台湾の鍋
実は鍋メニューが充実する国、台湾。出張時に仕事仲間から紹介され、ぜひ家族にも教えてあげたいとプライベートでも訪れるほどはまった鍋がある。長白小館というお店の酸菜白肉火鍋。漢字から想像できるように、酸味のある白菜の漬物と豚肉を重ねている。それだけでもおいしそうな見た目なのだが、席から離れたたれコーナーで10種類を超える調味料や具材を組み合わせ、好みのつけだれを調合するのが楽しい。いざ家族を台湾に連れてきてみると、八角の香りが苦手で食べられないメニューもあったが、この鍋は小さな子どもたちにも好評だった。もう10年近く前の家族旅行だが、いまでも振り返ると必ず話題にのぼるハイライトだ。
ヤマ
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田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重
私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。
中田栄角 さん
出張で訪れたフィレンツエで出会った辛いトマトソースのパスタ
初めてのイタリアは出張だった。数年に及ぶ難しいプロジェクトの締めくくりに、ピサ、フィレンツエと回った。最終日に同行した取引先の2人と食べたシンプルなパスタが記憶に刻まれている。唐辛子がぴりっと辛く、にんにくがきいたトマトソースにパセリがちらされたシンプルな見た目。アラビアータかと思ったが、カレッティエラというフィレンツエの名物らしい。見た目より奥深い味わいに舌鼓を打った。毎回打上げは仕事のご褒美だと思っているが、このパスタは格別だった。
よっちゃん さん
ぷーぱっぽんかりー
スコールが降りやんだばかりのむっとするバンコクで、仕事を終えた後、先輩、後輩と「メシに行こう」と市内へ。おススメのお店があるからと彼らに連れていかれたのはソンブーンというシーフードのお店だった。ここの「ぷーぱっぽんかりー」ってカレーやばいから、と自信満々。ぷーぱっなんとかって呪文みたいだな、よどみなくメニュー名を読み上げる感じが通ぶってんな、そもそもこの2人そんなに食通だったか?と訝しみつつカレーを待った。やがて大皿がテーブルに運ばれてきた。ぶつ切りされた大きいカ二がどーん!と真ん中に盛られ、そこにスパイス香るややスーピーなカレーがさーとかけられ、その上にふわとろっとたまごがとじられている。パンチ強いビジュアル。確かにうまそうだ。どうよ、とおらついた様子でニヤついている2人に苛立ちをおぼえつつ、いざ食べ始めるともう止まらない。めちゃうまい。くせになる。何も話せない。カニの殻がもどかしいいけど、どうでもいい。気が付けば3人が無言で「プーパッポンカリー」をがっついていた。食後「うめーよな」と先輩に言われ、「サイコーっすね」とここは完敗を認めざるを得なかった。同じ皿の「プーパッポンカリー」を食べた先輩、後輩とはその後も長ーい付き合いが続いている。
ヒロ さん
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食パンとバナナとナイフ
お父さんがいつも美味しそうに食べてる朝ごはん。食パンを焼いて、ナイフでバナナをスライスしてパンの上に並べたやつ。時々もらうけど、特別美味しくはない。うん、パンとバナナだよねって感じ。 聞けば、昔外国で働いてた時によく食べてたお父さんにとっては、思い出の朝ごはんらしい。 目の前にいるお父さんにも、私が知らない若い頃があったんだなって思えて、なんか不思議になる朝ごはん。
パンだ さん
カミカミ昆布
カミカミ昆布ってご存知ですか? 給食で出たメニューでちょっと甘い味付けの昆布が三本入ったおやつみたいなものです。 私が小学生の頃に出されていたのですが、大人になった今でもふと思い出して食べたくなってネットで購入してしまいます。 他県の友人に聞いてもわからないとのことで私の地域だけ?と思い投稿させていただきました。
トリニード さん
偏食な父が好きなもの
子どものころ、焼き魚が食卓に乗ったことはない。お刺身も、お寿司も。 唐揚げ、親子丼、焼き鳥など鶏肉もめったに食べなかった。肉は牛、次いで豚。これのみ。 母は栄養バランスを考え、子どもたち用に工夫して父と異なるごはんをつくってくれた。大変だったと思う。感謝しかない。 父は偏食だった。元をたどれば父方の祖父が偏食だった。牛肉が好きで、90歳を超えてもステーキをよく食べていた。 週末。父はよくラーメンやそばの出前をとった。月に1回くらい、少し遠出して父がお気に入りの中華そばも食べに行った。ランチはお子様ランチのあるファミレスによく連れていってくれた。ハンバーグ、ステーキ、コロッケ、オムライス、ナポリタン・・・どれも父自身が好きだったから。 平日の夜。ビールに厚揚げ、生ショウガの味噌合え、スルメイカにマヨネーズ(唐辛子かけ)などをアテにしていた。下戸なのに。ちびちびと吞んでいた。 ああ、結局ぜんぶ好きになったものばかり。ただ、焼き魚もお刺身もお寿司も大好きになった。好みは受け継いだが、私は偏食家ではない。
あっちゃん さん
オバァの作る沖縄そば
沖縄の北の果て・辺戸岬のオバァの家に訪れると、台所の方から何やら美味しそうな香りが漂っている。 匂いの出所の大鍋をのぞくと、黄金色のかつおだしと、大量の三枚肉(ラフテーのこと)とソーキ(スペアリブのこと)が顔をのぞかせた。これだけで、今日のお昼は「沖縄そば」だと確信できた。 「朝の7時からもう4時間は煮込んでるから、そろそろ最後の仕上げさぁね」 鍋をのぞく私にそう告げると、オバァは肉をどけて残ったスープをやかんに移し替える。 「お味噌汁やすまし汁はずうっと鍋で煮ているのに、沖縄そばのスープだけは、どうしてわざわざやかんに移すわけ?」 幼いころから長年疑問に思っていたことが、ふと、こぼれてしまった。 「肉の脂が溶けすぎてもダメ、スープが濁るし、肉の味もまずくなる。やかんに移せばそれを防げるし沸騰もしやすい」と、しわくちゃな笑顔と優しい声でそう告げるオバァを見た後で食べるそばは、いつになく優しい味がした。
ゆでたまご さん