おばあちゃんの民宿

沖縄の慶良間諸島に旅行にいったときに、おばあちゃんが運営している民宿に泊まった。 ビジネスライクな宿が増えている中、良い意味でおせっかいをやいてくれて、ゴウヤチャンプルーとか、食べたいものを作って出してくれた。 朝はニワトリの鳴き声とともに目覚め、おばあちゃんが朝食を出してくれる。 なぜかすごく懐かしい感じがして、居心地がよくて、また食べにいきたいなと思っている。

ららばい

  • 忘れられない旅ごはん

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茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

偏食な父が好きなもの

子どものころ、焼き魚が食卓に乗ったことはない。お刺身も、お寿司も。 唐揚げ、親子丼、焼き鳥など鶏肉もめったに食べなかった。肉は牛、次いで豚。これのみ。 母は栄養バランスを考え、子どもたち用に工夫して父と異なるごはんをつくってくれた。大変だったと思う。感謝しかない。 父は偏食だった。元をたどれば父方の祖父が偏食だった。牛肉が好きで、90歳を超えてもステーキをよく食べていた。 週末。父はよくラーメンやそばの出前をとった。月に1回くらい、少し遠出して父がお気に入りの中華そばも食べに行った。ランチはお子様ランチのあるファミレスによく連れていってくれた。ハンバーグ、ステーキ、コロッケ、オムライス、ナポリタン・・・どれも父自身が好きだったから。 平日の夜。ビールに厚揚げ、生ショウガの味噌合え、スルメイカにマヨネーズ(唐辛子かけ)などをアテにしていた。下戸なのに。ちびちびと吞んでいた。 ああ、結局ぜんぶ好きになったものばかり。ただ、焼き魚もお刺身もお寿司も大好きになった。好みは受け継いだが、私は偏食家ではない。

あっちゃん さん

カミカミ昆布

カミカミ昆布ってご存知ですか? 給食で出たメニューでちょっと甘い味付けの昆布が三本入ったおやつみたいなものです。 私が小学生の頃に出されていたのですが、大人になった今でもふと思い出して食べたくなってネットで購入してしまいます。 他県の友人に聞いてもわからないとのことで私の地域だけ?と思い投稿させていただきました。

トリニード さん

気難しい母が笑う体育祭

私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。

かもめコップ さん

地元を離れて初めて食べたゴーヤチャンプルー

6歳まで沖縄にいて、今は親の転勤で別の県にいる私。 沖縄での食卓には、時々母の作るゴーヤチャンプルーがのぼりました。 時々、というのも、その頃は私たち兄弟は、にがーいゴーヤを好んで食べることはなかったからです。ゴーヤチャンプルーといえば、大人のメニューでした。 その頃は引越しするだなんて考えたこともなかったから、全然知らない場所に引っ越すことになって驚きました。 県外に出て、めったに食べられなくなったメニューもあります。 それでも、ゴーヤチャンプルーはやはり食卓にのぼりつづけました。 大学生になったある日。栄養バランスも考えて食べなきゃなあ、と、ゴーヤチャンプルーを食べはじめました。 すると、コリコリ苦くて爽やかなゴーヤ、ふわふわの炒り卵、ジューシーなスパムが奏でるハーモニーに惚れ惚れしちゃいました! いつの間にか、私はゴーヤチャンプルーをもりもり食べられるほど大人になっていたのかしら、としみじみしました。 沖縄を出ていろんなことがありました。全く違う環境に慣れるために頑張ったり、夢ができたり、父が亡くなっなり。 目まぐるしい変化の中で、変わらない味のゴーヤチャンプルーを好きになった、という「変わったこと」が、とても嬉しかったです。 もう随分里帰りしていないですが、1口食べればすぐに沖縄に帰れる、母の作るゴーヤチャンプルーが大好きです。

銀河 さん

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誕生日のごちそう

誕生日の時にお母さんは毎回私が好きなご飯を作ってくれます。ローストビーフが食べたいと言うとお母さんはローストビーフを作ってくれます。それがすごく嬉しくて大切な思い出です。

ふうまる さん

おじいちゃんのくじら汁

おじいちゃんの家に行くと、おじいちゃんが時々食べていた、茄子とくじらの白いとこがはいったくじら汁。子供はなぜかあまりもらえなくて、おねだりして少しだけ分けてもらっていた。おじいちゃんもおばあちゃんもすでに他界してしまったけど、地元に帰っておじいちゃんが住んでいた家のあたりを通ると思い出すのは、おねだりして少し分けてもらったあの時の味と風景。

けっぱれ さん

お母ちゃんの甘いたまご焼き

運動会や遠足などでお弁当が必要な時、お母ちゃんがいつも甘いたまご焼きを作ってくれました。 口当たりはふわふわで、少し焦げ目がついたたまご焼きでした😌 27歳になった今でも、たまご焼きは甘い派です。

るーちゃん さん

ぷーぱっぽんかりー

スコールが降りやんだばかりのむっとするバンコクで、仕事を終えた後、先輩、後輩と「メシに行こう」と市内へ。おススメのお店があるからと彼らに連れていかれたのはソンブーンというシーフードのお店だった。ここの「ぷーぱっぽんかりー」ってカレーやばいから、と自信満々。ぷーぱっなんとかって呪文みたいだな、よどみなくメニュー名を読み上げる感じが通ぶってんな、そもそもこの2人そんなに食通だったか?と訝しみつつカレーを待った。やがて大皿がテーブルに運ばれてきた。ぶつ切りされた大きいカ二がどーん!と真ん中に盛られ、そこにスパイス香るややスーピーなカレーがさーとかけられ、その上にふわとろっとたまごがとじられている。パンチ強いビジュアル。確かにうまそうだ。どうよ、とおらついた様子でニヤついている2人に苛立ちをおぼえつつ、いざ食べ始めるともう止まらない。めちゃうまい。くせになる。何も話せない。カニの殻がもどかしいいけど、どうでもいい。気が付けば3人が無言で「プーパッポンカリー」をがっついていた。食後「うめーよな」と先輩に言われ、「サイコーっすね」とここは完敗を認めざるを得なかった。同じ皿の「プーパッポンカリー」を食べた先輩、後輩とはその後も長ーい付き合いが続いている。

ヒロ さん

迷子のおにぎり

本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。

しゃけぱんだ さん