

東京から帰ってきたら、実家に豪勢な寿司が並んでいた。近隣に海がない関東のお寿司は美味しいが、ネタが小さくて割高だと感じる。でも、海に面した地元だと、安くて大きな身の寿司がたくさん食べられる。これこれ!食卓に並んだプリップリのブリに舌鼓を打つ。歯応えがあるのに、口の中でとろける。東京価格だと10万円くらい払ってもいいけど、驚くほど安くでこんなご馳走を味わえる。こんな美味しいお寿司を小さいときからたくさん食べさせてくれた地元と、両親に感謝したい。

寿司五郎 さん

  • 家族とのごはん

誕生日だけど、娘の好きなケーキはモンブラン

初産、それは私がママになった特別な日。 考え深いもので、娘の誕生だけはやはり特別に記憶がある。 そんな日には、娘の誕生日をお祝いと口では言いながら頭の中は自分が頑張った日だから自分を満足させよう♪そう思っている母なのだ。 娘には小さい頃から私の初めてを捧げている。 とりあえず、未知の世界を知るきっかけが娘なのだ。 誕生日ケーキといえば、イチゴがのったワンホールをイメージしていた。 だが、娘はあまり好きではない。 甘いものを先は先へと先送りにしていたが故に、ジュースも飲まない、甘いお菓子も周りのお友達に合わせて少し食べる程度。 そんな娘が好んだのが、モンブラン(栗の味がするところ)だった。 確かに、美味しいよねそこは。 初めて食べさせるものは特別に美味しいものをという考えで毎回、お金をかけてきただけある。 贅沢なモンブランの食べ方は、誕生日だけは許してあげようと数年間、誕生日にはモンブランを準備した。 高くついたが、家族みんなの分のモンブランを買い、盛大に祝った誕生日。 あれは何年まえになるのか。 近所のケーキ屋さんを周り、モンブラン食べ比べをした誕生日。 私の心をいっぱいにした自己満の母心、娘には伝わったかな? もう、自分が食べたいモンブランより家族が喜ぶものを希望してくれるようになった娘。 モンブラン誕生日、やって本当によかったよ。

みっちゃん さん

  • 誕生日

初めての「天使のえび」

高校3年生の12月、友人のお誕生日に美味しいものを食べようと、初めてふつうにいいお店に入った。その頃までよく行っていたファミレスでも、食べ放題でも、カフェでもなく、大人が行くようなお店で、休日、待ち合わせて二人で食事をした。お小遣いを貯めて向かったけれど、予算にはもちろん限界があったので、二人でメニューをしっかり端から端まで読んで、吟味に吟味を重ねて、頼むメニューを相談した。食いしん坊な私たちがメインに選んだのは「天使の海老のグリル」。名前も最高だし、とても新鮮な海老のグリルが美味しかったのを覚えている。今でも、初めて二人で外食した思い出として、「天使の海老」は私たち二人のキーワードになっている。つい先日、この友人のお誕生日があり、お祝いLINEをしたところ、「また天使の海老を食べに行こうね!」と返ってきたので、また今度、食べに行こうと思っている。

Yuka さん

  • 誕生日

彼とのお祝いハンバーグ

大学生のとき、大好きだった恋人がいた。私たちは二人とも食べるのが大好きで、それを共通の趣味に付き合ったようなところがあった。そんな一つ年下の彼と初めて過ごす私の誕生日、「誕生日、何が食べたい?」と聞かれて、「手料理が食べたい!」と元気よくリクエストしてみた。そして彼は当日、私の家の小さなキッチンで、慣れない手つきで、丁寧にハンバーグをつくってくれた。楕円形のほかに「2」と「1」も歪ながらつくってくれて、私のお皿には「21」が並んだ。そんな21歳のお誕生日、キラキラした思い出です。

おふとん さん

  • 誕生日

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ジャージャー麺が好きな人

小学生のとき、ずっと好きな人がいた。彼はジャージャー麺が好きだったから、給食の献立にジャージャー麺と書いてあると、大きな声で喜んでいた。私はその決戦の日にできるだけ給食当番になり、さらに、麺担当になるべく画策した。 いざ配膳のとき、彼は「ねえ、多めでお願いします」と冗談らしく声をかけてきたが、私はクールぶった対応をした。隣に並ぶ同級生と彼がふざけ合う間、私は、彼の分のジャージャー麺を、贔屓にならない程度、気持ち多めによそった。 「あれ、ちょっと多くね?」と気づいてくれないかなあ、とソワソワしながら、彼が隣のスープを受け取りに横にずれるのを視界の片隅で見ていた。

