エピソードをもっと見る
エリアで探す
母親からの仕送り
上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。
ねぶたろう さん
初めてのお弁当は親友と
私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。
せっちゃん さん
挫折を救った通学路のチキン南蛮
最近、お昼ごはんにはよくチキン南蛮定食を頼む。学生街の安い定食屋に入って、20代が食べるような大盛りのご飯と一緒に、たっぷりタルタルソースのついたチキンを頬張る。 最近、お腹が出てきてすこし嫁さんに健康を心配されてきた。ただ、ここで食べるチキン南蛮は僕が昔食べていたものとは少し違う。それがより一層、郷愁を駆り立てる要因となる。あぁ、故郷で食べていた本場のチキン南蛮が食べたい。唐揚げにたっぷりタルタルソースをかけた学生向けの味も美味しいが、やはり宮崎の味が恋しい。 高校時代、僕は学校に行くのが苦手だった。1学年に1クラスしかない地元の中学校では、1番を譲ったことはない。親族には一族始まって以来の「神童」と言われ、片道1時間かかる進学校にも合格した。しかし、そこに入ってから、自分が井の中の蛙だと知る。僕は周囲の期待と自身の能力の乖離に悩み、学校にいく足取りが重くなった。そんな僕を学校に行かせてくれたのが、通学路にあったチキン南蛮のお店だった。 ぼくは月に1回の贅沢として、そこでご飯を食べるのがとても楽しみだった。溶き卵でといたフワフワの衣を、あま〜い南蛮酢につけた大きな鶏むね肉。そこに特製のタルタルソースが絡まる甘く上品な味わいが、なんとか辛い学校へ行くエネルギーになった。 いまは学校で苦しんだものの、東京の有名大学になんとか入って、なんとか大手企業に勤めている。あくせく働く日々の中でも、食事のときだけはやはり、故郷で過ごした青春の日々は人生から切り離せないのだと感じる。年末、帰省したらあの店にまた行ってみよう。
oda さん
お父さんの好物はキャベツ炒め
昔、九州に父が単身赴任をしていたときのこと。父が大好きだった小学生の私は、本気で父と赴任先の家に住みたくて、そのためには料理ができるといいだろうと、父に好物を聞きました。すると回答は「キャベツ炒め」。母に習い、真剣に作り方をメモし、一人で作れるように無事マスター。それでも、赴任先には連れて行ってもらえなかったわけですが……。数年もすれば、キャベツ炒めがとりわけ父の好物だったわけではなく、小学生の私でもつくれるメニューを挙げてくれたということがわかります。キャベツ炒め、美味しいですけどね! 大人になった私は、たまにその頃の私のいじらしさを思い出しながら、リモートワークのお昼にキャベツ炒めをささっと作って食べています。
むすめ さん
お父さんと釣った魚
小さいころに、家族で小豆島に行ったときに、お父さんが急に釣りをしようといって、家族で釣りをした。それまで何度か釣りをしたけど、あんま連れたことがなかったんだけど、この日は小さい魚が何匹か連れて。何の魚か覚えていないけど、宿に持ち帰ってから揚げにしてもらったら、ホクホクでとても美味しかった。釣れた時も食べてるときも、お父さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えている。せっかくの旅行だから、いい思い出を残したくて張り切っていたのかな、と、今思い出していてなんとなく思う。釣りをしていた時にみた海に反射する夕日がとてもきれいだったのとあわせて、なんとなく忘れられない旅の思い出。
sayaka さん
タグで探す
つくってよかったな〜!と思わせてくれる満開笑顔
