徳島で食べた大きい金時豆の入ったお好み焼き

10年ほど前。阿波踊りで訪れた徳島。その日仕事で初めて会った、二回りくらい年上の気怠い感じのおじさん2人。見物の合間に「ちょっと休みますか」と連れていかれたのは街中の鉄板屋らしきお店だった。当然のように出てきた銀色のカップにはお好み焼きの具材が入っているようだが何だか様子が違う。赤茶色の大きい豆が入っているのだ。これなんですか?と聞く間もなくビールが出てきて乾杯!となり、これまたあっという間にお好み焼き「風」のものが焼きあがって、どうぞ、とすすめられるままに口にしたら…これがうまかった。後に知ったが豆玉と言うご当地メニューで、豆は甘く煮た金時豆。2人のおじさんのことは顔も名前も忘れてしまったが、甘じょっぱい徳島のお好み焼きは記憶に刻まれている。もうすぐ今年も8月、阿波踊りの季節だ。行こうかな、徳島へ。

ケイン

  • 忘れられない旅ごはん

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おばあちゃんの煮た林檎

私の好物は煮た林檎。 幼少期おばあちゃんが作ってくれた料理。 その料理が生まれたのは、乳歯が抜ける時期。私が「歯がぐらぐらして痛いから、りんごは食べれないよ。」と言うとおばあちゃんは「じゃあ煮てあげようね。」と、切った林檎を煮て、砂糖をかけてくれた。 幼い私にとって未知なる姿に変わった林檎は、とても衝撃的だった。甘くて口の中でとろける、アップルパイの中身だけ頬張ったような幸せな味だった。それから私のお気に入りになったこの料理。暖かいまま食べると、私の心を優しく包み込んでくれるのです。今でも私はおばあちゃんを思い出しながら、林檎を煮て食べています。

イマジナリー さん

どうしても間に合わせたかったプリンケーキ

中学3年生のときのこと。仲良くなった友人の誕生日が土曜日にあって、その子はプリンが大好物で、常々「お腹いっぱいプリンを食べたい」と言っていた。だから、私はなんとしてもその子の誕生日をプリンケーキでお祝いしたかった。そこで、土曜日は午前授業だったので、ある計画を立てた。授業もホームルームも終わり、掃除の時間。友人は生憎、誕生日なのに掃除当番だったので、その隙に…… 私は学校から駅までダッシュ、電車で3駅隣にある、プリンが有名なケーキ屋さんに駆け込み、ホールのプリンケーキを購入し、今度は傾かないように胸の前でそうっと持ちながら、足だけ超ダッシュ。そして電車でまた学校の駅まで戻り、電車から学校の正門から教室までまたダッシュ。そして、掃除当番を終えてのんびり帰り支度をしていた友人の元にケーキをお披露目! 足を止めておいて欲しいとお願いしていたクラスメートの協力もあって、無事に、友人にホールのプリンケーキを届けられました。「ええ〜!!?」と大喜びしてくれた友人の前で、しれっと涼しい表情でハッピーバースデーを歌いました。 今振り返ると、一緒にケーキを食べに行けばよかったんじゃないか、とか、サプライズにしなくても喜んでくれたんじゃないか、とも思うのですが、誘うのではなく、仲良しになったその子に何かを贈るぞ、という気持ちが強かったように思います。人生であんなにダッシュして頑張ってお祝いしたお誕生日は、あの日だけです。

すいすい さん

鴨川のほとりの春を感じる食

春の京都に行くといつもいく店がある。 鴨川のほとりで柳の木の緑が美しく見えるお店だ。 旬の野菜の魅力をそのままおいしく出してくれる。 お店はドアが開かれてきて、春の風を感じることができる。

MK さん

アフリカの夜とエチオピア料理

アフリカのタンザニアで食べたエチオピア料理が忘れられない。父親の運転するバイクの後ろにしがみつきながら向かった道中も、巨大なバオバブの木に囲まれて、夜の野外で力なく光るランプだけの薄暗い風景も、よく覚えている。シンプルな薄味の料理が多かった中で、スパイスがたっぷり使われたエチオピア料理は格別に美味しく感じられ、クーラーのない熱い野外のレストランで、夢中になって食べた。立派なレストランとかよりも、時間を経て大事な家族の思い出になった体験だった。

ジャンボ さん

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

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仙台アーケードの揚げかまぼこ

仙台のアーケードで売ってる揚げかまぼこが青春の味、あの頃はCD屋さんも賑わっていて、新星堂で時間をつぶしたりしながら友達とアーケードをぶらぶらしながらよくたべてた。 いろんなことを思い出す味。

たなばたん さん

初めてのお弁当は親友と

私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。

せっちゃん さん

大阪のおでん屋さんのうどん

20代前半、社会人になって間もないころ、慣れない出張で大阪へ。緊張しながらも取引先と日中の仕事を無事終えることができた。夜は打上げで大いに盛り上がり、1軒で3時間は過ぎていただろうか。すでにだいぶお酒も呑んでいた。店を出ると、「締めの一杯行こうぜ」と言われ、まだ呑むのかよ、勘弁してくれよ、と思いつつ千鳥足で歩き回り、営業しているおでん屋さんをみつけ飛び込んだ。とりあえずじゃないけどビールとおでんを少々頼み再度乾杯。そこで口にしたおでんのおだしが・・・うまい。東京と違う。地域によっておだしが異なるという知識はあったが、体験したのは初めてだった。さらに若かった私はまたお腹がすき始めていることに気づき、おでんでは飽き足らず、何か追加注文しようと思い立った。「うどん頼んでいいすか」と取引先に伝えると、「いいよ、しっかしお前、よく食うなぁ―」と上機嫌。でてきたのはシンプルきわまりない素うどんだったが、これが五臓六腑にしみわたるうまさ。そもそも、なんでおでん屋にうどんがあるんだ?、東京にはおでん屋ってないよなあ、大阪なんかいいな、と思いながらうどんをすすってあっという間に完食。取引先は半寝状態。何だか大人の階段を上った気がした夜だった。

河童 さん

おじいちゃんと焼きまんじゅう

夏休みになると、前橋にあるおじいちゃんの家によく行っていた。 孫にやさしく、いつもおもちゃ売り場に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。 一緒に野球をしてくれたり、甲子園をTVでみたり。 2週間くらい過ごして、ずっと夏休みが終わらなければいいのにと毎回思っていた。 おじいちゃんは僕らが買える時、地元で有名な焼きまんじゅうを買ってもたせてくれた。 車窓から赤城山を見ながら、甘しょっぱい焼きまんじゅうを食べて、せつない気持ちとともに東京に帰ったいたなと今でも思い出す。

加藤 さん

いやいや食べた思い出の春巻き

僕は給食が嫌いだった。偏食で、味の濃いものしか口にしなかった。春巻も野菜が入っているというだけで食べられなかった。でも、4年生のときに当たった厳しい先生に、春巻きを食べさせてもらった。最初は嫌すぎて涙を流したけど、勇気を出してみると意外と美味しかった。それ以来、春巻は大好物。これを食べるたびに、あの時の先生の顔を思い出す。

丹波人 さん