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6か月遅れの誕生日ケーキ

私にも小さな娘がいるので、お母さんの気持ちを想像してしまいました。いつか誕生日のお祝いは いいよと言われる日が来るのかなとか、そんな日が来たら寂しいなとか…。出来ることならずっと毎年祝って いたいなぁ。

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Original Episode

6か月後の誕生日ケーキ

大学生になって誕生日は友達と過ごすようになった。クリスマスが誕生日の私にとって、誕生日を祝う=25日を家族で過ごすことになる。それがなんだか恥ずかしかったし、ケーキをわざわざ用意してもらうのもなぜか申し訳なかったのだ。だから、誕生日ケーキは断っていた。しかし、私の誕生日から6か月後のある日、母がホールケーキを買ってきた。しかも私の大好きなアイスケーキ。理由を聞くとお祝いできなかったことが母の中でもずっと気にかかっていたらしい。それを聞いて、自分の都合で母のお祝いしたいという気持ちをないがしろにしてしまっていたことに気づいた。6ヶ月過ぎてしまっていたけれど、その日ケーキを食べて初めて自分が誕生日を迎えた実感がわいた気がした、

スキュラ さん

  • 誕生日

Comic

小菊えりか

茨城県在住の漫画家。SNSでぶきっちょ夫とにこにこ妻のお話を自主連載。2024年に『ずっと一緒にいられたら』というタイトルで書籍化。誕生日に食べたいごはんはちょっといい焼肉。

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おにぎりの魔法

一秒

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キーワードは天使の海老

小菊えりか

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故郷の味チキン南蛮

学生時代  好みのチキン南蛮を探しに良く食べ歩いた  鶏むねvs鶏もも  タルタル有vs無  甘酢を浸すvsかけるvs甘酢でチキンを煮る  いろんなチキン南蛮を食べてきた  そんな私のチキン南蛮  最近はカロリー気にしてマヨは控えめ  米酢・紅生姜・ごまは我が家の定番  さっぱり食べられる  我が家はむね肉  小麦粉を下地に卵液の衣をつける  部活の大会前 受験前 お祝いごと  事あるごとに、食べてきた  甘酢を絡めて、さらに煮詰めた甘酢をかける  タルタルをかけて、完成  思い出の味  我が家のチキン南蛮 

mabo さん

お誕生日おめでとう

大学生の頃、付き合ってた彼も同じく大学生で2人とも美術を専攻していたこともあり、バイト代のほとんどを制作費に費やしお金がなかった。 でも、その頃は制作が一番で、2人でいて楽しければ、それで満足していた。 そんな中、私の誕生日が近づいてきた。しかし、彼の方が数日後に展覧会を控えており、気持ち的にもお金的にもお誕生日パーティーどころではなかった。私も仕方ないかと思っていたら、誕生日前日22時ごろ彼から「今から家に来れる?」と連絡が来た。丁度バイト帰りだったので、出かける手間など感じず、彼の家に向かった。 彼の家に着くと彼は「明日お誕生日だからさ、一緒に迎えたかったんだ」と言ってくれ、私は忙しい中、時間を作ってくれたことがとても嬉しかった。 そこからしばらくおしゃべりをし、0時を過ぎようとしたころ、彼が「ちょっと待ってて!」と言い、キッチンへ。「まさかケーキとか用意してくれてるの?」と私は内心、超テンションぶち上がりになった。 そして、部屋の電気が消され、ビートルズのハッピーバースデーが流れ出しいよいよだ!、とドキドキして待ったなしでいると、彼が「お誕生日おめえええええぇえ?!!!」と叫びに近い声で入ってきた。 彼の手元を見ると、ファミレスのとりわけ皿くらいの小さい皿持っている。それには何か載っており、さらにその何かの上に大きな火の塊ができていた。私は咄嗟に息を吹き掛けたが消えることもなく、むしろ彼に燃え移りそうで、2人でわたわたしてるうちに火は自然に消えた。(とても安心したのを覚えている) 火が消えて、部屋の電気をつけると、彼の持っていた皿には蝋だらけのチョコパイが載っていた。当時、彼は食事の代わりによくチョコパイを食べており、それは好物でもあったので、決して人にあげることはなった。(さすがの当時でも、金がないうえにすごくケチだな、一個くらいくれよ、と思っていた。) お金も時間もなかった彼は、自分の大切なチョコパイをケーキとして私に用意していたのだった。でも、ただ渡すだけでは流石に味気ないと思ったようで、私の年齢の数、約20本の誕生日ケーキ用の蝋燭を指していたのだ、直径10センチほどのチョコパイに。 そこに点火し一気に燃え移り、先のような状態になってしまい、蝋だらけのチョコパイが残ったのだ。 彼は「これじゃ食べられないね。」ととても悲しそうな顔をして、新しいチョコパイを私にくれた。 気がついたら日付は変わっていて、私は一つ年をとっていた。 誕生日とはいえ彼がチョコパイを分けてくれたこと、そして何よりもこんなにハラハラして笑いながら誕生日を迎えたのは初めてだったので、「とても楽しい誕生日ケーキをありがとう。」的なことを言って、2人でチョコパイを半分こして食べた。 その後、彼とは社会人のなり方ですれ違い、別れてしまったが、今でも定期的に会うような間柄である。もう10年以上は経つが、自分の誕生日だけでなく、家族の誕生日ケーキを見るだけで、あの日の炎のチョコパイバースデーを思い出し、ニヤリとしてしまう。

