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おばあちゃんのあげぱん
私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。
しょくぱん さん
旅行好き一家の宴会
私の家族は、父母兄私妹の5人構成。両親は旅行先で出会ったくらいの旅行好きだったので、私たち子どもが小さい頃から、よく旅行に連れていってくれました。行き先は国内から海外まで様々でしたが、子ども心に、非日常な光景や文化、食事、ちょっと大人ぶったような振る舞いを楽しんでいました。ただ、子どもたちが小さいと大人は夜遊びができないですよね……。そんな中、パワフルな母は率先して、地元スーパーやコンビニで「宴会のつまみを買え〜〜!」と子どもたちに指令を出し、私たちは夜、部屋で宴会をするためのおつまみやお菓子をたくさんカゴに入れました。もちろん食べ切れる範囲で、ではありますが、その日はどんなに買っても大丈夫! 食事を終えてお風呂にも入ってから、部屋で家族5人、子どもはジュースを、大人はお酒を手に、わいわい楽しんだ宴会をよく覚えています。大人になってから思うと、両親は旅行先の夜も楽しみたかったんじゃないかな〜と思うのですが、それでも私たちと一緒に楽しむことを選んでくれたのかなあと思っています。
RHODIA さん
一緒に同じものが食べられるようになった
私には子どもがいます。生まれてからの最初のご飯は母乳。私は母乳が出るように、でも、時短でごはん・玉子焼き・納豆など…寝ている子どもが起きないようにそっと食べる。(もちろん大半は起きるので抱っこして食べる笑) その次は離乳食。決めた時間に食べさせる。離乳食は休日にストックを作って。一緒に食べる余裕なんてない。子どもが快適に。私が困らないように。だって初めての育児だもの。わからない。とにかく尽くす。 そして、離乳食拒否。こぼされる。投げられる。ぐちゃぐちゃを楽しむ。…心が少し折られる…なんとか回復。作る。食べる。遊ぶ。を繰り返す。心はもう折られない。食べる量が増え、何より愛しい。 まだ濃いものは食べれられない。だから、料理中に取り置きしたり、別のものを作ったり。「いただきまーす!」が一緒。嬉しいな。 そして、今。保育園でカレーを食べたと聞いて。我が家は幸いにも甘口。家では食べないかもしれないと頭の中に入れておいて。家族みんな同じカレー。並べて嬉しい。家族一緒のご飯。「いただきまーす!」食べる。子どもの口の周りが茶色。かわいい。ちょっとこぼして、洋服のうさぎにもおすそわけ。いいの。いいんだよ。昔と比べて気にしない。大丈夫。それよりも、食べてるね!えらいね!すごいね!ママと同じカレー!嬉しいな!大きくなったねえ!これからたくさん「一緒」のご飯食べようね*「おいしいね!」って共有しようね!
にょだ さん
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みそピー
給食にときどき出てきたみそピーは、味噌と砂糖とピーナッツを練り合わせた、少し甘くてしょっぱい食べ物で、小さなビニールのパッケージに入っていた。私は甘いとしょっぱいを同時に感じるのが嫌で、なんとなく苦手だった。それなのに、給食と言えば思い出されるみそピー。大人になった今なら、美味しく感じたりするのだろうか?
