おばあちゃんのからみ餅

子どものころ、毎年12月になると祖父母の家では親族が集まり、もち米を突いてお餅をつくっていた。 お小遣いをねだりに遊びに行くと、祖母が「お餅いるかい?」とよく食べさせてくれた。その際「どうやって食べる?」と聞いてくれる。家では磯部餅しか食べなかったが、祖母とはお餅を茹でてから大根おろしにしょうゆかけるからみ餅をよく食べた。磯部餅とは異なり、やらわかくて食べやすい。いま思えば祖母のやさしさと重なる。 大人になって知ったが、からみ餅は埼玉や福島の地元ごはんらしい。当時私や祖父母は埼玉にほど近い東京の北多摩地区に住んでいたので、伝わっていたのだろう。

フミ

  • 地元ごはん

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妻とはじめて喧嘩した青春のフグ刺し

九州と本州を結ぶ関門橋がある街、下関市。そこにぼくは生まれ育ち、今年からまた、ここで働いている。高校までずっと地元で過ごしてきた僕は、大学進学を機に山口市内の大学に進んだ。教員採用試験に受かってこの春、4年ぶりにこの現地の学校に帰ってきて教師になった僕は、週末になるといつも関門海峡が見える市場に出かける。海を眺めながらイキのいい海鮮を食べる。その中でもやはり、フグは僕に取っては避けられない、小さい頃から慣れ親しんだ味だ。どんな店で食べるご飯よりも、ここで食べるフグ刺しに勝るものはない。大学時代、男らしさを見せるために広島出身の彼女を地元に連れてきて、ふぐ差しを箸で一気にすくって豪快に一口で食べたらドン引きされ、大げんかしたことがあった。それも淡く切ない青春の思い出だ。当時と同じように、市場で買ってきたフグを箸で一気にすくう。口いっぱいに頬張り、幸せを噛み締める。その隣には、大学時代と変わらない笑顔と、太陽に反射した金属のリングが光って見えた。もうすぐ僕は結婚する。結婚してからも、子どもができてからも、僕は当時と変わらないこの味を、大好きな地元で、大好きな家族と一緒に味わうだろう。

たっき〜 さん

母のたわらおにぎり

社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。

町工場のむすめちゃん さん

おばあちゃんの煮た林檎

私の好物は煮た林檎。 幼少期おばあちゃんが作ってくれた料理。 その料理が生まれたのは、乳歯が抜ける時期。私が「歯がぐらぐらして痛いから、りんごは食べれないよ。」と言うとおばあちゃんは「じゃあ煮てあげようね。」と、切った林檎を煮て、砂糖をかけてくれた。 幼い私にとって未知なる姿に変わった林檎は、とても衝撃的だった。甘くて口の中でとろける、アップルパイの中身だけ頬張ったような幸せな味だった。それから私のお気に入りになったこの料理。暖かいまま食べると、私の心を優しく包み込んでくれるのです。今でも私はおばあちゃんを思い出しながら、林檎を煮て食べています。

イマジナリー さん

無骨な父のほうとう

父はあまり料理をしないが、出身地の山梨の名物のほうとうはよく作ってくれた。 野菜はざっくりとしか切れていないし、かぼちゃは熱で溶けてしまっているけど、なぜか絶妙においしい。 不器用な父の愛情を感じてすごく好きな料理だ。

森田 さん

こんなときだから

大学生の頃、悲しい知らせがあって、急に一人暮らしの家を出て、九州の実家に帰省することとなった。自炊が習慣化していた私は、その前夜にたくさんの野菜やお肉・魚類を買い溜めて、一人暮らし用の小さな冷蔵庫をいっぱいにしていた。あまりにも悲しそうな私を見かねて、彼氏が私の家から空港まで送ってくれると言ってくれた。悲しい気持ちを味わい、そして翌朝の出発の準備をしながら、冷静な頭ではその大量の食材をどうにかしないと、という思いがあり、なぜか私は食材を使い切る勢いでごはんを作った。自炊は習慣化していたけれどそこまで手際が良い訳なかった私だが、なぜかそのときはどんどん料理を作った。今思えば料理は一つのセラピーのようで、手元に集中することが心地よかった。彼氏が夜のうちに家に来てくれたとき、テーブルに並んだ大量の食事を見て驚いていたけれど、その夜、その食事を美味しそうに次々たいらげてくれた。私はどこか安心した気持ちで、翌朝、九州に帰省した。

tree さん

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思い出の椎茸と鍋焼きうどん

夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった  みんなで鍋の準備をしている時  私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった  不細工な椎茸を見てみんなが笑う中  初対面の夫がこう言った  『伸びしろがあってええやん』  ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた  夫と結婚して十五年  人生色々あるけれど  理解のある優しい夫に救われる事は多い  父としても申し分ない  そして  椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は  毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった  人は誰しも伸びしろしかない  努力は必ず報われる  そんな事を思いながら  今日もごはんを作る

shufuおうちごはん さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

食パンとバナナとナイフ

お父さんがいつも美味しそうに食べてる朝ごはん。食パンを焼いて、ナイフでバナナをスライスしてパンの上に並べたやつ。時々もらうけど、特別美味しくはない。うん、パンとバナナだよねって感じ。 聞けば、昔外国で働いてた時によく食べてたお父さんにとっては、思い出の朝ごはんらしい。 目の前にいるお父さんにも、私が知らない若い頃があったんだなって思えて、なんか不思議になる朝ごはん。

パンだ さん

禁断のワード、広島焼き

上京してはや10年、地元の広島へ帰省したときに必ず食べるのは「お好み焼き」。たっぷりキャベツと麺の上に様々な具や卵、生地が載り、ジュウジュウと熱々の鉄板から、皿は使わずヘラで直接食べるのが広島流。 東京に出てきて気がついたのは、この紛れもない「お好み焼き」を、東京では「広島焼き」「広島風お好み焼き」と呼ぶのが一般的だということだ。 広島の人たちはお好み焼きを、「関東風」でも「関西風」でもなく、紛れもなく自分たちが元祖「お好み焼き」だと誇りに思っており、「広島焼き」という呼び名は広島県内で見たことも聞いたこともないので、受け入れることができない。 「『広島焼き』なんてものは存在せんよ。」「広島風~ならギリギリ許してやらんこともなぁけど、、あれは『お好み焼き』じゃけぇ。。」 そんな私は、東京に出てきて以来、折に触れて都会の人々に、お好み焼きの真実を伝えている。これは『お好み焼き』ですよ!と。 ちなみに広島のライブハウスには、県外からきたミュージシャンがウッカリ禁断のワードを口にしないよう、「MCで『広島焼き』と言うのはやめてください」と張り紙がしてあるらしい。 広島に行くときは、うっかり口を滑らせぬようご注意を。

瀬戸の花婿 さん

ばあちゃんの赤飯

両親が離婚して家事の一手を担っていた うちのばあちゃん 高校を卒業して一人暮らしを始めてから たまに実家に帰ると 必ず赤飯を炊いてくれていました。 ぽろっと私がこぼした 「赤飯すきなんよね〜」の言葉を いつまでも覚えていてくれて 一升の赤飯を毎回毎回! 家族で私以外はあまり赤飯が好きではなかったみたいで 残す訳にもいかずお腹がはちきれるくらい食べました。 もっとたべておけばよかったなあ おいしかったありがとうってたくさん言っとけば よかったなあ なんて今になって思います。

ひざかさかさ さん