長野のくるみそば

地元のひとにすすめられて食べた、くるみそば。そばつゆにくるみの粉末がたっぷり入っていて、ドロドロの見た目。食べるとくるみの香ばしさが口中に広がって、忘れられない味でした。お土産に買って帰ったけれど、家では同じ味が再現できず。また食べに行きたいなぁ

そば大好き

  • 忘れられない旅ごはん

SNSでシェア

エピソードをもっと見る

エリアで探す

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

カンボジアのバス停とフライドライス

大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。

アジアの純真 さん

迷子のおにぎり

本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。

しゃけぱんだ さん

田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重

私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。

中田栄角 さん

おばあちゃんの手作りミルクアイスキャンディー

雰囲気とか、話し方とか、笑い方とか、おばあちゃんはなんだか魔女みたいな雰囲気の人だった。車で40分くらいのところにある、かつて父も暮らした家に住んでいた。夏休みに家族で遊びに行くと決まって、いいものあるよぉ、食べるかぃー?ってちょっと芝居がかった前振りをされる。うん食べたい!って答えると、銀色の筒に棒が刺さったアイスキャンディーを出してくれる。カラフルなオレンジ味、グレープ味、レモン味もあったが、真っ白なミルク味が一番好きだった。どう、おいしい?それはよかったわぁ!ってうれしそうだった顔を思い出す。孫のために手作りしてくれた、甘くて、シャリっとして、素朴な味で、本当においしかった。父たち兄弟も食べていた、おばあちゃんのお得意デザートだったとあとで聞いた。

ねるねるねるね さん

タグで探す

母親からの仕送り

上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。

ねぶたろう さん

おじいちゃんと焼きまんじゅう

夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。

加藤 さん

お母ちゃんの甘いたまご焼き

運動会や遠足などでお弁当が必要な時、お母ちゃんがいつも甘いたまご焼きを作ってくれました。 口当たりはふわふわで、少し焦げ目がついたたまご焼きでした😌 27歳になった今でも、たまご焼きは甘い派です。

るーちゃん さん

遠野のジンギスカン

ある夏、一人旅で岩手へ行った。 岩手で働いていた人から話を聞いてぜひいきたいと思って。 宮沢賢治も大好きだし、岩手についた瞬間から、大きな岩手山が見えて、ああ、賢治の風景だ、と思ってワクワクした。 一人で花巻も龍泉洞もいった。 当時一日二通しかなかった電車で遠野にいき、岩手を勧めてくれた友人おすすめの遠野のジンギスカンを一人で食べた。 なぜ遠野といえばジンギスカンなのか、いまだにわからないけど、社会人になって数年、必死で休みもなく働いてきて、やっと一息ついて初めてしっかりとれた夏休みのジンギスカンは、とてもおいしかった。 おいしいね、と言える相手がいないことがさみしくもあったけど、この旅は一人がよかったんだろうと思った。

もいもい さん

ラーメン二郎で飢えを凌いだ学生時代の思い出

秋の夜空を見上げながら歩いていると、黄色い看板が視界に入った。学生時代によく行った、「ラーメン二郎」の看板だった。目線を下げると、若年層を中心に大行列。ああ、20年前は、自分もこの行列に並んで、遊園地のアトラクションのようにワクワクした気持ちで大盛りのラーメンを食べれるのを今か今かと心待ちにしていた。早速入って、小盛りの200gを注文した。当時に比べると食べられる量は減ったけど、変わらぬパンチの効いた濃い味に大学生活の思い出が蘇ってきた。 当時、僕はお金がなかった。親類が一人もいない東京に裸一貫で出てきて、4畳で家賃30000円の激安アパートに住み、アルバイトをしながら大学に通った。給料日の前にはいつも財布にお金がなかったから、ワンコイン近くで食べられた二郎の大盛りを昼に食べて、1日の飢えを凌いだっけ。

企業戦士 さん