ばあちゃんの赤飯

両親が離婚して家事の一手を担っていた うちのばあちゃん 高校を卒業して一人暮らしを始めてから たまに実家に帰ると 必ず赤飯を炊いてくれていました。 ぽろっと私がこぼした 「赤飯すきなんよね〜」の言葉を いつまでも覚えていてくれて 一升の赤飯を毎回毎回! 家族で私以外はあまり赤飯が好きではなかったみたいで 残す訳にもいかずお腹がはちきれるくらい食べました。 もっとたべておけばよかったなあ おいしかったありがとうってたくさん言っとけば よかったなあ なんて今になって思います。

ひざかさかさ

  • ふるさとごはん

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花火の下で家族と食べるおばあちゃんが握ったおにぎり

花火大会のときは必ず家族集まって花火を見ながらおばあちゃんが握ってくれたおいしいおにぎりを食べます。カラフルな花火の下で観客の笑顔と幸せな笑い声が聞こえてきます。

ハニー さん

給食のずんだ春巻き

小学校の給食で、名産のずんだの春巻きがよく出ていた。とくに美味しい!というわけじゃないんだけど、ずんだ春巻きが給食に出た日は、おかわりの取り合いのじゃんけんが異常に盛り上がったのを覚えてる。なんだったんだろう、あの熱気は。

えだまめ さん

アフリカの夜とエチオピア料理

アフリカのタンザニアで食べたエチオピア料理が忘れられない。父親の運転するバイクの後ろにしがみつきながら向かった道中も、巨大なバオバブの木に囲まれて、夜の野外で力なく光るランプだけの薄暗い風景も、よく覚えている。シンプルな薄味の料理が多かった中で、スパイスがたっぷり使われたエチオピア料理は格別に美味しく感じられ、クーラーのない熱い野外のレストランで、夢中になって食べた。立派なレストランとかよりも、時間を経て大事な家族の思い出になった体験だった。

ジャンボ さん

おじいちゃんのくじら汁

おじいちゃんの家に行くと、おじいちゃんが時々食べていた、茄子とくじらの白いとこがはいったくじら汁。子供はなぜかあまりもらえなくて、おねだりして少しだけ分けてもらっていた。おじいちゃんもおばあちゃんもすでに他界してしまったけど、地元に帰っておじいちゃんが住んでいた家のあたりを通ると思い出すのは、おねだりして少し分けてもらったあの時の味と風景。

けっぱれ さん

おばあちゃんのからみ餅

子どものころ、毎年12月になると祖父母の家では親族が集まり、もち米を突いてお餅をつくっていた。 お小遣いをねだりに遊びに行くと、祖母が「お餅いるかい?」とよく食べさせてくれた。その際「どうやって食べる?」と聞いてくれる。家では磯部餅しか食べなかったが、祖母とはお餅を茹でてから大根おろしにしょうゆかけるからみ餅をよく食べた。磯部餅とは異なり、やらわかくて食べやすい。いま思えば祖母のやさしさと重なる。 大人になって知ったが、からみ餅は埼玉や福島の地元ごはんらしい。当時私や祖父母は埼玉にほど近い東京の北多摩地区に住んでいたので、伝わっていたのだろう。

フミ さん

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心が温まるおばあちゃんの肉じゃが

先日、職場のある兵庫県の神戸市から、地元である兵庫県の山間部に戻ってきたときのこと。 都心から離れた大自然の中、甥っ子たちと追いかけっこをして遊んでいると、おばあちゃんが「ごはんできたで」とぼくたちを呼びにきた。 今日の晩ご飯は、年に数回ほどの、親戚が一堂に会する珍しい機会だけあってとても豪華だった。 まだ年端もいかない甥っ子・姪っ子たちは脂っこい揚げ物やハンバーグ、スパゲティをこれでもかと口の中に頬張ってキャッキャと笑っている。ぼくも、あの年代のころは、彼らと同じものが好きだった。でもいま40代を迎えた自分にとって、一際食卓の中でも光っていたのが、おばあちゃんの肉じゃがだった。 薄味ながら辛さがアクセントになる味付けと、肉・じゃがいも・にんじん・こんにゃくといった具材のハーモニーがじんわりと口の中に広がった。おじさんのお酒のあてには最高だ。 でも思えば、この味は30年前と何ら変わっていない。カロリーの高いものばかりお腹いっぱい食べているぼくにとって、当時肉じゃがは必ずしも魅力的な一品でもなかった。「もっと食べんとあかんで」と言われたのに、少し食べてすぐに唐揚げを頬張っていた。 今、おばあちゃんは88歳になった。腰は少し曲がり、足取りも遅くなったが、当時と変わらないレシピで、変わらない味の肉じゃがを作ってくれる。ずいぶん大人にならないとこの魅力がわからなかったけど、いつだっておばあちゃんは自分のためを思って料理を作ってくれていたんだと気づかせてくれる真心のこもった味だった。 おばあちゃん、ごめん。そして、ありがとう。

山田いちろう さん

はぱのみ焼き

自分のお父さんは極稀に「はぱのみ焼き」という美味しいお好み焼きを作ってくれます。具材は様々で枝豆が入っていたりチーズが入っていたりとにかく様々な種類で美味しいのです。小さい頃から自分は店員の事をペンギンと呼んでおり店員の事を呼ぶ時(店員はお好み焼きを運ぶ人の事)ペンギンと呼んでいます。いつも何故はぱのみ焼きなんだろうと考えていましたが、小さい頃は「お好み焼き」の、のみからとったんだなと思っていました。それから特に考えることなく中学校2年生になりました。そこでわかったんです。のみはだけと同じ意味ののみなんだと。いつもありがとう

あいす さん

どうしても間に合わせたかったプリンケーキ

中学3年生のときのこと。仲良くなった友人の誕生日が土曜日にあって、その子はプリンが大好物で、常々「お腹いっぱいプリンを食べたい」と言っていた。だから、私はなんとしてもその子の誕生日をプリンケーキでお祝いしたかった。そこで、土曜日は午前授業だったので、ある計画を立てた。授業もホームルームも終わり、掃除の時間。友人は生憎、誕生日なのに掃除当番だったので、その隙に…… 私は学校から駅までダッシュ、電車で3駅隣にある、プリンが有名なケーキ屋さんに駆け込み、ホールのプリンケーキを購入し、今度は傾かないように胸の前でそうっと持ちながら、足だけ超ダッシュ。そして電車でまた学校の駅まで戻り、電車から学校の正門から教室までまたダッシュ。そして、掃除当番を終えてのんびり帰り支度をしていた友人の元にケーキをお披露目! 足を止めておいて欲しいとお願いしていたクラスメートの協力もあって、無事に、友人にホールのプリンケーキを届けられました。「ええ〜!!?」と大喜びしてくれた友人の前で、しれっと涼しい表情でハッピーバースデーを歌いました。 今振り返ると、一緒にケーキを食べに行けばよかったんじゃないか、とか、サプライズにしなくても喜んでくれたんじゃないか、とも思うのですが、誘うのではなく、仲良しになったその子に何かを贈るぞ、という気持ちが強かったように思います。人生であんなにダッシュして頑張ってお祝いしたお誕生日は、あの日だけです。

すいすい さん

チリンチリンアイス

夏といえば、チリンチリンアイス。おばあちゃんが「チリンチリン」と鐘を鳴らしながら売っていたからそう呼んでいたけど、正式名称なんなんだろう。田舎のお店もあんまない場所で、夏休みになると音を聞いて子供たちが集まってきて、同級生との社交場のようになっていた。なつかしいなぁ。まだあるのかな。

ちょび さん

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん