いくつでも食べたらいいよ

私は小さい頃、母方のおばあちゃんっ子で、兄弟は父方のおじいちゃんが大好きでした。だから夏休みや冬休みは兄弟とバラバラに、私は遠方のおばあちゃん家に預けられて一人っ子みたいな気分。その日々は、ずっと甘えてもいい、私も東京から離れて、ぐーっとのびのびできるような時間でした。料理上手なおばあちゃんはいつも好きなものをすぐにつくってくれたけれど、お寿司だけは決まったお店があり、お寿司が食べたい日はそのお店に二人で手を繋いで行きました。そこで「好きなものをいくつでも買って帰ろうね」と言われて、私は大好きな干瓢巻きといなり寿司をお腹いっぱい食べて……。おばあちゃんのやさしい声音を今でもよく覚えています。好きなものを好きな分だけ食べていい、大好きなおばあちゃんがくれる夢のような時間でした。

リラ

  • ふるさとごはん

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どうしても間に合わせたかったプリンケーキ

中学3年生のときのこと。仲良くなった友人の誕生日が土曜日にあって、その子はプリンが大好物で、常々「お腹いっぱいプリンを食べたい」と言っていた。だから、私はなんとしてもその子の誕生日をプリンケーキでお祝いしたかった。そこで、土曜日は午前授業だったので、ある計画を立てた。授業もホームルームも終わり、掃除の時間。友人は生憎、誕生日なのに掃除当番だったので、その隙に…… 私は学校から駅までダッシュ、電車で3駅隣にある、プリンが有名なケーキ屋さんに駆け込み、ホールのプリンケーキを購入し、今度は傾かないように胸の前でそうっと持ちながら、足だけ超ダッシュ。そして電車でまた学校の駅まで戻り、電車から学校の正門から教室までまたダッシュ。そして、掃除当番を終えてのんびり帰り支度をしていた友人の元にケーキをお披露目! 足を止めておいて欲しいとお願いしていたクラスメートの協力もあって、無事に、友人にホールのプリンケーキを届けられました。「ええ〜!!?」と大喜びしてくれた友人の前で、しれっと涼しい表情でハッピーバースデーを歌いました。 今振り返ると、一緒にケーキを食べに行けばよかったんじゃないか、とか、サプライズにしなくても喜んでくれたんじゃないか、とも思うのですが、誘うのではなく、仲良しになったその子に何かを贈るぞ、という気持ちが強かったように思います。人生であんなにダッシュして頑張ってお祝いしたお誕生日は、あの日だけです。

すいすい さん

思い出の椎茸と鍋焼きうどん

夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった  みんなで鍋の準備をしている時  私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった  不細工な椎茸を見てみんなが笑う中  初対面の夫がこう言った  『伸びしろがあってええやん』  ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた  夫と結婚して十五年  人生色々あるけれど  理解のある優しい夫に救われる事は多い  父としても申し分ない  そして  椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は  毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった  人は誰しも伸びしろしかない  努力は必ず報われる  そんな事を思いながら  今日もごはんを作る

shufuおうちごはん さん

出張で訪れたフィレンツエで出会った辛いトマトソースのパスタ

初めてのイタリアは出張だった。数年に及ぶ難しいプロジェクトの締めくくりに、ピサ、フィレンツエと回った。最終日に同行した取引先の2人と食べたシンプルなパスタが記憶に刻まれている。唐辛子がぴりっと辛く、にんにくがきいたトマトソースにパセリがちらされたシンプルな見た目。アラビアータかと思ったが、カレッティエラというフィレンツエの名物らしい。見た目より奥深い味わいに舌鼓を打った。毎回打上げは仕事のご褒美だと思っているが、このパスタは格別だった。

よっちゃん さん

故郷の味チキン南蛮

学生時代  好みのチキン南蛮を探しに良く食べ歩いた  鶏むねvs鶏もも  タルタル有vs無  甘酢を浸すvsかけるvs甘酢でチキンを煮る  いろんなチキン南蛮を食べてきた  そんな私のチキン南蛮  最近はカロリー気にしてマヨは控えめ  米酢・紅生姜・ごまは我が家の定番  さっぱり食べられる  我が家はむね肉  小麦粉を下地に卵液の衣をつける  部活の大会前 受験前 お祝いごと  事あるごとに、食べてきた  甘酢を絡めて、さらに煮詰めた甘酢をかける  タルタルをかけて、完成  思い出の味  我が家のチキン南蛮 

mabo さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

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小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん

母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。

うめしそおくら さん

給食が嫌いだった

給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない”  ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。

ペパーミント さん

茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

学生時代に作った大量カレー

学生時代ってホントお金ないですよね  なんでね もうホント食べるのもね  どうしようかなって結構考えたりしますよね  ってことで私の場合はですね  カレーとかシチュー またおでんや肉じゃが  そういう煮物系をですね  一度にいっぱい作りまして  それでね もう一週間ずっと食べ続けているっていうのをありましたね  途中でね 少なくなってきましたら  また作って継ぎ足してって感じでね  もうそれだったら違うの作れよって感じなんですけれどもね  もうホント一週間カレーだったり一週間シチューとかね  一週間ずっとおでんだったりとかね してましたね でもね なんか飽きなかったんですよね  やっぱり好きなものって飽きないですよね

サンロード さん