遠距離だった私たちの明石焼き

普段、電車で片道2時間くらい遠い場所に住んでいた20代前半の私たち。それぞれ神奈川と埼玉に住んでいたのですが、東京のお店でふと食べた明石焼きが美味しかったのをきっかけに、本場で明石焼きを食べようということになり、深夜列車の旅を計画。神戸から確か30分程度で行ける明石のまちには、明石焼きのお店がたくさん! そのお店ならではのこだわりの明石焼きに出会えるので、食べ歩きも進みます。そして、大きめのお店では、明石焼きの配送もできるのです。私たちは特に気に入った明石焼きがあるとそれぞれの家に配送の手続きを取り、軽い遠距離恋愛中でも、お家で同じものを食べようと、せっせと伝票を書きました。彼は私の家の住所を、私は彼の家の住所を伝票に書いて、お互いからの贈り物が届くような感じで、送り合った明石焼き。家に帰ってからもビデオ通話をして話しながら、同じお店の明石焼きを温めて食べました。帰ってからも楽しかった&美味しかった、明石焼き巡りの旅の思い出です。

ムーミン

  • 恋人とのごはん

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ラーメン二郎で飢えを凌いだ学生時代の思い出

秋の夜空を見上げながら歩いていると、黄色い看板が視界に入った。学生時代によく行った、「ラーメン二郎」の看板だった。目線を下げると、若年層を中心に大行列。ああ、20年前は、自分もこの行列に並んで、遊園地のアトラクションのようにワクワクした気持ちで大盛りのラーメンを食べれるのを今か今かと心待ちにしていた。早速入って、小盛りの200gを注文した。当時に比べると食べられる量は減ったけど、変わらぬパンチの効いた濃い味に大学生活の思い出が蘇ってきた。 当時、僕はお金がなかった。親類が一人もいない東京に裸一貫で出てきて、4畳で家賃30000円の激安アパートに住み、アルバイトをしながら大学に通った。給料日の前にはいつも財布にお金がなかったから、ワンコイン近くで食べられた二郎の大盛りを昼に食べて、1日の飢えを凌いだっけ。

企業戦士 さん

年末年始の寿司

東京から帰ってきたら、実家に豪勢な寿司が並んでいた。近隣に海がない関東のお寿司は美味しいが、ネタが小さくて割高だと感じる。でも、海に面した地元だと、安くて大きな身の寿司がたくさん食べられる。これこれ!食卓に並んだプリップリのブリに舌鼓を打つ。歯応えがあるのに、口の中でとろける。東京価格だと10万円くらい払ってもいいけど、驚くほど安くでこんなご馳走を味わえる。こんな美味しいお寿司を小さいときからたくさん食べさせてくれた地元と、両親に感謝したい。

寿司五郎 さん

誕生日がクリスマス

私の誕生日は12月24日。そうクリスマスだ。幼少期はこれがとても嫌だった。なぜなら、ケーキを食べる機会が被ってしまい、一回分食べられなくなるからだ。友達の家は誕生日とクリスマスにどちらもケーキを食べると聞いたとき、ひどく損した気分になって自分の運命を恨んだものだ。しかし、今になって気づくと、誕生日と行事が被っているというのは幸せなことだったなと思う。すぐに覚えてもらえるし、フライドチキンなどのご馳走も一緒に頼んでくれたから、同級生と比較しても、ひときわ豪華な誕生日だったと思う。親に感謝だなぁ。

しょんぼりクリスマス さん

韓国留学のタッカンマリ

韓国に留学していたころ、タッカンマリという鶏がまるまる1匹入ってる鍋が流行っていた。よく語学学校の友だちとお店でタッカンマリを食べていた。 日本に帰ってくると、語学学校の友だちとはなかなか会えなくなっていった。大阪や広島、福岡、日本だけではなく、アメリカ、ドイツ、オランダ海外の友だちも自国に帰っていたから。 ある日、新大久保を歩いていたら、タッカンマリ屋があった。かなり珍しい。あまり期待しないでタッカンマリを注文した。ひとくち食べてみると、あの味だった。 あのときにしか会えない集まれないみんなと、また会えた気がした。

