酒饅頭屋の弟子入り

地元にはあまり名物と呼ばれるものがないが、酒饅頭は郷土料理として親しまれている。 中学の自由研究で、テーマに困って、酒饅頭を研究してみたことがある。 地元の有名な酒饅頭屋さんのおばちゃんに頼み込んで、弟子入りをして学ばせてもらった。 酒饅頭には、麹菌が大事で、先祖代々酒饅頭づくりをする湿度の高い建物の至るところに菌が住んでいるらしい。 おばちゃんがつくってくれた出来立ての饅頭は本当においしい。

サム

  • 地元ごはん

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毎年一度のすき焼きパーティ

毎年、年末年始の帰省を楽しみにしている。 我が家の1月1日はすき焼きパーティが開催される。 年に一度、元旦だけのすき焼き。 それも霜降りな高級肉だ。おかげさまで毎年最高な1年のスタートを切れる。 時は経ち、それぞれが家族を持ち、別々で元旦を過ごすことも多くなった。その中で、家族全員が揃ってのすき焼きはなくなってしまった。 でも、みんな、すき焼きが食べたい。 そんな食い意地から、1月2日、1月3日と、それぞれの家族と両親で、2daysのすき焼きパーティが行われる風習となった。 今は、両親の胃もたれだけが気になっている。

ふるたろ さん

無骨な父のほうとう

父はあまり料理をしないが、出身地の山梨の名物のほうとうはよく作ってくれた。 野菜はざっくりとしか切れていないし、かぼちゃは熱で溶けてしまっているけど、なぜか絶妙においしい。 不器用な父の愛情を感じてすごく好きな料理だ。

森田 さん

玉ねぎ卵かけごはん

三重に旅に行ったときに、宿泊先の民宿のおじさんが農家で、仕事終わりにもってきた生の玉ねぎのスライスをご飯にかけて、生卵をかけて食べさせてくれた。醤油なんかかけるな、と少しだけ塩を振ってくれたその卵かけご飯が、信じられないくらい美味しかった。玉ねぎが辛くて、卵がまろやかで、鮮烈な香りがあって。美味しそうに食べていた僕を見て、がはは!!とわらう豪快さに、おじさんすごくかっこいいな、と思ったのを覚えてる。

たまねぎお さん

哀しいくらい君が好き

僕の間違いは、君を僕のもとから離してしまったことだった。地元で教師になる君を振って、僕は自分の夢を追うために他県に進んだ。今、夢を叶えて自分の好きな仕事をしているが、心は満たされていない。君が僕のそばにいないからだ。そう思いながら、自分で作った卵焼きを食べた。甘い。甘すぎる。君が作った卵焼きとは随分違うな。高校時代、君が毎日作ってきてくれたお弁当。そこに入っていた酸っぱい卵焼きの味が、今でも恋しい。そう思って、久しぶりに連絡を取ってみた。すぐに返ってきた。向こうも驚いていたようだった。ちょうど別れたところで今、彼氏はいないらしい。今までずっと新たな恋をしようとしても、若き日の僕が心の中にいて長続きしなかったそうだ。なんという奇跡。10年間の心の隙間を埋める、新しい恋が始まりそうだ。

哀しき街 さん

おばあちゃんのあげぱん

私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。

しょくぱん さん

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母のたわらおにぎり

社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。

町工場のむすめちゃん さん

はぱのみ焼き

自分のお父さんは極稀に「はぱのみ焼き」という美味しいお好み焼きを作ってくれます。具材は様々で枝豆が入っていたりチーズが入っていたりとにかく様々な種類で美味しいのです。小さい頃から自分は店員の事をペンギンと呼んでおり店員の事を呼ぶ時(店員はお好み焼きを運ぶ人の事)ペンギンと呼んでいます。いつも何故はぱのみ焼きなんだろうと考えていましたが、小さい頃は「お好み焼き」の、のみからとったんだなと思っていました。それから特に考えることなく中学校2年生になりました。そこでわかったんです。のみはだけと同じ意味ののみなんだと。いつもありがとう

あいす さん

迷子のおにぎり

本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。

しゃけぱんだ さん

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

いやいや食べた思い出の春巻き

僕は給食が嫌いだった。偏食で、味の濃いものしか口にしなかった。春巻も野菜が入っているというだけで食べられなかった。でも、4年生のときに当たった厳しい先生に、春巻きを食べさせてもらった。最初は嫌すぎて涙を流したけど、勇気を出してみると意外と美味しかった。それ以来、春巻は大好物。これを食べるたびに、あの時の先生の顔を思い出す。

丹波人 さん