お誕生日おめでとう

大学生の頃、付き合ってた彼も同じく大学生で2人とも美術を専攻していたこともあり、バイト代のほとんどを制作費に費やしお金がなかった。 でも、その頃は制作が一番で、2人でいて楽しければ、それで満足していた。 そんな中、私の誕生日が近づいてきた。しかし、彼の方が数日後に展覧会を控えており、気持ち的にもお金的にもお誕生日パーティーどころではなかった。私も仕方ないかと思っていたら、誕生日前日22時ごろ彼から「今から家に来れる?」と連絡が来た。丁度バイト帰りだったので、出かける手間など感じず、彼の家に向かった。 彼の家に着くと彼は「明日お誕生日だからさ、一緒に迎えたかったんだ」と言ってくれ、私は忙しい中、時間を作ってくれたことがとても嬉しかった。 そこからしばらくおしゃべりをし、0時を過ぎようとしたころ、彼が「ちょっと待ってて!」と言い、キッチンへ。「まさかケーキとか用意してくれてるの?」と私は内心、超テンションぶち上がりになった。 そして、部屋の電気が消され、ビートルズのハッピーバースデーが流れ出しいよいよだ!、とドキドキして待ったなしでいると、彼が「お誕生日おめえええええぇえ?!!!」と叫びに近い声で入ってきた。 彼の手元を見ると、ファミレスのとりわけ皿くらいの小さい皿持っている。それには何か載っており、さらにその何かの上に大きな火の塊ができていた。私は咄嗟に息を吹き掛けたが消えることもなく、むしろ彼に燃え移りそうで、2人でわたわたしてるうちに火は自然に消えた。(とても安心したのを覚えている) 火が消えて、部屋の電気をつけると、彼の持っていた皿には蝋だらけのチョコパイが載っていた。当時、彼は食事の代わりによくチョコパイを食べており、それは好物でもあったので、決して人にあげることはなった。(さすがの当時でも、金がないうえにすごくケチだな、一個くらいくれよ、と思っていた。) お金も時間もなかった彼は、自分の大切なチョコパイをケーキとして私に用意していたのだった。でも、ただ渡すだけでは流石に味気ないと思ったようで、私の年齢の数、約20本の誕生日ケーキ用の蝋燭を指していたのだ、直径10センチほどのチョコパイに。 そこに点火し一気に燃え移り、先のような状態になってしまい、蝋だらけのチョコパイが残ったのだ。 彼は「これじゃ食べられないね。」ととても悲しそうな顔をして、新しいチョコパイを私にくれた。 気がついたら日付は変わっていて、私は一つ年をとっていた。 誕生日とはいえ彼がチョコパイを分けてくれたこと、そして何よりもこんなにハラハラして笑いながら誕生日を迎えたのは初めてだったので、「とても楽しい誕生日ケーキをありがとう。」的なことを言って、2人でチョコパイを半分こして食べた。 その後、彼とは社会人のなり方ですれ違い、別れてしまったが、今でも定期的に会うような間柄である。もう10年以上は経つが、自分の誕生日だけでなく、家族の誕生日ケーキを見るだけで、あの日の炎のチョコパイバースデーを思い出し、ニヤリとしてしまう。

タミー

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イタリアンソーダ

学生時代、近くにお気に入りのカフェがあり、そこでイタリアンソーダというものを初めて飲んだ。炭酸に好きなシロップを選んで入れる。たくさん味の種類はあるけれど、どれも氷がたくさん入って、少し薄くて淡い味わいのイタリアンソーダ。少し奮発して(コンデンス)ミルクを足すのが、お金がない学生生活のひそかな贅沢だった。お気に入りはココナッツシロップにミルク。日本では見かけたことがないけれど、今飲んでも当時と同じくらい美味しく感じるのだろうか。

イーグルス さん

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。

ながらぼ さん

食パンとバナナとナイフ

お父さんがいつも美味しそうに食べてる朝ごはん。食パンを焼いて、ナイフでバナナをスライスしてパンの上に並べたやつ。時々もらうけど、特別美味しくはない。うん、パンとバナナだよねって感じ。 聞けば、昔外国で働いてた時によく食べてたお父さんにとっては、思い出の朝ごはんらしい。 目の前にいるお父さんにも、私が知らない若い頃があったんだなって思えて、なんか不思議になる朝ごはん。