私は元々料理が得意なタイプでは決してないけれど、気づけば、もう7年ほど、家の料理当番として、子どものため、家族のためにごはんを作り続けている。料理が得意ではないといっても、食べること自体は好きなので、数あるレシピサイトを参照して、涼しい顔を気取りつつ料理に集中すれば、その日食べたいものを作ることができ、食べることができる。日々のごはん作りはそうして乗り切れるけれど、こどもの遠足の日のお弁当作りは時間との勝負だ。いつもよりも早起きをして、お弁当に入れられるくらいには冷ます時間も考慮して、2口コンロ(実際には3口あるが3口目がどうも使いづらい)を駆使して、脳内でシミュレーションしながら手を動かしていく。何度つくっても、同じ組み合わせも良くないだろうと新たなことに挑戦はしてしまう性格なので、毎回、勝負どきなことには変わりない。そうして何回も行事を乗り越えてきたが、初めてのお弁当のときには「時間が足りなくてフルーツだけ残しちゃった」なんてしょぼんとしながらお弁当箱を渡してきたこどもが、保育園の年長さんになってからは「みてみて!完食だよ」と空になったお弁当箱を見せてくれるようになった。そして、小学生にあがってから学童での夏休みの日々には「お弁当箱、一段じゃ足りないから2つに増やしてほしい」と不服そうに伝えてきた。ああ、この子はお弁当をもっと食べたいと思ってくれてるんだ……! 嬉しさと同時に、その成長に心が動いた瞬間でした。 それからは、一段のわっぱ弁当におかずを詰めて、スープジャーにはメインとなる炊き込みご飯やパスタ、オムライスを詰めて、小さなタッパーにフルーツを入れて持っていくようになりました。時に完食してこないこともあるけれど、持っていく朝、完成したお弁当を「見せて見せて〜」と覗いてくるこどものため、これからも時々、勝負のお弁当作りをがんばります!
おさつチップ さん
甘じょっぱい焼き魚
小学一年生の時、給食で「ミルメーク」が出ました。(牛乳に入れると、あま〜いコーヒー牛乳のような味になるシロップのようなものです。) 初めて見るミルメーク。同じ班の子達と、これどうやって使うんだろう?と相談してもわからず、話し合った結果、魚につけるソースだ!となり、魚にかけて食べました。でも…ん?なんか、甘い…?それでも、皆こういう物なんだ、と疑うことなく食べ進めました。給食を食べ終わり、他の班の子が片付けてる様子をみると…ソースだと思っていたそれは、牛乳に入れるものだと判明。そこで初めて、ミルメークの使い方を知ったのです。今思えば、他の班の子や先生に使い方を聞けばよかったな、と思いますが、当時の担任の先生がとても厳しく、給食中は無駄なお喋り禁止だったため、聞くに聞けなかったのかもしれません。 小学校に入学して間もない頃の給食の思い出でした。
ミチャム さん
給食が嫌いだった
給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない” ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。
ペパーミント さん
特別な卵焼き
私が物心つくときには母と私と弟の3人で暮らしていました。母の収入だけなのでお菓子や玩具は少なかったですが、お弁当だけは毎回大好きな卵焼きを入れてもらってました。我が家の卵焼きは丸いフライパンに卵を広げて半分に畳んだ半月の形のもの。 それを格子状に切って真ん中の厚みがある部分がお弁当箱へ、まわりのパリパリ部分がある所は朝ごはんで食べさせてもらってました。私は卵焼き専用フライパンがあることを大人になってから知りました笑 今でも帰省したときは母の作る特別な卵焼きが大好きです。
羽柴歩 (・∀・) さん
こんなときだから
大学生の頃、悲しい知らせがあって、急に一人暮らしの家を出て、九州の実家に帰省することとなった。自炊が習慣化していた私は、その前夜にたくさんの野菜やお肉・魚類を買い溜めて、一人暮らし用の小さな冷蔵庫をいっぱいにしていた。あまりにも悲しそうな私を見かねて、彼氏が私の家から空港まで送ってくれると言ってくれた。悲しい気持ちを味わい、そして翌朝の出発の準備をしながら、冷静な頭ではその大量の食材をどうにかしないと、という思いがあり、なぜか私は食材を使い切る勢いでごはんを作った。自炊は習慣化していたけれどそこまで手際が良い訳なかった私だが、なぜかそのときはどんどん料理を作った。今思えば料理は一つのセラピーのようで、手元に集中することが心地よかった。彼氏が夜のうちに家に来てくれたとき、テーブルに並んだ大量の食事を見て驚いていたけれど、その夜、その食事を美味しそうに次々たいらげてくれた。私はどこか安心した気持ちで、翌朝、九州に帰省した。
tree さん