禁断のワード、広島焼き
上京してはや10年、地元の広島へ帰省したときに必ず食べるのは「お好み焼き」。たっぷりキャベツと麺の上に様々な具や卵、生地が載り、ジュウジュウと熱々の鉄板から、皿は使わずヘラで直接食べるのが広島流。 東京に出てきて気がついたのは、この紛れもない「お好み焼き」を、東京では「広島焼き」「広島風お好み焼き」と呼ぶのが一般的だということだ。 広島の人たちはお好み焼きを、「関東風」でも「関西風」でもなく、紛れもなく自分たちが元祖「お好み焼き」だと誇りに思っており、「広島焼き」という呼び名は広島県内で見たことも聞いたこともないので、受け入れることができない。 「『広島焼き』なんてものは存在せんよ。」「広島風~ならギリギリ許してやらんこともなぁけど、、あれは『お好み焼き』じゃけぇ。。」 そんな私は、東京に出てきて以来、折に触れて都会の人々に、お好み焼きの真実を伝えている。これは『お好み焼き』ですよ!と。 ちなみに広島のライブハウスには、県外からきたミュージシャンがウッカリ禁断のワードを口にしないよう、「MCで『広島焼き』と言うのはやめてください」と張り紙がしてあるらしい。 広島に行くときは、うっかり口を滑らせぬようご注意を。
瀬戸の花婿
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無骨な父のほうとう
父はあまり料理をしないが、出身地の山梨の名物のほうとうはよく作ってくれた。 野菜はざっくりとしか切れていないし、かぼちゃは熱で溶けてしまっているけど、なぜか絶妙においしい。 不器用な父の愛情を感じてすごく好きな料理だ。
森田 さん
アルプスで山ご飯
初めてアルプスに登り、縦走に挑戦した。 登山経験も少ない中で、体力は奪われへとへとになりながら、何とか登頂した。 友達と持ってきた材料で鍋をして食べた。 色々な日常の悩みも忘れて、ただただ美味しいご飯だった。
ハイカー さん
真冬のニューヨークとピザ
ある年の大晦日、ニューヨークへ弾丸で一人旅をした。 その年は記録的な大寒波が到来、空港に到着するなり、耳や頭が冷えて、だんだんと具合が悪くなるほどに寒かった。 英語もろくに喋れないのに、無謀にも1人で海外旅行に挑戦してみたが、寒さと言葉の通じない心細さで、初日から心が折れて、早く帰りたい気持ちになってしまった。 お店の注文も不安だったので、宿泊先のホテル近くの小さなピザ屋で何とか安いピザとコーラを頼み、空腹を満たした。せっかくニューヨークまで来たのに、安いピザとコーラしか食べられない自分に情けなくなりながら、その日は眠りについた。それでも1-2日ほど過ごしたら、次第にフッキレたのか、言葉が通じないことにもめげず、色々なお店に行ったり、観光地に行ったり、旅行を楽しむことができた。年越しの瞬間は、地元の人たちが集まるレストランで、テレビに映るタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら知らない人たちとシャンパンで乾杯していた。 今でも時々、テレビで真冬のニューヨークを見ると、あの時のピザとコーラを思い出す。
mukamuka さん
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徳島で食べた大きい金時豆の入ったお好み焼き
10年ほど前。阿波踊りで訪れた徳島。その日仕事で初めて会った、二回りくらい年上の気怠い感じのおじさん2人。見物の合間に「ちょっと休みますか」と連れていかれたのは街中の鉄板屋らしきお店だった。当然のように出てきた銀色のカップにはお好み焼きの具材が入っているようだが何だか様子が違う。赤茶色の大きい豆が入っているのだ。これなんですか?と聞く間もなくビールが出てきて乾杯!となり、これまたあっという間にお好み焼き「風」のものが焼きあがって、どうぞ、とすすめられるままに口にしたら…これがうまかった。後に知ったが豆玉と言うご当地メニューで、豆は甘く煮た金時豆。2人のおじさんのことは顔も名前も忘れてしまったが、甘じょっぱい徳島のお好み焼きは記憶に刻まれている。もうすぐ今年も8月、阿波踊りの季節だ。行こうかな、徳島へ。
ケイン さん
結婚初日のカレー
結婚するまで実家暮らしだった自分。27歳で結婚することとなり、初めて実家を出て、妻と暮らすことになりました。結婚初日、仕事帰りに家に帰ると、妻が作ったカレーがありました。妻と食べる同棲初日の初めての夕食。実家で慣れ親しんだ今までのカレーとは少し味が違うけれど、これがこれから「暮らしのカレー」になるんだとしみじみ思ったのを覚えています。
ひろし さん
やっぱ日本人
中学生の夏、短期留学に希望した友達と一緒にオーストラリアに行きました。初めての海外でちょっぴり不安もありながら好奇心で胸がいっぱいでした。オーストラリアに着いてからはホストファミリーと一緒に友達と暮らしながら留学生活を送っていました。 主食はお米ではなくじゃがいも、何もかもが大きくて量が多い!(笑)毎日今日の夜ご飯は何かとワクワクしていました。 そして、いよいよ日本に帰る日がやって来ました。嬉しくも寂しい気持ちを抱えながら飛行機で日本へ ホテルに泊まるためにみんなで夜ご飯をコンビニで買いに行きました。するとみんないっせいに同じ場所(笑) 大好きな「おにぎり」の場所へ やっぱり日本人だな〜
まんまるお米 さん
はぱのみ焼き
自分のお父さんは極稀に「はぱのみ焼き」という美味しいお好み焼きを作ってくれます。具材は様々で枝豆が入っていたりチーズが入っていたりとにかく様々な種類で美味しいのです。小さい頃から自分は店員の事をペンギンと呼んでおり店員の事を呼ぶ時(店員はお好み焼きを運ぶ人の事)ペンギンと呼んでいます。いつも何故はぱのみ焼きなんだろうと考えていましたが、小さい頃は「お好み焼き」の、のみからとったんだなと思っていました。それから特に考えることなく中学校2年生になりました。そこでわかったんです。のみはだけと同じ意味ののみなんだと。いつもありがとう
あいす さん
新入社員時代のローカル焼肉
入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。
雲 さん