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給食が嫌いだった
給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない” ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。
ペパーミント さん
友達のおばあちゃんの味噌おにぎり
小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。
ながらぼ さん
これだけは食べたい雑炊の話
母は料理をしない人で、ほとんど外食や惣菜を買ってきていた。ただ、唯一、自分の手で作ってくれるのが冬に食べるお鍋でした。私は無限に具が追加されるような夜のお鍋も好きだったけれど、我が家では、翌日にそのお鍋でつくってくれる雑炊が格別でした。いろいろな旨みが染み込んだ鍋地に、卵がやわらかくとろけて、ごはんがハフハフ。片手鍋いっぱいにつくった雑炊を何度もお代わりして、絶対に食べ切っていました。そのおかげで、何度か学校に遅刻しそうになったくらい…… お鍋の日の翌朝、冬なのにお腹がたっぷりの雑炊で温まっている、あの嬉しい気持ちを冬になるとよく思い出します。
ぎゅうすけ さん
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毎年一度のすき焼きパーティ
毎年、年末年始の帰省を楽しみにしている。 我が家の1月1日はすき焼きパーティが開催される。 年に一度、元旦だけのすき焼き。 それも霜降りな高級肉だ。おかげさまで毎年最高な1年のスタートを切れる。 時は経ち、それぞれが家族を持ち、別々で元旦を過ごすことも多くなった。その中で、家族全員が揃ってのすき焼きはなくなってしまった。 でも、みんな、すき焼きが食べたい。 そんな食い意地から、1月2日、1月3日と、それぞれの家族と両親で、2daysのすき焼きパーティが行われる風習となった。 今は、両親の胃もたれだけが気になっている。
ふるたろ さん
おじいちゃんと焼きまんじゅう
夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。
加藤 さん
遠足で食べた卵焼き
僕は遠足が嫌だった。まるまる太っていて、気が弱く、いつもびくびく過ごしていた。でも、はあはあ息を言わせてやっとお弁当を食べられるようになったとき、食べた卵焼きは何よりも美味しかった。大人になって節制し、スリムになったいま、運動した後に食べたご飯と同じ美味しさを味わえるものには会えていない。嫌だった行事も、そういった楽しみ方があったのだなぁといま、しみじみと実感する。
福知山なるみ さん
ジャージャー麺が好きな人
小学生のとき、ずっと好きな人がいた。彼はジャージャー麺が好きだったから、給食の献立にジャージャー麺と書いてあると、大きな声で喜んでいた。私はその決戦の日にできるだけ給食当番になり、さらに、麺担当になるべく画策した。 いざ配膳のとき、彼は「ねえ、多めでお願いします」と冗談らしく声をかけてきたが、私はクールぶった対応をした。隣に並ぶ同級生と彼がふざけ合う間、私は、彼の分のジャージャー麺を、贔屓にならない程度、気持ち多めによそった。 「あれ、ちょっと多くね?」と気づいてくれないかなあ、とソワソワしながら、彼が隣のスープを受け取りに横にずれるのを視界の片隅で見ていた。
さり さん
ラーメン二郎で飢えを凌いだ学生時代の思い出
秋の夜空を見上げながら歩いていると、黄色い看板が視界に入った。学生時代によく行った、「ラーメン二郎」の看板だった。目線を下げると、若年層を中心に大行列。ああ、20年前は、自分もこの行列に並んで、遊園地のアトラクションのようにワクワクした気持ちで大盛りのラーメンを食べれるのを今か今かと心待ちにしていた。早速入って、小盛りの200gを注文した。当時に比べると食べられる量は減ったけど、変わらぬパンチの効いた濃い味に大学生活の思い出が蘇ってきた。 当時、僕はお金がなかった。親類が一人もいない東京に裸一貫で出てきて、4畳で家賃30000円の激安アパートに住み、アルバイトをしながら大学に通った。給料日の前にはいつも財布にお金がなかったから、ワンコイン近くで食べられた二郎の大盛りを昼に食べて、1日の飢えを凌いだっけ。
企業戦士 さん