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おじいちゃんと焼きまんじゅう
夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。
加藤 さん
カンボジアのバス停とフライドライス
大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。
アジアの純真 さん
ぷーぱっぽんかりー
スコールが降りやんだばかりのむっとするバンコクで、仕事を終えた後、先輩、後輩と「メシに行こう」と市内へ。おススメのお店があるからと彼らに連れていかれたのはソンブーンというシーフードのお店だった。ここの「ぷーぱっぽんかりー」ってカレーやばいから、と自信満々。ぷーぱっなんとかって呪文みたいだな、よどみなくメニュー名を読み上げる感じが通ぶってんな、そもそもこの2人そんなに食通だったか?と訝しみつつカレーを待った。やがて大皿がテーブルに運ばれてきた。ぶつ切りされた大きいカ二がどーん!と真ん中に盛られ、そこにスパイス香るややスーピーなカレーがさーとかけられ、その上にふわとろっとたまごがとじられている。パンチ強いビジュアル。確かにうまそうだ。どうよ、とおらついた様子でニヤついている2人に苛立ちをおぼえつつ、いざ食べ始めるともう止まらない。めちゃうまい。くせになる。何も話せない。カニの殻がもどかしいいけど、どうでもいい。気が付けば3人が無言で「プーパッポンカリー」をがっついていた。食後「うめーよな」と先輩に言われ、「サイコーっすね」とここは完敗を認めざるを得なかった。同じ皿の「プーパッポンカリー」を食べた先輩、後輩とはその後も長ーい付き合いが続いている。
ヒロ さん
誕生日のごちそう
誕生日の時にお母さんは毎回私が好きなご飯を作ってくれます。ローストビーフが食べたいと言うとお母さんはローストビーフを作ってくれます。それがすごく嬉しくて大切な思い出です。
ふうまる さん
挫折を救った通学路のチキン南蛮
最近、お昼ごはんにはよくチキン南蛮定食を頼む。学生街の安い定食屋に入って、20代が食べるような大盛りのご飯と一緒に、たっぷりタルタルソースのついたチキンを頬張る。 最近、お腹が出てきてすこし嫁さんに健康を心配されてきた。ただ、ここで食べるチキン南蛮は僕が昔食べていたものとは少し違う。それがより一層、郷愁を駆り立てる要因となる。あぁ、故郷で食べていた本場のチキン南蛮が食べたい。唐揚げにたっぷりタルタルソースをかけた学生向けの味も美味しいが、やはり宮崎の味が恋しい。 高校時代、僕は学校に行くのが苦手だった。1学年に1クラスしかない地元の中学校では、1番を譲ったことはない。親族には一族始まって以来の「神童」と言われ、片道1時間かかる進学校にも合格した。しかし、そこに入ってから、自分が井の中の蛙だと知る。僕は周囲の期待と自身の能力の乖離に悩み、学校にいく足取りが重くなった。そんな僕を学校に行かせてくれたのが、通学路にあったチキン南蛮のお店だった。 ぼくは月に1回の贅沢として、そこでご飯を食べるのがとても楽しみだった。溶き卵でといたフワフワの衣を、あま〜い南蛮酢につけた大きな鶏むね肉。そこに特製のタルタルソースが絡まる甘く上品な味わいが、なんとか辛い学校へ行くエネルギーになった。 いまは学校で苦しんだものの、東京の有名大学になんとか入って、なんとか大手企業に勤めている。あくせく働く日々の中でも、食事のときだけはやはり、故郷で過ごした青春の日々は人生から切り離せないのだと感じる。年末、帰省したらあの店にまた行ってみよう。
oda さん
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友達のおばあちゃんの味噌おにぎり
小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。
ながらぼ さん
伊豆大島のうつくしいべっこう丼
去年学生時代の友人と訪れた伊豆大島。東京竹芝埠頭から夜間の大型客船の波に揺られ、朝方到着したのは自然が壮大な島の景色でした。まだ眠い目をこすりながら朝ごはんのお店を探すと、港の近くに小ぢんまりとした定食屋さんを発見。朝早い時間にも関わらく笑顔で店主さんが迎え入れてくれ、オススメされた「べっこう丼」を注文することに。 伊豆大島の郷土料理という「べっこう丼」は、新鮮な白身魚をお刺身をピリリと辛い島唐辛子入りの醤油だれに漬け込んで丼仕立てにしたもの。朝ごはんにもぴったりなおいしさに感動していると、「すごく簡単だからお家でも作れるよ」と丁寧に作り方を教えてくれるやさしい店主さんでした。
らじぱんだ さん
おこげで学んだ母親の優しさ
中学校の修学旅行で、仲の良い友達同士の班で飯盒炊爨に挑戦しました。料理なんてしたことのない悪ガキたちでは綺麗にご飯が炊けるはずもなく、お米は真っ黒焦げに。でも、僕たちにはそれが妙においしく感じられ、家に帰ってからも母親に"おこげ"を注文しました。「あんた、家では焦げを作る方が大変なのよ」と一度は断られたものの、不貞腐れる僕を見て"おこげ"のある焼きおにぎりを作ってくれました。時が経ち、家庭を持って料理をするようになると、母親の気持ちが分かるようになりました。母親を見習って、息子からの料理のリクエストにはなるべく応えるようにしています。
こしらず さん