みんなから集まったごはんの思い出
投稿エピソード一覧
全153作品
初めての冷凍チャーハン
私は母から虐待されて育ちました。毎日毎日言葉の暴力と体の暴力。 自由もなく生きながら死んでるような毎日でした。 高校生になり初めて友達ができました。在学中は出かけたりすることは叶わなくて日々の学校との往復だけで20歳になりました。 その友達は遠方の大学に進み、私は身一つで家をでました。 そんな大学一年の年、友達の下宿先に数ヶ月身を寄せました。 夜ご飯は友達が用意してくれた冷凍チャーハン。私は見るのも食べるのも初めてで一口食べました。 その途端涙が溢れ出ました。今までの辛かった気持ちや友達の優しさ、チャーハンの温かさ、いろんな感情がごちゃ混ぜになって私を泣かせました。 あれから30年一人娘を授かりとても幸せです。 でも冷凍チャーハンを食べるたびにあの日の涙や友達の驚いた顔が浮かぶのです。
にこもこじゅん さん
韓国留学のタッカンマリ
韓国に留学していたころ、タッカンマリという鶏がまるまる1匹入ってる鍋が流行っていた。よく語学学校の友だちとお店でタッカンマリを食べていた。 日本に帰ってくると、語学学校の友だちとはなかなか会えなくなっていった。大阪や広島、福岡、日本だけではなく、アメリカ、ドイツ、オランダ海外の友だちも自国に帰っていたから。 ある日、新大久保を歩いていたら、タッカンマリ屋があった。かなり珍しい。あまり期待しないでタッカンマリを注文した。ひとくち食べてみると、あの味だった。 あのときにしか会えない集まれないみんなと、また会えた気がした。
ゆう さん
不器用なチャーハン
当時一人暮らししていた私。 土曜日、仕事が終わり家へ帰ると優しい声で「おかえり」と彼氏が出迎えてくれると同時にキッチンから香ばしい匂いがしてくる。 しばらくして疲れた私の目の前に出してくれるのはチャーハンだった。 彼氏はチャーハンだけは得意、と言っていた。 けれども実は私はチャーハンが苦手だった。 そんな事は口を裂けても言えないので一生懸命に作っていたチャーハンを一口食べた。 ご飯の硬さが所々で違ったり、味も所々濃かったり薄かったり……。 でも頑張って作ってくれたチャーハンはすごく美味しくてこの日を境に苦手な食べ物ではなくなった。 月日は流れて私は彼と結婚した。 私がパートの日で旦那が休みの日はチャーハンを作ってくれる。 以前より上手く作れて旦那は自画自賛をし、満足している。 私も今度チャーハンの作り方を教えてもらおうと思う。 追伸、旦那よ料理のレパートリーもうちょっと増やしてください……
みー さん
旅行好き一家の宴会
私の家族は、父母兄私妹の5人構成。両親は旅行先で出会ったくらいの旅行好きだったので、私たち子どもが小さい頃から、よく旅行に連れていってくれました。行き先は国内から海外まで様々でしたが、子ども心に、非日常な光景や文化、食事、ちょっと大人ぶったような振る舞いを楽しんでいました。ただ、子どもたちが小さいと大人は夜遊びができないですよね……。そんな中、パワフルな母は率先して、地元スーパーやコンビニで「宴会のつまみを買え〜〜!」と子どもたちに指令を出し、私たちは夜、部屋で宴会をするためのおつまみやお菓子をたくさんカゴに入れました。もちろん食べ切れる範囲で、ではありますが、その日はどんなに買っても大丈夫! 食事を終えてお風呂にも入ってから、部屋で家族5人、子どもはジュースを、大人はお酒を手に、わいわい楽しんだ宴会をよく覚えています。大人になってから思うと、両親は旅行先の夜も楽しみたかったんじゃないかな〜と思うのですが、それでも私たちと一緒に楽しむことを選んでくれたのかなあと思っています。
RHODIA さん
同僚彼氏とのおつかれごはん
会社の同僚と付き合っていたときのこと。帰り際にくる「今夜、乾杯する?」の誘い文句。ビールの絵文字で元気に応えて、彼の家に集合! 彼は料理上手なので短い時間でもサッと料理を出してくれる。かたや、私はお酒担当。美味しそうな日本酒、ワイン、果実酒サワー。その日のごはんに合いそうなお酒をちょっといいスーパーで見繕って買って行く担当。そして、ちょっと遅い時間、元気にふたつのグラスを重ねての「お疲れ様ー!かんぱーい!」は至福のときでした。そんな日々から10年経った今は、子どもたちが眠った後、二人だけで(子どもたちを起こさないように)静かに乾杯をしています。
ぐうぐう さん
こんなときだから
