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給食のずんだ春巻き
小学校の給食で、名産のずんだの春巻きがよく出ていた。とくに美味しい!というわけじゃないんだけど、ずんだ春巻きが給食に出た日は、おかわりの取り合いのじゃんけんが異常に盛り上がったのを覚えてる。なんだったんだろう、あの熱気は。
えだまめ さん
おじいちゃんと焼きまんじゅう
夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。
加藤 さん
給食のわかめごはん おにぎり
中学の給食の時の話です。 わかめが入ったご飯が主食として出たのですが、その日はご飯がかなり余ってしまいました。そこで担任の先生が余ったわかめご飯を小さいおにぎりにして食べれる人に配ってくれました。 小さい一口サイズのおにぎりで、小ぶりな感じがなんだか愛おしかったのを覚えています。
ポンデと さん
みそピー
給食にときどき出てきたみそピーは、味噌と砂糖とピーナッツを練り合わせた、少し甘くてしょっぱい食べ物で、小さなビニールのパッケージに入っていた。私は甘いとしょっぱいを同時に感じるのが嫌で、なんとなく苦手だった。それなのに、給食と言えば思い出されるみそピー。大人になった今なら、美味しく感じたりするのだろうか?
よく噛んで食べよう さん
妻とはじめて喧嘩した青春のフグ刺し
九州と本州を結ぶ関門橋がある街、下関市。そこにぼくは生まれ育ち、今年からまた、ここで働いている。高校までずっと地元で過ごしてきた僕は、大学進学を機に山口市内の大学に進んだ。教員採用試験に受かってこの春、4年ぶりにこの現地の学校に帰ってきて教師になった僕は、週末になるといつも関門海峡が見える市場に出かける。海を眺めながらイキのいい海鮮を食べる。その中でもやはり、フグは僕に取っては避けられない、小さい頃から慣れ親しんだ味だ。どんな店で食べるご飯よりも、ここで食べるフグ刺しに勝るものはない。大学時代、男らしさを見せるために広島出身の彼女を地元に連れてきて、ふぐ差しを箸で一気にすくって豪快に一口で食べたらドン引きされ、大げんかしたことがあった。それも淡く切ない青春の思い出だ。当時と同じように、市場で買ってきたフグを箸で一気にすくう。口いっぱいに頬張り、幸せを噛み締める。その隣には、大学時代と変わらない笑顔と、太陽に反射した金属のリングが光って見えた。もうすぐ僕は結婚する。結婚してからも、子どもができてからも、僕は当時と変わらないこの味を、大好きな地元で、大好きな家族と一緒に味わうだろう。
たっき〜 さん
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おじいちゃん特製肉じゃが
良く、おじいちゃんを思い出す味。 土日休みに、おじいちゃんちにいくと作ってくれた。 じゃがいもの形がいびつで、不器用ながらだしを使って作ってくれた肉じゃが。 私が好きなじゃがいもとお肉をたっぷり入れてくれた。 おじいちゃん特製の肉じゃがだ。
あしゅしゅ さん

イタリアンソーダ
学生時代、近くにお気に入りのカフェがあり、そこでイタリアンソーダというものを初めて飲んだ。炭酸に好きなシロップを選んで入れる。たくさん味の種類はあるけれど、どれも氷がたくさん入って、少し薄くて淡い味わいのイタリアンソーダ。少し奮発して(コンデンス)ミルクを足すのが、お金がない学生生活のひそかな贅沢だった。お気に入りはココナッツシロップにミルク。日本では見かけたことがないけれど、今飲んでも当時と同じくらい美味しく感じるのだろうか。
イーグルス さん
隣のクラスの秘密のメニュー
うちのクラスは元気一杯。給食が残ることはあまりなかった。ある日、下の学年の子の話を聞くと給食が残りがちだと。それはもったいないと米所の自分は心配したが、新任の先生が、テーブル塩で握ってくれると、余ったお米はあっという間に大人気おにぎり屋さんを通して売り切れるようになったと聞いた。 茶碗によそる前から「お減らししてください」と言っていた子まで、食後?の握りたておにぎりは欲しくなるらしく。先生、上手いことやってるなぁ。 ちょっと羨ましかった思い出🍙✨
忍冬(すいかずら) さん
福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん
母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。
うめしそおくら さん