冬の予備校帰りに食べたカツ丼の味

なんでもないご飯なのに、とても感動することがある。 受験生だったとき、朝から晩まで勉強で我ながらよく頑張っていた気がする。 しかし成績は思い通りに伸びるわけではなく、よく落ち込んでいた。 たしか、模試の結果が良くなく、落ち込みながら帰った帰り道。 ふと見つけたカツ丼屋に吸いこまれていった。 寒くて凍えるような日で、出てきたカツ丼を食べて、あまりのおいしさに少し涙が出た。 あれ以来、色々なカツ丼を食べたけど、あの日のカツ丼を超えることはまだない。

さいとう

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禁断のワード、広島焼き

上京してはや10年、地元の広島へ帰省したときに必ず食べるのは「お好み焼き」。たっぷりキャベツと麺の上に様々な具や卵、生地が載り、ジュウジュウと熱々の鉄板から、皿は使わずヘラで直接食べるのが広島流。 東京に出てきて気がついたのは、この紛れもない「お好み焼き」を、東京では「広島焼き」「広島風お好み焼き」と呼ぶのが一般的だということだ。 広島の人たちはお好み焼きを、「関東風」でも「関西風」でもなく、紛れもなく自分たちが元祖「お好み焼き」だと誇りに思っており、「広島焼き」という呼び名は広島県内で見たことも聞いたこともないので、受け入れることができない。 「『広島焼き』なんてものは存在せんよ。」「広島風~ならギリギリ許してやらんこともなぁけど、、あれは『お好み焼き』じゃけぇ。。」 そんな私は、東京に出てきて以来、折に触れて都会の人々に、お好み焼きの真実を伝えている。これは『お好み焼き』ですよ!と。 ちなみに広島のライブハウスには、県外からきたミュージシャンがウッカリ禁断のワードを口にしないよう、「MCで『広島焼き』と言うのはやめてください」と張り紙がしてあるらしい。 広島に行くときは、うっかり口を滑らせぬようご注意を。

瀬戸の花婿 さん

母親からの仕送り

上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。

ねぶたろう さん

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

給食のわかめごはん おにぎり

中学の給食の時の話です。 わかめが入ったご飯が主食として出たのですが、その日はご飯がかなり余ってしまいました。そこで担任の先生が余ったわかめご飯を小さいおにぎりにして食べれる人に配ってくれました。 小さい一口サイズのおにぎりで、小ぶりな感じがなんだか愛おしかったのを覚えています。

ポンデと さん

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

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新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

お母ちゃんの甘いたまご焼き

運動会や遠足などでお弁当が必要な時、お母ちゃんがいつも甘いたまご焼きを作ってくれました。 口当たりはふわふわで、少し焦げ目がついたたまご焼きでした😌 27歳になった今でも、たまご焼きは甘い派です。

るーちゃん さん

カンボジアのバス停とフライドライス

大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。

アジアの純真 さん

おばあちゃんが作るもっちりさつまご飯

秋になると思い出す  おばあちゃんが作る  もっちりさつまご飯  肌寒くなってきたら私はこの味を思い出す  当時、一人暮らしをしていたおばあちゃん  私が遊びにいくとよくこれを作ってくれた  小学生だった私はこのご飯が大好きだった  何より好きだったのは  ご飯が炊けるまでの時間  おばあちゃんとあやとりをしながら  できあがりを待っていたあの時間  おばあちゃんがいなくなった今  秋になると私はこれを作る  あの幸せに包まれた小さな部屋を思い出しながら

ゆん さん

お母さんのカニクリームパスタ

誕生日や特別な日は自分が大好きなカニのクリームパスタにしてくれる両親。2人でカニを買ってきて、仕込んで仕上がる味は絶品。大きくなっても、それがずっと好きだと思って作ってくれる。でも、自分的には「ちょっと飽きてきたかな」と思うけど、毎回得意げに「今日はカニクリームパスタよ」と言ってくる両親の顔を見ると言えないし、愛されているなと改めて感じるそんな”ごはんメモリー”でした。

キュータロー さん