大学生の頃、悲しい知らせがあって、急に一人暮らしの家を出て、九州の実家に帰省することとなった。自炊が習慣化していた私は、その前夜にたくさんの野菜やお肉・魚類を買い溜めて、一人暮らし用の小さな冷蔵庫をいっぱいにしていた。あまりにも悲しそうな私を見かねて、彼氏が私の家から空港まで送ってくれると言ってくれた。悲しい気持ちを味わい、そして翌朝の出発の準備をしながら、冷静な頭ではその大量の食材をどうにかしないと、という思いがあり、なぜか私は食材を使い切る勢いでごはんを作った。自炊は習慣化していたけれどそこまで手際が良い訳なかった私だが、なぜかそのときはどんどん料理を作った。今思えば料理は一つのセラピーのようで、手元に集中することが心地よかった。彼氏が夜のうちに家に来てくれたとき、テーブルに並んだ大量の食事を見て驚いていたけれど、その夜、その食事を美味しそうに次々たいらげてくれた。私はどこか安心した気持ちで、翌朝、九州に帰省した。
tree さん
卵型のゼリー
小学校の校外学習が誕生日と被った3年生の秋。その日のお弁当はいつもと違って特別でした。卵に小さな穴を開けて中身を出して、中にゼリーを入れて母特製のバースデースイーツを作ってお弁当に入れてもらいました。遠足の外で食べるお弁当というだけで、いつもより特別なのに、今日はさらに特別。そしてお友達からもおめでとうと言ってもらい、ご機嫌。一緒にレジャーシートを広げて食べた子たちからはいいなぁと羨ましがられ、ちょっぴり得意気。食べたらすすぎきれなかったのか、少し卵の味が残っていたゼリーでしたが、嬉しかったです。素直じゃないので、帰宅後、きちんと母にありがとうを言えなかった記憶がありますが、ちゃんと伝えれば良かったなぁ。母からの愛を感じました。10年以上前に他界していて今はもう会えない母に感謝です。素敵な美味しい愛情たっぷりのお弁当をありがとう。美味しかったよ!またいつか食べたいよ〜。
へなちょこぴーまん さん
哀しいくらい君が好き
僕の間違いは、君を僕のもとから離してしまったことだった。地元で教師になる君を振って、僕は自分の夢を追うために他県に進んだ。今、夢を叶えて自分の好きな仕事をしているが、心は満たされていない。君が僕のそばにいないからだ。そう思いながら、自分で作った卵焼きを食べた。甘い。甘すぎる。君が作った卵焼きとは随分違うな。高校時代、君が毎日作ってきてくれたお弁当。そこに入っていた酸っぱい卵焼きの味が、今でも恋しい。そう思って、久しぶりに連絡を取ってみた。すぐに返ってきた。向こうも驚いていたようだった。ちょうど別れたところで今、彼氏はいないらしい。今までずっと新たな恋をしようとしても、若き日の僕が心の中にいて長続きしなかったそうだ。なんという奇跡。10年間の心の隙間を埋める、新しい恋が始まりそうだ。
哀しき街 さん
中学生のときに食べた肉まん
無二の親友と言える友がいる。彼とは、中学時代一番長い時間を過ごした。部活で家に帰るのが遅くなったら、いつもコンビニに寄って食べたのがほっかほかの惣菜まんだった。特に冬に食べた肉まんはうまかった。雪が積もる寒い都道府県だったので、吹雪の中スリップしながら帰る日もあった。そんな日に暖房が効いたコンビニに寄って、イートインスペースで食べたほっかほかの肉まんは、ゲームのセーブポイントみたいな魔法の地点だと感じたっけ。大人になってからも交流が続いているが、年末に飲んだとき、ふとその話になって、若き日の自分と、彼の姿を思い出した。飲んでフラフラになったあと、懐かしくなって友達を誘ってコンビニで肉まんを食べた。昔より美味しくなってたけど、思い出は色褪せなかった。
ニックマン さん
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心が温まるおばあちゃんの肉じゃが
先日、職場のある兵庫県の神戸市から、地元である兵庫県の山間部に戻ってきたときのこと。 都心から離れた大自然の中、甥っ子たちと追いかけっこをして遊んでいると、おばあちゃんが「ごはんできたで」とぼくたちを呼びにきた。 今日の晩ご飯は、年に数回ほどの、親戚が一堂に会する珍しい機会だけあってとても豪華だった。 まだ年端もいかない甥っ子・姪っ子たちは脂っこい揚げ物やハンバーグ、スパゲティをこれでもかと口の中に頬張ってキャッキャと笑っている。ぼくも、あの年代のころは、彼らと同じものが好きだった。でもいま40代を迎えた自分にとって、一際食卓の中でも光っていたのが、おばあちゃんの肉じゃがだった。 薄味ながら辛さがアクセントになる味付けと、肉・じゃがいも・にんじん・こんにゃくといった具材のハーモニーがじんわりと口の中に広がった。おじさんのお酒のあてには最高だ。 でも思えば、この味は30年前と何ら変わっていない。カロリーの高いものばかりお腹いっぱい食べているぼくにとって、当時肉じゃがは必ずしも魅力的な一品でもなかった。「もっと食べんとあかんで」と言われたのに、少し食べてすぐに唐揚げを頬張っていた。 今、おばあちゃんは88歳になった。腰は少し曲がり、足取りも遅くなったが、当時と変わらないレシピで、変わらない味の肉じゃがを作ってくれる。ずいぶん大人にならないとこの魅力がわからなかったけど、いつだっておばあちゃんは自分のためを思って料理を作ってくれていたんだと気づかせてくれる真心のこもった味だった。 おばあちゃん、ごめん。そして、ありがとう。