ゆう さん

おかわりした漬物サンドイッチの衝撃

いまから20年前。 ホーチミンの現地法人オフィスでベトナムの仲間たちとたどたどしい英語でミーティングしていた。 ディスカッションが長くなりショートブレイクを入れたタイミングで、フードデリバリーで軽食を頼んでくれるという。 いまでは日本でもすっかり有名になったバインミーがずらっと並んだメニュー表を渡されたが、彼らのおススメに従った。 パクチーが苦手でアジア・エスニック料理全般避けがちだった私は、届いたラップをおそるおそる開き、はしっこを小さめにかじってみた。 驚いた。フランスパンの間に肉と酸っぱいおしんこ?なます?が入っている。洋のものに和のものがはさまった、ベトナムのサンドイッチ?ほんの一瞬頭が混乱したが二口目からはもう夢中だった。 あんまりおいしくてつい調子に乗り、追加発注してもらえないかおねだりしたら喜んで発注してくれた。1個追加をお願いしたのに2個届いた。そして追加分の中には苦手なパクチー入りのものもあったがすべておいしくいただいた。 ベトナムの仲間たちのうれしそうな顔を覚えている。元気にしているだろうか。

チャン さん

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茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

誕生日のごちそう

誕生日の時にお母さんは毎回私が好きなご飯を作ってくれます。ローストビーフが食べたいと言うとお母さんはローストビーフを作ってくれます。それがすごく嬉しくて大切な思い出です。

ふうまる さん

週末の朝は……

平日の朝は基本的にパンとソーセージと卵料理(スクランブルエッグか目玉焼きか味玉)な我が家。いよいよ週末を迎えた土曜日ものんびり起きてくるので朝ごはんが適当になりがち。そして、週末の雰囲気になってきた日曜日が朝ごはんの本番で、大体、ホットケーキかクレープ、もしくは、いろんな味の蒸しパンをつくります。起きてきた子どもたちに「朝ごはん、今日はどれがいい?!」とリクエストをもらい、ホットケーキやクレープだと、大きなホットプレートでつくります。3歳の子どもは混ぜる係、6歳の子どもは卵を割る係と生地を入れたりひっくり返す係。私は総監督です。どれも子どもたちは大好きで、まあよく食べる。いつもの食欲と桁違いで、焼く・蒸すのが追いつかないくらい。普段は朝食を抜く夫も、この甘い朝ごはんの日だけはのそのそ出てきて、みんなで食べます。私の大切な日曜日の話です。

チョコレートサンデー さん

心が温まるおばあちゃんの肉じゃが

先日、職場のある兵庫県の神戸市から、地元である兵庫県の山間部に戻ってきたときのこと。 都心から離れた大自然の中、甥っ子たちと追いかけっこをして遊んでいると、おばあちゃんが「ごはんできたで」とぼくたちを呼びにきた。 今日の晩ご飯は、年に数回ほどの、親戚が一堂に会する珍しい機会だけあってとても豪華だった。 まだ年端もいかない甥っ子・姪っ子たちは脂っこい揚げ物やハンバーグ、スパゲティをこれでもかと口の中に頬張ってキャッキャと笑っている。ぼくも、あの年代のころは、彼らと同じものが好きだった。でもいま40代を迎えた自分にとって、一際食卓の中でも光っていたのが、おばあちゃんの肉じゃがだった。 薄味ながら辛さがアクセントになる味付けと、肉・じゃがいも・にんじん・こんにゃくといった具材のハーモニーがじんわりと口の中に広がった。おじさんのお酒のあてには最高だ。 でも思えば、この味は30年前と何ら変わっていない。カロリーの高いものばかりお腹いっぱい食べているぼくにとって、当時肉じゃがは必ずしも魅力的な一品でもなかった。「もっと食べんとあかんで」と言われたのに、少し食べてすぐに唐揚げを頬張っていた。 今、おばあちゃんは88歳になった。腰は少し曲がり、足取りも遅くなったが、当時と変わらないレシピで、変わらない味の肉じゃがを作ってくれる。ずいぶん大人にならないとこの魅力がわからなかったけど、いつだっておばあちゃんは自分のためを思って料理を作ってくれていたんだと気づかせてくれる真心のこもった味だった。 おばあちゃん、ごめん。そして、ありがとう。

山田いちろう さん

遠野のジンギスカン

ある夏、一人旅で岩手へ行った。 岩手で働いていた人から話を聞いてぜひいきたいと思って。 宮沢賢治も大好きだし、岩手についた瞬間から、大きな岩手山が見えて、ああ、賢治の風景だ、と思ってワクワクした。 一人で花巻も龍泉洞もいった。 当時一日二通しかなかった電車で遠野にいき、岩手を勧めてくれた友人おすすめの遠野のジンギスカンを一人で食べた。 なぜ遠野といえばジンギスカンなのか、いまだにわからないけど、社会人になって数年、必死で休みもなく働いてきて、やっと一息ついて初めてしっかりとれた夏休みのジンギスカンは、とてもおいしかった。 おいしいね、と言える相手がいないことがさみしくもあったけど、この旅は一人がよかったんだろうと思った。

もいもい さん