遠野のジンギスカン

ある夏、一人旅で岩手へ行った。 岩手で働いていた人から話を聞いてぜひいきたいと思って。 宮沢賢治も大好きだし、岩手についた瞬間から、大きな岩手山が見えて、ああ、賢治の風景だ、と思ってワクワクした。 一人で花巻も龍泉洞もいった。 当時一日二通しかなかった電車で遠野にいき、岩手を勧めてくれた友人おすすめの遠野のジンギスカンを一人で食べた。 なぜ遠野といえばジンギスカンなのか、いまだにわからないけど、社会人になって数年、必死で休みもなく働いてきて、やっと一息ついて初めてしっかりとれた夏休みのジンギスカンは、とてもおいしかった。 おいしいね、と言える相手がいないことがさみしくもあったけど、この旅は一人がよかったんだろうと思った。

もいもい

  • 忘れられない旅ごはん

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大会の前夜のラーメン屋さん

高校生のときです。部活の大会が土曜日の朝早くからあるため、前乗りで開催地の下関に向かうことがありました。学校を早退し、みんなと移動して宿泊をする高揚感を携えながら夜ごはんは顧問の先生、部活仲間と町の小さな中華屋さんで食べました。食後に撮った写真が残っており、そこには楽しそうな先生と私たち、そして笑顔で一緒に並んで写真に収まる店主さん。写真を見るとそのときの思い出が蘇ってきます。

ろんぐ さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

真冬のニューヨークとピザ

ある年の大晦日、ニューヨークへ弾丸で一人旅をした。 その年は記録的な大寒波が到来、空港に到着するなり、耳や頭が冷えて、だんだんと具合が悪くなるほどに寒かった。 英語もろくに喋れないのに、無謀にも1人で海外旅行に挑戦してみたが、寒さと言葉の通じない心細さで、初日から心が折れて、早く帰りたい気持ちになってしまった。 お店の注文も不安だったので、宿泊先のホテル近くの小さなピザ屋で何とか安いピザとコーラを頼み、空腹を満たした。せっかくニューヨークまで来たのに、安いピザとコーラしか食べられない自分に情けなくなりながら、その日は眠りについた。それでも1-2日ほど過ごしたら、次第にフッキレたのか、言葉が通じないことにもめげず、色々なお店に行ったり、観光地に行ったり、旅行を楽しむことができた。年越しの瞬間は、地元の人たちが集まるレストランで、テレビに映るタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら知らない人たちとシャンパンで乾杯していた。 今でも時々、テレビで真冬のニューヨークを見ると、あの時のピザとコーラを思い出す。

mukamuka さん

初めてのお弁当は親友と

私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。

せっちゃん さん

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。

ながらぼ さん

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給食のわかめごはん おにぎり

中学の給食の時の話です。 わかめが入ったご飯が主食として出たのですが、その日はご飯がかなり余ってしまいました。そこで担任の先生が余ったわかめご飯を小さいおにぎりにして食べれる人に配ってくれました。 小さい一口サイズのおにぎりで、小ぶりな感じがなんだか愛おしかったのを覚えています。

ポンデと さん

玉ねぎ卵かけごはん

三重に旅に行ったときに、宿泊先の民宿のおじさんが農家で、仕事終わりにもってきた生の玉ねぎのスライスをご飯にかけて、生卵をかけて食べさせてくれた。醤油なんかかけるな、と少しだけ塩を振ってくれたその卵かけご飯が、信じられないくらい美味しかった。玉ねぎが辛くて、卵がまろやかで、鮮烈な香りがあって。美味しそうに食べていた僕を見て、がはは!!とわらう豪快さに、おじさんすごくかっこいいな、と思ったのを覚えてる。

たまねぎお さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。

ながらぼ さん

無骨な父のほうとう

父はあまり料理をしないが、出身地の山梨の名物のほうとうはよく作ってくれた。 野菜はざっくりとしか切れていないし、かぼちゃは熱で溶けてしまっているけど、なぜか絶妙においしい。 不器用な父の愛情を感じてすごく好きな料理だ。

森田 さん