山田いちろう さん
お母さんのカニクリームパスタ
誕生日や特別な日は自分が大好きなカニのクリームパスタにしてくれる両親。2人でカニを買ってきて、仕込んで仕上がる味は絶品。大きくなっても、それがずっと好きだと思って作ってくれる。でも、自分的には「ちょっと飽きてきたかな」と思うけど、毎回得意げに「今日はカニクリームパスタよ」と言ってくる両親の顔を見ると言えないし、愛されているなと改めて感じるそんな”ごはんメモリー”でした。
キュータロー さん
茶色多めのお弁当
子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。
おいら さん
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故郷の味チキン南蛮
学生時代 好みのチキン南蛮を探しに良く食べ歩いた 鶏むねvs鶏もも タルタル有vs無 甘酢を浸すvsかけるvs甘酢でチキンを煮る いろんなチキン南蛮を食べてきた そんな私のチキン南蛮 最近はカロリー気にしてマヨは控えめ 米酢・紅生姜・ごまは我が家の定番 さっぱり食べられる 我が家はむね肉 小麦粉を下地に卵液の衣をつける 部活の大会前 受験前 お祝いごと 事あるごとに、食べてきた 甘酢を絡めて、さらに煮詰めた甘酢をかける タルタルをかけて、完成 思い出の味 我が家のチキン南蛮
mabo さん

真冬のニューヨークとピザ
ある年の大晦日、ニューヨークへ弾丸で一人旅をした。 その年は記録的な大寒波が到来、空港に到着するなり、耳や頭が冷えて、だんだんと具合が悪くなるほどに寒かった。 英語もろくに喋れないのに、無謀にも1人で海外旅行に挑戦してみたが、寒さと言葉の通じない心細さで、初日から心が折れて、早く帰りたい気持ちになってしまった。 お店の注文も不安だったので、宿泊先のホテル近くの小さなピザ屋で何とか安いピザとコーラを頼み、空腹を満たした。せっかくニューヨークまで来たのに、安いピザとコーラしか食べられない自分に情けなくなりながら、その日は眠りについた。それでも1-2日ほど過ごしたら、次第にフッキレたのか、言葉が通じないことにもめげず、色々なお店に行ったり、観光地に行ったり、旅行を楽しむことができた。年越しの瞬間は、地元の人たちが集まるレストランで、テレビに映るタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら知らない人たちとシャンパンで乾杯していた。 今でも時々、テレビで真冬のニューヨークを見ると、あの時のピザとコーラを思い出す。
mukamuka さん
忘れられない日と別れ
18歳の夏、彼女と別れた。泣いた。ひたすら泣いた。僕は本当に彼女のことが好きだった。でも、僕は自分の夢を追うために地元を離れることを決め、受験勉強をしていた。そして、僕は遠方への進路を決めた。進路が決まったタイミングで、友達が誕生日会を計画してくれた。しかし、なんとそこに元カノも呼ばれていた…… おそるおそる話を聞いてみると、気まずいし、断ろうと思ったらしいけど、この機会を逃したらもう僕に2度と会えないと思って来てくれたらしい。帰るとき、こっそりプレゼントをもらった。手作りチョコレートと一緒に、手紙が入ってた。「元気でね」 それを見て僕はまたわんわん泣いた。小腹が空いてチョコレートを食べるときは、今でもあの特別な誕生日を思い出す。あの子は今、元気にしてるだろうか。
goo さん
初対面はBBQ
恋人と付き合い、この人と長く一緒にいることになるのかなあ、と思い始めた20代半ば、実家の屋上でお昼にBBQをする話が持ち上がり、今だ!と思い、その日に恋人を両親に紹介しようと決めました。恋人は事の重大さを意識しているのかいないのか、「いいよ〜BBQいいね〜」と緩い反応。両親は「分かりました たくさんお肉を準備しておきます」とテキストだけではわからない反応。そしていざ当日、恋人も両親も自然な感じで始まるBBQ。あれ、私だけがドキドキしていたのかな…?と思うほど自然に進行し、順調に胃のなかに収められていく食材たち。お酒も入って、「まあもういいか〜」という気分になった頃、ソファが目に入り、私は酔いもあいまって、眠りの底に……。気づくと、ソファの隣で、恋人の寝顔。私たちは二人、実家の巨大なソファでぐうぐう眠っていたようです。自分のことはさておいて、「この人!彼女の実家に来ておきながら、眠ってる?!」と驚きましたが、気持ちよさそうにまだ眠る恋人と、屋上でまだお酒を飲み続けていた両親。自然体こそ人生の秘訣なのかもしれない、と考え直し、また目を瞑っていると、降りてきた父がふわっと私たちにブランケットをかけてくれるのが分かりました。
ふじもと さん