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お父さんのスクランブルエッグ

家族とごはんの思い出に溢れた、数々の投稿動画の中から「父と娘の物語」は私自身の思い出と重なるところもあり、1つを選ばせて頂きました。
「ごはんメモリー」として、素敵な作品に描いていけたらと思います。

★★★

『お父さんのスクランブルエッグ』の思い出がアニメ作家・Reonさんにより素敵なショートアニメになりました!

背景イラスト:pasoputi
https://twitter.com/pasopuchi

キャスト:
娘 渡谷美帆

父 ハドウ
https://twitter.com/harddeluxe

音響・音楽:ヨナヲスナヲ(Oncan,Inc)
https://oncan.tokyo

原作投稿者:kenchico08

監督・制作:Reon
https://twitter.com/reon_282

プロデューサー:小暮 泰斗 in association with Xenotoon Inc.
https://xenotoon.com

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Original Episode

父が作ってくれたスクランブルエッグ

私が受験生だった時  夜中に「お腹空いた」と言うと父がお酒を飲みながら作ってくれた。  「半熟加減が難しいんだぞ〜」と解説しながら作る父。  美味いだろ〜!って言う父の笑顔が大好きだった。  今では私が作ったこのスクランブルエッグを旦那と子供が笑顔で食べる。  その笑顔を見ると父を思い出す。  皆元気だから天国で見守っててね。 

kenchicoクッキング さん

  • 学生時代
  • 家族のごはん

Comic

Reon

アニメクリエイター。自主制作アニメからMVまで様々な作品を制作。三月のパンタシア「君の海、有機体としての青」ライブ映像制作、ずっと真夜中でいいのに。「綺羅キラー」制作に参加するなどの実績をもつ。

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スコールが降りやんだばかりのむっとするバンコクで、仕事を終えた後、先輩、後輩と「メシに行こう」と市内へ。おススメのお店があるからと彼らに連れていかれたのはソンブーンというシーフードのお店だった。ここの「ぷーぱっぽんかりー」ってカレーやばいから、と自信満々。ぷーぱっなんとかって呪文みたいだな、よどみなくメニュー名を読み上げる感じが通ぶってんな、そもそもこの2人そんなに食通だったか?と訝しみつつカレーを待った。やがて大皿がテーブルに運ばれてきた。ぶつ切りされた大きいカ二がどーん!と真ん中に盛られ、そこにスパイス香るややスーピーなカレーがさーとかけられ、その上にふわとろっとたまごがとじられている。パンチ強いビジュアル。確かにうまそうだ。どうよ、とおらついた様子でニヤついている2人に苛立ちをおぼえつつ、いざ食べ始めるともう止まらない。めちゃうまい。くせになる。何も話せない。カニの殻がもどかしいいけど、どうでもいい。気が付けば3人が無言で「プーパッポンカリー」をがっついていた。食後「うめーよな」と先輩に言われ、「サイコーっすね」とここは完敗を認めざるを得なかった。同じ皿の「プーパッポンカリー」を食べた先輩、後輩とはその後も長ーい付き合いが続いている。

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