タミー さん

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

おばあちゃんのコロッケ

実家はおばあちゃんと同居でした。外で働く母に代わって、兄妹のお世話は自営業だったおばあちゃん担当。平日は夕飯はおばあちゃんが作るので、小学生の頃には姉と一緒にお手伝いをします。その中でも大好きなお手伝いはコロッケ。大量のジャガイモを茹でたら私たちの出番です。熱々のジャガイモを剥きますが、時々マヨネーズをかけてつまみ食い。つまみ食いをするのも考慮してたくさん茹でてくれます。その時間がとても楽しくて夕飯がコロッケのときはとても嬉しかったです。おばあちゃんのコロッケはちょっと甘めで、大人になった今も私の作るコロッケは同じ味付けです。

しゃけ さん

青春の食べ放題

中学生のころ、なにかイベントがあると時々同級生と田舎の食べ放題に行っていた。電車に乗って遠出をする感じが、子供たちだけで旅に出ているようで、どこか特別な感じした。子供にとっては豪華な金額を払っていることもあり、もとをとろうとはりきって食べ過ぎて、ぱんぱんのお腹で田んぼのあぜ道を駅に向かって帰っていた夕闇の風景をとても覚えている。

青春っていいよね さん

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おばあちゃんのあげぱん

私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。

しょくぱん さん

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

オバァの作る沖縄そば

沖縄の北の果て・辺戸岬のオバァの家に訪れると、台所の方から何やら美味しそうな香りが漂っている。 匂いの出所の大鍋をのぞくと、黄金色のかつおだしと、大量の三枚肉(ラフテーのこと)とソーキ(スペアリブのこと)が顔をのぞかせた。これだけで、今日のお昼は「沖縄そば」だと確信できた。 「朝の7時からもう4時間は煮込んでるから、そろそろ最後の仕上げさぁね」 鍋をのぞく私にそう告げると、オバァは肉をどけて残ったスープをやかんに移し替える。 「お味噌汁やすまし汁はずうっと鍋で煮ているのに、沖縄そばのスープだけは、どうしてわざわざやかんに移すわけ?」 幼いころから長年疑問に思っていたことが、ふと、こぼれてしまった。 「肉の脂が溶けすぎてもダメ、スープが濁るし、肉の味もまずくなる。やかんに移せばそれを防げるし沸騰もしやすい」と、しわくちゃな笑顔と優しい声でそう告げるオバァを見た後で食べるそばは、いつになく優しい味がした。

ゆでたまご さん

哀しいくらい君が好き

僕の間違いは、君を僕のもとから離してしまったことだった。地元で教師になる君を振って、僕は自分の夢を追うために他県に進んだ。今、夢を叶えて自分の好きな仕事をしているが、心は満たされていない。君が僕のそばにいないからだ。そう思いながら、自分で作った卵焼きを食べた。甘い。甘すぎる。君が作った卵焼きとは随分違うな。高校時代、君が毎日作ってきてくれたお弁当。そこに入っていた酸っぱい卵焼きの味が、今でも恋しい。そう思って、久しぶりに連絡を取ってみた。すぐに返ってきた。向こうも驚いていたようだった。ちょうど別れたところで今、彼氏はいないらしい。今までずっと新たな恋をしようとしても、若き日の僕が心の中にいて長続きしなかったそうだ。なんという奇跡。10年間の心の隙間を埋める、新しい恋が始まりそうだ。

哀しき街 さん

おばあちゃんのコロッケ

実家はおばあちゃんと同居でした。外で働く母に代わって、兄妹のお世話は自営業だったおばあちゃん担当。平日は夕飯はおばあちゃんが作るので、小学生の頃には姉と一緒にお手伝いをします。その中でも大好きなお手伝いはコロッケ。大量のジャガイモを茹でたら私たちの出番です。熱々のジャガイモを剥きますが、時々マヨネーズをかけてつまみ食い。つまみ食いをするのも考慮してたくさん茹でてくれます。その時間がとても楽しくて夕飯がコロッケのときはとても嬉しかったです。おばあちゃんのコロッケはちょっと甘めで、大人になった今も私の作るコロッケは同じ味付けです。

しゃけ さん

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