アフリカの夜とエチオピア料理

アフリカのタンザニアで食べたエチオピア料理が忘れられない。父親の運転するバイクの後ろにしがみつきながら向かった道中も、巨大なバオバブの木に囲まれて、夜の野外で力なく光るランプだけの薄暗い風景も、よく覚えている。シンプルな薄味の料理が多かった中で、スパイスがたっぷり使われたエチオピア料理は格別に美味しく感じられ、クーラーのない熱い野外のレストランで、夢中になって食べた。立派なレストランとかよりも、時間を経て大事な家族の思い出になった体験だった。

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  • 家族のごはん
  • 忘れられない旅ごはん

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母のたわらおにぎり

社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。

町工場のむすめちゃん さん

茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

6か月後の誕生日ケーキ

大学生になって誕生日は友達と過ごすようになった。クリスマスが誕生日の私にとって、誕生日を祝う=25日を家族で過ごすことになる。それがなんだか恥ずかしかったし、ケーキをわざわざ用意してもらうのもなぜか申し訳なかったのだ。だから、誕生日ケーキは断っていた。しかし、私の誕生日から6か月後のある日、母がホールケーキを買ってきた。しかも私の大好きなアイスケーキ。理由を聞くとお祝いできなかったことが母の中でもずっと気にかかっていたらしい。それを聞いて、自分の都合で母のお祝いしたいという気持ちをないがしろにしてしまっていたことに気づいた。6ヶ月過ぎてしまっていたけれど、その日ケーキを食べて初めて自分が誕生日を迎えた実感がわいた気がした、

スキュラ さん

思い出の椎茸と鍋焼きうどん

夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった  みんなで鍋の準備をしている時  私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった  不細工な椎茸を見てみんなが笑う中  初対面の夫がこう言った  『伸びしろがあってええやん』  ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた  夫と結婚して十五年  人生色々あるけれど  理解のある優しい夫に救われる事は多い  父としても申し分ない  そして  椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は  毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった  人は誰しも伸びしろしかない  努力は必ず報われる  そんな事を思いながら  今日もごはんを作る

shufuおうちごはん さん

気難しい母が笑う体育祭

私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。

かもめコップ さん

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給食が嫌いだった

給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない”  ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。

ペパーミント さん

おかわりした漬物サンドイッチの衝撃

いまから20年前。 ホーチミンの現地法人オフィスでベトナムの仲間たちとたどたどしい英語でミーティングしていた。 ディスカッションが長くなりショートブレイクを入れたタイミングで、フードデリバリーで軽食を頼んでくれるという。 いまでは日本でもすっかり有名になったバインミーがずらっと並んだメニュー表を渡されたが、彼らのおススメに従った。 パクチーが苦手でアジア・エスニック料理全般避けがちだった私は、届いたラップをおそるおそる開き、はしっこを小さめにかじってみた。 驚いた。フランスパンの間に肉と酸っぱいおしんこ?なます?が入っている。洋のものに和のものがはさまった、ベトナムのサンドイッチ?ほんの一瞬頭が混乱したが二口目からはもう夢中だった。 あんまりおいしくてつい調子に乗り、追加発注してもらえないかおねだりしたら喜んで発注してくれた。1個追加をお願いしたのに2個届いた。そして追加分の中には苦手なパクチー入りのものもあったがすべておいしくいただいた。 ベトナムの仲間たちのうれしそうな顔を覚えている。元気にしているだろうか。

チャン さん

瀬戸内海と尾道ラーメン

帰省のたびに食べる尾道ラーメンは、高校生のときから変わらない味。 毎年、お盆やお正月、帰省のタイミングで食べに行くけれど、ランチ時はいつも満席なので、帰省の期間中に食べられるかどうか。。。 瀬戸内海の潮風の匂いと一緒に思い出す、こってりした醤油味。

カモメと猫 さん

みそかやきって知ってる?

子どものころ「みそかやき」が大好きだった。大きなホタテ貝の上にネギと卵と味噌を混ぜて火にかけて、ぐつぐつしたのをご飯にかけてよく食べた。引っ越してから、はじめてみそかやきが全国区の食べ物じゃないことを知った。あと、ほんとのみそかやきにはホタテも入っていることも。多分昔は、節約のために貝がはいってないみそかやきがよく出てたのかな。「殻の上で焼くのに貝ははいってないの?」と聞いたことがあったけど「殻のだしを食べるもんだ」と言われた記憶がある。なんにしても、子供のころの大好物だった。

団長 さん

割るオムライス

あまり料理をしない父が、唯一得意にしていたのが、卵をのせて最後に包丁で割るとトロッとひらくオムライス。何かのテレビで見てつくったところ、「プロみたい!」と家族に褒められ、気をよくした父は、ことあるごとにそのオムライスを披露してた。今思うと、きれいに包む方が難しい気もするけど、あのオムライスは、いなかの我が家の食卓にあって、ダントツでおしゃれで、何だが幸せな味がした。わかっていても、割れた瞬間「おぉ・・・!」とみんなで歓声をあげて、そのたび父はとても自慢げだった。

タマゴ さん