特別な卵焼き

私が物心つくときには母と私と弟の3人で暮らしていました。母の収入だけなのでお菓子や玩具は少なかったですが、お弁当だけは毎回大好きな卵焼きを入れてもらってました。我が家の卵焼きは丸いフライパンに卵を広げて半分に畳んだ半月の形のもの。 それを格子状に切って真ん中の厚みがある部分がお弁当箱へ、まわりのパリパリ部分がある所は朝ごはんで食べさせてもらってました。私は卵焼き専用フライパンがあることを大人になってから知りました笑 今でも帰省したときは母の作る特別な卵焼きが大好きです。

羽柴歩 (・∀・)

  • お弁当

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金沢のお寿司、のどぐろの炙り

東京のお店ではよく「時価」で提供されるのどぐろ。高級魚というイメージ。 ところが金沢を訪れると、あれっ?と思うほどお値打ち価格でおいしくいただける。 去年の夏、高級店でも回転すしでもない、市場の中のお寿司屋さんで食べたのどぐろの炙りがおいしかった。 あー、また金沢へ行きたい。

れきれき さん

おばあちゃんのコロッケ

実家はおばあちゃんと同居でした。外で働く母に代わって、兄妹のお世話は自営業だったおばあちゃん担当。平日は夕飯はおばあちゃんが作るので、小学生の頃には姉と一緒にお手伝いをします。その中でも大好きなお手伝いはコロッケ。大量のジャガイモを茹でたら私たちの出番です。熱々のジャガイモを剥きますが、時々マヨネーズをかけてつまみ食い。つまみ食いをするのも考慮してたくさん茹でてくれます。その時間がとても楽しくて夕飯がコロッケのときはとても嬉しかったです。おばあちゃんのコロッケはちょっと甘めで、大人になった今も私の作るコロッケは同じ味付けです。

しゃけ さん

田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重

私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。

中田栄角 さん

おばあちゃんのあげぱん

私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。

しょくぱん さん

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

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結婚初日のカレー

結婚するまで実家暮らしだった自分。27歳で結婚することとなり、初めて実家を出て、妻と暮らすことになりました。結婚初日、仕事帰りに家に帰ると、妻が作ったカレーがありました。妻と食べる同棲初日の初めての夕食。実家で慣れ親しんだ今までのカレーとは少し味が違うけれど、これがこれから「暮らしのカレー」になるんだとしみじみ思ったのを覚えています。

ひろし さん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

割るオムライス

あまり料理をしない父が、唯一得意にしていたのが、卵をのせて最後に包丁で割るとトロッとひらくオムライス。何かのテレビで見てつくったところ、「プロみたい!」と家族に褒められ、気をよくした父は、ことあるごとにそのオムライスを披露してた。今思うと、きれいに包む方が難しい気もするけど、あのオムライスは、いなかの我が家の食卓にあって、ダントツでおしゃれで、何だが幸せな味がした。わかっていても、割れた瞬間「おぉ・・・!」とみんなで歓声をあげて、そのたび父はとても自慢げだった。

タマゴ さん

誕生日の思い出

私の誕生日は1月3日で。 田舎に住んでいたこと、三が日ということが合わさりケーキ屋さんはどこも閉まっていたのですが。 調理師免許を持ってる父が、本格的なオーブンや調理器具のある叔母の家に行きケーキを作ってくれる事に。 ですが、誕生日会をする時間になっても父は帰って来ず…。 遅いな〜と待ってると…片足を怪我した父がケーキを持って帰ってきました。 詳しく話を聞くと、ケーキがあるからって事で片手でケーキを持ってもう片方でバイクを運転してる時にバランスを崩して横転。 けどケーキは死守しなきゃと思ってたら、足を怪我してしまったと。 物凄く飄々というものの、結構血が出ていて家族は慌ててタオルやら救急箱やらを取って 20年近く経った今でも鮮明に思い出す、誕生日になりました。

とっとこ太郎 さん

そばめんで作るカルボナーラ

父が作ってくれる思い出の味。忙しい仕事の帰りにチャチャっと作る沖縄そば麺のカルボナーラは、麺の湯で時間も少なく、学校や仕事でくたくたになって帰ってくる我が家の人気夕飯メニュー。クリームソースが中太の麺によく絡み、濃厚なソースとボリューム満点の麺がひとたび口に入れば、身も心も幸福感に満たされるのである。

ゆでたまご さん