よく噛んで食べよう さん
お誕生日おめでとう
大学生の頃、付き合ってた彼も同じく大学生で2人とも美術を専攻していたこともあり、バイト代のほとんどを制作費に費やしお金がなかった。 でも、その頃は制作が一番で、2人でいて楽しければ、それで満足していた。 そんな中、私の誕生日が近づいてきた。しかし、彼の方が数日後に展覧会を控えており、気持ち的にもお金的にもお誕生日パーティーどころではなかった。私も仕方ないかと思っていたら、誕生日前日22時ごろ彼から「今から家に来れる?」と連絡が来た。丁度バイト帰りだったので、出かける手間など感じず、彼の家に向かった。 彼の家に着くと彼は「明日お誕生日だからさ、一緒に迎えたかったんだ」と言ってくれ、私は忙しい中、時間を作ってくれたことがとても嬉しかった。 そこからしばらくおしゃべりをし、0時を過ぎようとしたころ、彼が「ちょっと待ってて!」と言い、キッチンへ。「まさかケーキとか用意してくれてるの?」と私は内心、超テンションぶち上がりになった。 そして、部屋の電気が消され、ビートルズのハッピーバースデーが流れ出しいよいよだ!、とドキドキして待ったなしでいると、彼が「お誕生日おめえええええぇえ?!!!」と叫びに近い声で入ってきた。 彼の手元を見ると、ファミレスのとりわけ皿くらいの小さい皿持っている。それには何か載っており、さらにその何かの上に大きな火の塊ができていた。私は咄嗟に息を吹き掛けたが消えることもなく、むしろ彼に燃え移りそうで、2人でわたわたしてるうちに火は自然に消えた。(とても安心したのを覚えている) 火が消えて、部屋の電気をつけると、彼の持っていた皿には蝋だらけのチョコパイが載っていた。当時、彼は食事の代わりによくチョコパイを食べており、それは好物でもあったので、決して人にあげることはなった。(さすがの当時でも、金がないうえにすごくケチだな、一個くらいくれよ、と思っていた。) お金も時間もなかった彼は、自分の大切なチョコパイをケーキとして私に用意していたのだった。でも、ただ渡すだけでは流石に味気ないと思ったようで、私の年齢の数、約20本の誕生日ケーキ用の蝋燭を指していたのだ、直径10センチほどのチョコパイに。 そこに点火し一気に燃え移り、先のような状態になってしまい、蝋だらけのチョコパイが残ったのだ。 彼は「これじゃ食べられないね。」ととても悲しそうな顔をして、新しいチョコパイを私にくれた。 気がついたら日付は変わっていて、私は一つ年をとっていた。 誕生日とはいえ彼がチョコパイを分けてくれたこと、そして何よりもこんなにハラハラして笑いながら誕生日を迎えたのは初めてだったので、「とても楽しい誕生日ケーキをありがとう。」的なことを言って、2人でチョコパイを半分こして食べた。 その後、彼とは社会人のなり方ですれ違い、別れてしまったが、今でも定期的に会うような間柄である。もう10年以上は経つが、自分の誕生日だけでなく、家族の誕生日ケーキを見るだけで、あの日の炎のチョコパイバースデーを思い出し、ニヤリとしてしまう。
タミー さん
青春18切符での旅のシメご飯
お盆は名古屋の実家に帰っていたのですが、家族と予定が合わず私だけ別で現地集合に。 交通費を節約するために青春18キップで名古屋を目指したのですが、電車での長旅と途中熱海などで下車したこともあり、名古屋についたのは夜遅くに。 駅から実家に向かう途中の手羽先屋さんの手羽先をテイクアウトして食べたのですが、旅の疲れと手羽先の濃い味付けでビールが進み、とても美味しいごはんになりました。
なんでもないや さん
初対面はBBQ
恋人と付き合い、この人と長く一緒にいることになるのかなあ、と思い始めた20代半ば、実家の屋上でお昼にBBQをする話が持ち上がり、今だ!と思い、その日に恋人を両親に紹介しようと決めました。恋人は事の重大さを意識しているのかいないのか、「いいよ〜BBQいいね〜」と緩い反応。両親は「分かりました たくさんお肉を準備しておきます」とテキストだけではわからない反応。そしていざ当日、恋人も両親も自然な感じで始まるBBQ。あれ、私だけがドキドキしていたのかな…?と思うほど自然に進行し、順調に胃のなかに収められていく食材たち。お酒も入って、「まあもういいか〜」という気分になった頃、ソファが目に入り、私は酔いもあいまって、眠りの底に……。気づくと、ソファの隣で、恋人の寝顔。私たちは二人、実家の巨大なソファでぐうぐう眠っていたようです。自分のことはさておいて、「この人!彼女の実家に来ておきながら、眠ってる?!」と驚きましたが、気持ちよさそうにまだ眠る恋人と、屋上でまだお酒を飲み続けていた両親。自然体こそ人生の秘訣なのかもしれない、と考え直し、また目を瞑っていると、降りてきた父がふわっと私たちにブランケットをかけてくれるのが分かりました。
ふじもと さん