さり さん

母の誕生日、ココナッツパンにロールキャベツ

母は日本語を日本人と同じくらい上手に話すが、異国の出身で、出身地の料理が日本にないことをいつも嘆いていた。そのうちのひとつがココナッツパンだった。母の誕生日に、私が「誕生日は何が欲しい?」と聞くと、いつも「ココナッツのパンが食べたい」と答えていた。まだ幼かった私は、ココナッツパンなんて食べたことも無く、ネットで調べても日本語のレシピは見当たらなかった。その代わりに、私の大好物であるロールキャベツを母の誕生日に作って一緒に食べていた。そして、ついに私が15歳、高校一年生のとき、母の誕生日にココナッツのパンを作ってあげようと思い立った。ネットで調べても、日本語で書かれたレシピは見つからなかった。そこで、私は異言語で書かれたレシピを翻訳サイトを使ってちまちま翻訳しながらココナッツパンを焼いた。焼き上がりは自分が見てもなかなか上出来だったと思う。その夜、仕事から帰ってきた母は私の焼いたココナッツのパンを少し涙ぐみながら美味しそうに食べた。「この味だよ、𓏸𓏸(私の名前)これがずっと食べたかったの、本当に美味しいよ」と私を抱きしめた。父の分も含めて多めに焼いたつもりだったが、母は1人で2人分も食べた。母に褒められて嬉しかったのもあって、それから毎年母の誕生日にはココナッツパンとロールキャベツを作って誕生日を祝っている。今でこそもう慣れたココナッツパン作りは、当時の私にとっては大冒険だったことを覚えている。

くろすけ さん

特別な卵焼き

私が物心つくときには母と私と弟の3人で暮らしていました。母の収入だけなのでお菓子や玩具は少なかったですが、お弁当だけは毎回大好きな卵焼きを入れてもらってました。我が家の卵焼きは丸いフライパンに卵を広げて半分に畳んだ半月の形のもの。 それを格子状に切って真ん中の厚みがある部分がお弁当箱へ、まわりのパリパリ部分がある所は朝ごはんで食べさせてもらってました。私は卵焼き専用フライパンがあることを大人になってから知りました笑 今でも帰省したときは母の作る特別な卵焼きが大好きです。

羽柴歩 (・∀・) さん

おじいちゃん特製肉じゃが

良く、おじいちゃんを思い出す味。 土日休みに、おじいちゃんちにいくと作ってくれた。 じゃがいもの形がいびつで、不器用ながらだしを使って作ってくれた肉じゃが。 私が好きなじゃがいもとお肉をたっぷり入れてくれた。 おじいちゃん特製の肉じゃがだ。

あしゅしゅ さん

おじいちゃんと焼きまんじゅう

夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。

加藤 さん

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年末年始の寿司

東京から帰ってきたら、実家に豪勢な寿司が並んでいた。近隣に海がない関東のお寿司は美味しいが、ネタが小さくて割高だと感じる。でも、海に面した地元だと、安くて大きな身の寿司がたくさん食べられる。これこれ!食卓に並んだプリップリのブリに舌鼓を打つ。歯応えがあるのに、口の中でとろける。東京価格だと10万円くらい払ってもいいけど、驚くほど安くでこんなご馳走を味わえる。こんな美味しいお寿司を小さいときからたくさん食べさせてくれた地元と、両親に感謝したい。

寿司五郎 さん

おじいちゃんと焼きまんじゅう

夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。

加藤 さん

思い出の夜ご飯

自分は中学2年生の吹奏楽部なのですが中学1年生の時コンクールに疲れしかも銅賞(吹部の中では最下位みたいなもの)で最悪な気分で帰り不機嫌なまま寝てしまいました。翌日は土曜日だったのですが朝早い両親は仕事へ姉2人は部活へ自分一人家に残りました。そして机の上に書置きがあり見てみると昨日の夜ご飯入っとるし食べといてと書いてありました。見ると自分が大好きなチャーハン。それも自分好みの味になっていました。まだ感謝を伝えられていません。

あいす さん

誕生日のごちそう

誕生日の時にお母さんは毎回私が好きなご飯を作ってくれます。ローストビーフが食べたいと言うとお母さんはローストビーフを作ってくれます。それがすごく嬉しくて大切な思い出です。

ふうまる さん

冬の予備校帰りに食べたカツ丼の味

なんでもないご飯なのに、とても感動することがある。 受験生だったとき、朝から晩まで勉強で我ながらよく頑張っていた気がする。 しかし成績は思い通りに伸びるわけではなく、よく落ち込んでいた。 たしか、模試の結果が良くなく、落ち込みながら帰った帰り道。 ふと見つけたカツ丼屋に吸いこまれていった。 寒くて凍えるような日で、出てきたカツ丼を食べて、あまりのおいしさに少し涙が出た。 あれ以来、色々なカツ丼を食べたけど、あの日のカツ丼を超えることはまだない。

さいとう さん