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父と山菜
季節になると、父とよく山菜のたらのめを採りに行っていた。中学生ごろになると、父と話すことも見つかりづらくなっていたけど、山道の道中、ぽつりぽつりと会話をしたり、山菜が群生している場所を見つけた時に、一緒に声を出して喜んだのををいまでもよく覚えている。今も父は季節になると嬉しそうに自分で採った山菜を送ってくる。
雪解けしどけ さん
数年経っても家族の話題にのぼる、石垣島の島オクラ
転職前の有給休暇を使って、両親と子どもと行こうと計画した5月の石垣島旅行。 小さい頃は旅行好きの両親に連れられて、国内にも国外にもよく旅行に出たけれど、大学生になってからは友人や恋人との旅行が楽しくなり、親と旅行する機会は無くなった。 だから、みんな揃っての家族旅行は10年ぶりだった。 せっかくだから楽しんで欲しい、楽しみたい。大人になった私が上手にアテンドをして、リラックスしてもらいたい! そして、いざ旅行! 旅行によく慣れた、自分で動いてしまう両親だから、私のアテンドはなんだか空振り気味…。 いつまで経っても両親には敵わないなあ、と思いながら向かった初日の夜ごはんは、 石垣島の食材を使った数々の美味しい島料理が味わえる地元のお店。 石垣島らしさが詰まったメニューから何を頼もうかと目移りするのも楽しい…。 そこで、なんとなしに注文した島オクラ! 茹でて鰹節をかけられただけなのに、普段食べるオクラと違って、ふっくら柔らかく、味はほんのり甘い。 普段食べるオクラは五角形だけど、島オクラはまーるい。 そんなことを両親と子どもと不思議がりながら、「なんでこんなにこのオクラ美味しいんだろう?」とみんなで大はしゃぎ。 なんだ、みんなで、美味しいこと、不思議なこと、驚くことを楽しめばいいんだなあ。 みんなの楽しそうな笑顔を見て、ちょっとふさいでいた私の心もまーるくなりました。 この美味しい島オクラは、旅行から数年経った今でも、ふと家族の会話にのぼる、大事なごはんメモリーです。
すいとう さん
お母さんのカニクリームパスタ
誕生日や特別な日は自分が大好きなカニのクリームパスタにしてくれる両親。2人でカニを買ってきて、仕込んで仕上がる味は絶品。大きくなっても、それがずっと好きだと思って作ってくれる。でも、自分的には「ちょっと飽きてきたかな」と思うけど、毎回得意げに「今日はカニクリームパスタよ」と言ってくる両親の顔を見ると言えないし、愛されているなと改めて感じるそんな”ごはんメモリー”でした。
キュータロー さん
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母の誕生日、ココナッツパンにロールキャベツ
母は日本語を日本人と同じくらい上手に話すが、異国の出身で、出身地の料理が日本にないことをいつも嘆いていた。そのうちのひとつがココナッツパンだった。母の誕生日に、私が「誕生日は何が欲しい?」と聞くと、いつも「ココナッツのパンが食べたい」と答えていた。まだ幼かった私は、ココナッツパンなんて食べたことも無く、ネットで調べても日本語のレシピは見当たらなかった。その代わりに、私の大好物であるロールキャベツを母の誕生日に作って一緒に食べていた。そして、ついに私が15歳、高校一年生のとき、母の誕生日にココナッツのパンを作ってあげようと思い立った。ネットで調べても、日本語で書かれたレシピは見つからなかった。そこで、私は異言語で書かれたレシピを翻訳サイトを使ってちまちま翻訳しながらココナッツパンを焼いた。焼き上がりは自分が見てもなかなか上出来だったと思う。その夜、仕事から帰ってきた母は私の焼いたココナッツのパンを少し涙ぐみながら美味しそうに食べた。「この味だよ、𓏸𓏸(私の名前)これがずっと食べたかったの、本当に美味しいよ」と私を抱きしめた。父の分も含めて多めに焼いたつもりだったが、母は1人で2人分も食べた。母に褒められて嬉しかったのもあって、それから毎年母の誕生日にはココナッツパンとロールキャベツを作って誕生日を祝っている。今でこそもう慣れたココナッツパン作りは、当時の私にとっては大冒険だったことを覚えている。
くろすけ さん
残飯処理班
中学生3年生の時にクラスで給食を残さないようにしようという取り組みがあり、クラスの有志5人(私以外全員男子)で毎日残った給食を完食目指して食べていました。私は野菜担当でしたが全員の配膳が終わりおかわりまで終わると、四角い食缶ごと自分の机に持って行き抱えて食べていました。私は納豆和えが大好きでしたが、人気の無いメニューだったので毎回沢山残っており…大好きなメニューをお腹いっぱい食べられてとても幸せでした。ただ食べ過ぎるとその後の掃除の時間にひびいて大変でした、当時はただの食いしん坊の奇行でした。今こうして思い返してみると、フードロスを最小限に減らせていた上に、私のブラックホールな胃袋まで満たされていたんだなと。画期的な取り組みだったなと思います(笑)男子達と食缶を抱えて食べたあの日々、とてもいい思い出です。
なじゅん さん
妻とはじめて喧嘩した青春のフグ刺し
九州と本州を結ぶ関門橋がある街、下関市。そこにぼくは生まれ育ち、今年からまた、ここで働いている。高校までずっと地元で過ごしてきた僕は、大学進学を機に山口市内の大学に進んだ。教員採用試験に受かってこの春、4年ぶりにこの現地の学校に帰ってきて教師になった僕は、週末になるといつも関門海峡が見える市場に出かける。海を眺めながらイキのいい海鮮を食べる。その中でもやはり、フグは僕に取っては避けられない、小さい頃から慣れ親しんだ味だ。どんな店で食べるご飯よりも、ここで食べるフグ刺しに勝るものはない。大学時代、男らしさを見せるために広島出身の彼女を地元に連れてきて、ふぐ差しを箸で一気にすくって豪快に一口で食べたらドン引きされ、大げんかしたことがあった。それも淡く切ない青春の思い出だ。当時と同じように、市場で買ってきたフグを箸で一気にすくう。口いっぱいに頬張り、幸せを噛み締める。その隣には、大学時代と変わらない笑顔と、太陽に反射した金属のリングが光って見えた。もうすぐ僕は結婚する。結婚してからも、子どもができてからも、僕は当時と変わらないこの味を、大好きな地元で、大好きな家族と一緒に味わうだろう。
たっき〜 さん
畑仕事の後のやきいも祭り
地元では、秋になると畑仕事をした後に、みんなで夕方集まって焼き芋を焼く。 落ち葉を集めてきて、穴をほって、畑でとれたさつまいもをアルミホイルで包んで蒸し焼きにする。 子供達も集まってきて、みんなで談笑しながら食べる。 ほっこりする好きな時間だ。
Q さん
気難しい母が笑う体育祭
私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。
かもめコップ さん