福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん
母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。
うめしそおくら
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カンボジアのバス停とフライドライス
大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。
アジアの純真 さん
給食が嫌いだった
給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない” ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。
ペパーミント さん
みそかやきって知ってる?
子どものころ「みそかやき」が大好きだった。大きなホタテ貝の上にネギと卵と味噌を混ぜて火にかけて、ぐつぐつしたのをご飯にかけてよく食べた。引っ越してから、はじめてみそかやきが全国区の食べ物じゃないことを知った。あと、ほんとのみそかやきにはホタテも入っていることも。多分昔は、節約のために貝がはいってないみそかやきがよく出てたのかな。「殻の上で焼くのに貝ははいってないの?」と聞いたことがあったけど「殻のだしを食べるもんだ」と言われた記憶がある。なんにしても、子供のころの大好物だった。
団長 さん
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ジャージャー麺が好きな人
小学生のとき、ずっと好きな人がいた。彼はジャージャー麺が好きだったから、給食の献立にジャージャー麺と書いてあると、大きな声で喜んでいた。私はその決戦の日にできるだけ給食当番になり、さらに、麺担当になるべく画策した。 いざ配膳のとき、彼は「ねえ、多めでお願いします」と冗談らしく声をかけてきたが、私はクールぶった対応をした。隣に並ぶ同級生と彼がふざけ合う間、私は、彼の分のジャージャー麺を、贔屓にならない程度、気持ち多めによそった。 「あれ、ちょっと多くね?」と気づいてくれないかなあ、とソワソワしながら、彼が隣のスープを受け取りに横にずれるのを視界の片隅で見ていた。
さり さん
食パンとバナナとナイフ
お父さんがいつも美味しそうに食べてる朝ごはん。食パンを焼いて、ナイフでバナナをスライスしてパンの上に並べたやつ。時々もらうけど、特別美味しくはない。うん、パンとバナナだよねって感じ。 聞けば、昔外国で働いてた時によく食べてたお父さんにとっては、思い出の朝ごはんらしい。 目の前にいるお父さんにも、私が知らない若い頃があったんだなって思えて、なんか不思議になる朝ごはん。
パンだ さん
父が作ってくれたスクランブルエッグ
私が受験生だった時 夜中に「お腹空いた」と言うと父がお酒を飲みながら作ってくれた。 「半熟加減が難しいんだぞ〜」と解説しながら作る父。 美味いだろ〜!って言う父の笑顔が大好きだった。 今では私が作ったこのスクランブルエッグを旦那と子供が笑顔で食べる。 その笑顔を見ると父を思い出す。 皆元気だから天国で見守っててね。
kenchicoクッキング さん
瀬戸内海と尾道ラーメン
帰省のたびに食べる尾道ラーメンは、高校生のときから変わらない味。 毎年、お盆やお正月、帰省のタイミングで食べに行くけれど、ランチ時はいつも満席なので、帰省の期間中に食べられるかどうか。。。 瀬戸内海の潮風の匂いと一緒に思い出す、こってりした醤油味。
カモメと猫 さん
みそおにぎり
自分の地区では、おにぎりの外側に味噌をまんべんなく塗った味噌にぎりを食べます。特徴は焼かないこで、炊き立てのご飯に味噌を塗るだけです。冷や飯でも美味しいですが、 この食べ物は自分が子供のころから、おやつがわりにおばあちゃんがよく作ってくれました。 この味噌にぎりを一番美味しいと思ったのは、高校の時です。私の通っていた高校では一昼夜を通して80km強の距離を歩く「強歩」というイベントがありました。1日目の朝に出発し、那須・大田原あたりをぐるっと回るこの強歩はかなりきつく、次の日の昼に終わった時には本当に立ち上がれないくらいに疲れ切ってしまいます。これを三年間、毎年私は最後まで完歩しました。 一年目の強歩が終わってへろへろの状態で家に帰ると、おばあちゃんが「疲れたろ」と言い、この味噌にぎりを作ってくれました。高校になってから部活も勉強も忙しく、おやつを食べることも少なくなっていた私にとって、それは久々の味噌にぎりでした。なんだこんなもの、と思いながらも食べると、それは疲れと空腹もあって、人生で一番美味しかった味噌にぎりでした。 あっという間に平らげると、おばあちゃんはもう1つ作ってくれて、それもすぐに食べると3つ目を作ってくれました。「味噌は力になるから」というのがおばあちゃんの口癖で、その時もそれを言っていました。 おばあちゃんはそれからしばらくして施設に入りましたが、味噌にぎりを食べる私を見ながらにこにこ笑っていた顔を今でも思い出します。
栃木のバティストゥータ さん