母の誕生日、ココナッツパンにロールキャベツ

母は日本語を日本人と同じくらい上手に話すが、異国の出身で、出身地の料理が日本にないことをいつも嘆いていた。そのうちのひとつがココナッツパンだった。母の誕生日に、私が「誕生日は何が欲しい?」と聞くと、いつも「ココナッツのパンが食べたい」と答えていた。まだ幼かった私は、ココナッツパンなんて食べたことも無く、ネットで調べても日本語のレシピは見当たらなかった。その代わりに、私の大好物であるロールキャベツを母の誕生日に作って一緒に食べていた。そして、ついに私が15歳、高校一年生のとき、母の誕生日にココナッツのパンを作ってあげようと思い立った。ネットで調べても、日本語で書かれたレシピは見つからなかった。そこで、私は異言語で書かれたレシピを翻訳サイトを使ってちまちま翻訳しながらココナッツパンを焼いた。焼き上がりは自分が見てもなかなか上出来だったと思う。その夜、仕事から帰ってきた母は私の焼いたココナッツのパンを少し涙ぐみながら美味しそうに食べた。「この味だよ、𓏸𓏸(私の名前)これがずっと食べたかったの、本当に美味しいよ」と私を抱きしめた。父の分も含めて多めに焼いたつもりだったが、母は1人で2人分も食べた。母に褒められて嬉しかったのもあって、それから毎年母の誕生日にはココナッツパンとロールキャベツを作って誕生日を祝っている。今でこそもう慣れたココナッツパン作りは、当時の私にとっては大冒険だったことを覚えている。

くろすけ

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サンフランシスコの海鮮シチュー

仕事で訪れたサンフランシスコ。せっかくだから何かおいしいものを食べたいと探してみつけたのが名物の「チョッピーノ」。その昔、イタリアから入植した漁師たちから生まれたメニューらしい。カニやエビ、ホタテ、イカ、クラム、ムール貝などもりだくさんの魚介類をトマト、ワインベースのスープで煮込んでいる。バケットをひたして食べるのがたまらなくおいしい。半年前に行った際は夕食時だというのに街中閑散としたお店ばかりだったが、チョッピ-ノで有名なお店だけは大変な賑わい。次から次へと予約客が入ってくる。どのテーブルにもチョッピーノは必ずサーブされていた。隣のテーブルで食べ終わった老人が席を立つ際に「どう、おいしい?それはよかった」と流ちょうな日本語で話しかけてきた。アメリカはどの都市に行っても同じような食べ物ばかりと思いがちだが、半島の先端に位置して海の幸に恵まれたサンフランシスコには、この都市ならではの地元ごはんがあった。また食べに行きたい。

ソットマーレ さん

酒饅頭屋の弟子入り

地元にはあまり名物と呼ばれるものがないが、酒饅頭は郷土料理として親しまれている。 中学の自由研究で、テーマに困って、酒饅頭を研究してみたことがある。 地元の有名な酒饅頭屋さんのおばちゃんに頼み込んで、弟子入りをして学ばせてもらった。 酒饅頭には、麹菌が大事で、先祖代々酒饅頭づくりをする湿度の高い建物の至るところに菌が住んでいるらしい。 おばちゃんがつくってくれた出来立ての饅頭は本当においしい。

サム さん

みそピー

給食にときどき出てきたみそピーは、味噌と砂糖とピーナッツを練り合わせた、少し甘くてしょっぱい食べ物で、小さなビニールのパッケージに入っていた。私は甘いとしょっぱいを同時に感じるのが嫌で、なんとなく苦手だった。それなのに、給食と言えば思い出されるみそピー。大人になった今なら、美味しく感じたりするのだろうか?

よく噛んで食べよう さん

初めてのお弁当は親友と

私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。

せっちゃん さん

一学期締めくくりの紅イモアイス

7月の中頃、終業式の最後に食べる給食には決まって沖縄のアイスクリームチェーン“ブルーシール”の紅イモアイスが入っている。 沖縄の芋の特徴である素朴な甘さと粘りが癖になるそのアイスは、冷房がない教室で4か月もの間勉学に勤しんだ小中学生の努力を讃えるような逸品であり、“あまりもの”が出てしまえば、クラス全員でジャンケンによる争奪戦が起こっていた。 この喧騒と紫色のアイスクリームが、県内の児童生徒に夏休みの訪れを告げるのだ。

ゆでたまご さん

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鴨川のほとりの春を感じる食

春の京都に行くといつもいく店がある。 鴨川のほとりで柳の木の緑が美しく見えるお店だ。 旬の野菜の魅力をそのままおいしく出してくれる。 お店はドアが開かれてきて、春の風を感じることができる。

MK さん

大阪のおでん屋さんのうどん

20代前半、社会人になって間もないころ、慣れない出張で大阪へ。緊張しながらも取引先と日中の仕事を無事終えることができた。夜は打上げで大いに盛り上がり、1軒で3時間は過ぎていただろうか。すでにだいぶお酒も呑んでいた。店を出ると、「締めの一杯行こうぜ」と言われ、まだ呑むのかよ、勘弁してくれよ、と思いつつ千鳥足で歩き回り、営業しているおでん屋さんをみつけ飛び込んだ。とりあえずじゃないけどビールとおでんを少々頼み再度乾杯。そこで口にしたおでんのおだしが・・・うまい。東京と違う。地域によっておだしが異なるという知識はあったが、体験したのは初めてだった。さらに若かった私はまたお腹がすき始めていることに気づき、おでんでは飽き足らず、何か追加注文しようと思い立った。「うどん頼んでいいすか」と取引先に伝えると、「いいよ、しっかしお前、よく食うなぁ―」と上機嫌。でてきたのはシンプルきわまりない素うどんだったが、これが五臓六腑にしみわたるうまさ。そもそも、なんでおでん屋にうどんがあるんだ?、東京にはおでん屋ってないよなあ、大阪なんかいいな、と思いながらうどんをすすってあっという間に完食。取引先は半寝状態。何だか大人の階段を上った気がした夜だった。

河童 さん

季節を感じる食卓

幼少期に親戚でもない近所のおばさんの家に預けられていた。 その時の食体験が今のベースにある気がする。 庭に柿の木が植っていて、秋にはもいで食べた。夏は近所から梅をもらってきて、梅ジュースをつくった。畑もやっていたので、旬の野菜も収穫してふるまってくれた。 おじさんは近所の川で川釣りをしてきて、魚をさばいてくれて食べたり。 そういえば、そばも毎回粉から練って、手動の機械で麺にして食べていた気がする。 どれも子供にとっては本当に楽しい経験だった。

徹 さん

母のたわらおにぎり

社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。

町工場のむすめちゃん さん

母親からの仕送り

上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。

ねぶたろう さん