パンだ さん

お父さんと釣った魚

小さいころに、家族で小豆島に行ったときに、お父さんが急に釣りをしようといって、家族で釣りをした。それまで何度か釣りをしたけど、あんま連れたことがなかったんだけど、この日は小さい魚が何匹か連れて。何の魚か覚えていないけど、宿に持ち帰ってから揚げにしてもらったら、ホクホクでとても美味しかった。釣れた時も食べてるときも、お父さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えている。せっかくの旅行だから、いい思い出を残したくて張り切っていたのかな、と、今思い出していてなんとなく思う。釣りをしていた時にみた海に反射する夕日がとてもきれいだったのとあわせて、なんとなく忘れられない旅の思い出。

sayaka さん

やっぱ日本人

中学生の夏、短期留学に希望した友達と一緒にオーストラリアに行きました。初めての海外でちょっぴり不安もありながら好奇心で胸がいっぱいでした。オーストラリアに着いてからはホストファミリーと一緒に友達と暮らしながら留学生活を送っていました。 主食はお米ではなくじゃがいも、何もかもが大きくて量が多い!(笑)毎日今日の夜ご飯は何かとワクワクしていました。 そして、いよいよ日本に帰る日がやって来ました。嬉しくも寂しい気持ちを抱えながら飛行機で日本へ ホテルに泊まるためにみんなで夜ご飯をコンビニで買いに行きました。するとみんないっせいに同じ場所(笑) 大好きな「おにぎり」の場所へ やっぱり日本人だな〜

まんまるお米 さん

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美味しくないけど幸福な旅の味

旅行に行った先で、どの料理も味がいまいちな観光地の料亭に入ったことがある。著名人のサインだらけで、店内も満員、入った瞬間は期待感で一杯だったんだけど、来る料理来る料理、味がほんとうにいまいち。ただ満員の店内で美味しくないと口に出すわけにもいかず、最初は静かに食べていたんだけど、そのうち、美味しくない料理を、満員の店内でみんなが静かにたべている状況が、たまらなくおかしくなってきてしまい、一人で笑いを必死でこらえてた。ふと家族をみると、なぜかみんな笑いをこらえた顔をしている。弟がついに笑い出してしまったのを皮切りに、家族でたくさん笑ったのを覚えている。美味しくないのにとても幸せだった食事は、最初で最後だった。雪が降っている海辺の風景もよく覚えている。

おいしい思い出 さん

挫折を救った通学路のチキン南蛮

最近、お昼ごはんにはよくチキン南蛮定食を頼む。学生街の安い定食屋に入って、20代が食べるような大盛りのご飯と一緒に、たっぷりタルタルソースのついたチキンを頬張る。 最近、お腹が出てきてすこし嫁さんに健康を心配されてきた。ただ、ここで食べるチキン南蛮は僕が昔食べていたものとは少し違う。それがより一層、郷愁を駆り立てる要因となる。あぁ、故郷で食べていた本場のチキン南蛮が食べたい。唐揚げにたっぷりタルタルソースをかけた学生向けの味も美味しいが、やはり宮崎の味が恋しい。 高校時代、僕は学校に行くのが苦手だった。1学年に1クラスしかない地元の中学校では、1番を譲ったことはない。親族には一族始まって以来の「神童」と言われ、片道1時間かかる進学校にも合格した。しかし、そこに入ってから、自分が井の中の蛙だと知る。僕は周囲の期待と自身の能力の乖離に悩み、学校にいく足取りが重くなった。そんな僕を学校に行かせてくれたのが、通学路にあったチキン南蛮のお店だった。 ぼくは月に1回の贅沢として、そこでご飯を食べるのがとても楽しみだった。溶き卵でといたフワフワの衣を、あま〜い南蛮酢につけた大きな鶏むね肉。そこに特製のタルタルソースが絡まる甘く上品な味わいが、なんとか辛い学校へ行くエネルギーになった。 いまは学校で苦しんだものの、東京の有名大学になんとか入って、なんとか大手企業に勤めている。あくせく働く日々の中でも、食事のときだけはやはり、故郷で過ごした青春の日々は人生から切り離せないのだと感じる。年末、帰省したらあの店にまた行ってみよう。

oda さん

母親からの仕送り

上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。

ねぶたろう さん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

気難しい母が笑う体育祭

私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。

かもめコップ さん