でかいわ、おにぎり

運動会の時、うちのおにぎりだけ、異常にでかかった。中の具も、酢豚とか卵焼きとか、他の家庭とは一線を画していた。その時は少しはずかしさもあったけど、なんかがんばれって言われてる気がして、心強かった。親になった今、息子の運動会には、僕もとびきりでかいおにぎりを持たせている。

りくと

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季節を感じる食卓

幼少期に親戚でもない近所のおばさんの家に預けられていた。 その時の食体験が今のベースにある気がする。 庭に柿の木が植っていて、秋にはもいで食べた。夏は近所から梅をもらってきて、梅ジュースをつくった。畑もやっていたので、旬の野菜も収穫してふるまってくれた。 おじさんは近所の川で川釣りをしてきて、魚をさばいてくれて食べたり。 そういえば、そばも毎回粉から練って、手動の機械で麺にして食べていた気がする。 どれも子供にとっては本当に楽しい経験だった。

徹 さん

イタリアンソーダ

学生時代、近くにお気に入りのカフェがあり、そこでイタリアンソーダというものを初めて飲んだ。炭酸に好きなシロップを選んで入れる。たくさん味の種類はあるけれど、どれも氷がたくさん入って、少し薄くて淡い味わいのイタリアンソーダ。少し奮発して(コンデンス)ミルクを足すのが、お金がない学生生活のひそかな贅沢だった。お気に入りはココナッツシロップにミルク。日本では見かけたことがないけれど、今飲んでも当時と同じくらい美味しく感じるのだろうか。

イーグルス さん

チリンチリンアイス

夏といえば、チリンチリンアイス。おばあちゃんが「チリンチリン」と鐘を鳴らしながら売っていたからそう呼んでいたけど、正式名称なんなんだろう。田舎のお店もあんまない場所で、夏休みになると音を聞いて子供たちが集まってきて、同級生との社交場のようになっていた。なつかしいなぁ。まだあるのかな。

ちょび さん

学生時代に作った大量カレー

学生時代ってホントお金ないですよね  なんでね もうホント食べるのもね  どうしようかなって結構考えたりしますよね  ってことで私の場合はですね  カレーとかシチュー またおでんや肉じゃが  そういう煮物系をですね  一度にいっぱい作りまして  それでね もう一週間ずっと食べ続けているっていうのをありましたね  途中でね 少なくなってきましたら  また作って継ぎ足してって感じでね  もうそれだったら違うの作れよって感じなんですけれどもね  もうホント一週間カレーだったり一週間シチューとかね  一週間ずっとおでんだったりとかね してましたね でもね なんか飽きなかったんですよね  やっぱり好きなものって飽きないですよね

サンロード さん

嫌いな食べ物ある?

「嫌いな食べ物ある?」 居酒屋で飲んでいた時にした会話。 友達たちが「パクチー」「ほうれん草の味噌汁」「ゆでたキャベツ」と順番に答えていく。 一番最後私の番。もはや大喜利だろみたいなこの場面で私が答えたのが、 「加工されたいちご」。 全くウケなかった。分かっていたけど何か悔しい。何が正解だったのだろう。あれからずっと考えているが答えが出ない。 だからこそ皆さんに問いたい。 「嫌いな食べ物ある?」

和こうちゃ さん

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福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん

母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。

うめしそおくら さん

伊豆大島のうつくしいべっこう丼

去年学生時代の友人と訪れた伊豆大島。東京竹芝埠頭から夜間の大型客船の波に揺られ、朝方到着したのは自然が壮大な島の景色でした。まだ眠い目をこすりながら朝ごはんのお店を探すと、港の近くに小ぢんまりとした定食屋さんを発見。朝早い時間にも関わらく笑顔で店主さんが迎え入れてくれ、オススメされた「べっこう丼」を注文することに。 伊豆大島の郷土料理という「べっこう丼」は、新鮮な白身魚をお刺身をピリリと辛い島唐辛子入りの醤油だれに漬け込んで丼仕立てにしたもの。朝ごはんにもぴったりなおいしさに感動していると、「すごく簡単だからお家でも作れるよ」と丁寧に作り方を教えてくれるやさしい店主さんでした。

らじぱんだ さん

サンフランシスコの海鮮シチュー

仕事で訪れたサンフランシスコ。せっかくだから何かおいしいものを食べたいと探してみつけたのが名物の「チョッピーノ」。その昔、イタリアから入植した漁師たちから生まれたメニューらしい。カニやエビ、ホタテ、イカ、クラム、ムール貝などもりだくさんの魚介類をトマト、ワインベースのスープで煮込んでいる。バケットをひたして食べるのがたまらなくおいしい。半年前に行った際は夕食時だというのに街中閑散としたお店ばかりだったが、チョッピ-ノで有名なお店だけは大変な賑わい。次から次へと予約客が入ってくる。どのテーブルにもチョッピーノは必ずサーブされていた。隣のテーブルで食べ終わった老人が席を立つ際に「どう、おいしい?それはよかった」と流ちょうな日本語で話しかけてきた。アメリカはどの都市に行っても同じような食べ物ばかりと思いがちだが、半島の先端に位置して海の幸に恵まれたサンフランシスコには、この都市ならではの地元ごはんがあった。また食べに行きたい。

ソットマーレ さん

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。

ながらぼ さん

ジャージャー麺が好きな人

小学生のとき、ずっと好きな人がいた。彼はジャージャー麺が好きだったから、給食の献立にジャージャー麺と書いてあると、大きな声で喜んでいた。私はその決戦の日にできるだけ給食当番になり、さらに、麺担当になるべく画策した。 いざ配膳のとき、彼は「ねえ、多めでお願いします」と冗談らしく声をかけてきたが、私はクールぶった対応をした。隣に並ぶ同級生と彼がふざけ合う間、私は、彼の分のジャージャー麺を、贔屓にならない程度、気持ち多めによそった。 「あれ、ちょっと多くね?」と気づいてくれないかなあ、とソワソワしながら、彼が隣のスープを受け取りに横にずれるのを視界の片隅で見ていた。

さり さん