27

おかず分けっこ作戦

私自身も給食は完食が絶対の小学生時代を過ごしました。低学年のころは苦手な食べ物が多かったので、つらい思い出もあります。ですがこのエピソードを拝読して、なんだか私まで助けてもらえたような気がしました。投稿者さまにとっても、ご友人にとっても、印象深い成人式だっただろうなぁと思いをめぐらせながら描かせていただきました。

SNSでシェア

Original Episode

成人式で知った思い

私が小学生のころは、まだ、完全完食が目指される時代でした。給食もすべて食べるまで机に座らされて、食べ終わるまで、給食後の掃除の時間や5時間目が始まってからも給食のトレイを前にずっと座っているクラスメイトもいました。 ある時、いつもは元気で活発なクラスメイトが家庭環境によりこころが疲れていて、給食が食べられない、完食できないという時期がありました。 先生はいつものように、すべて食べるまで、給食時間を終わらせません。  何日かそんな日が続き、子供ながらにクラスメイトが辛そうな顔をしているとなんとかしないと…と思いました。 数日後から、私はこっそり、給食が配膳されたタイミングで、手をつける前に、そのクラスメイトのお皿から、給食を減らし、同じ班で食べている子達のお皿にササっと振り分けました。周りの子達の量を少しずつ増やし、食べられそうな量に調整したのです。 しばらくの間、先生が見ていない間にこっそりとそれを続けて、時間内に完食できるようにしたのです。 しばらく長い間、そんなことを続けていたと思います。でもそのうち、そのクラスメイトも様々な問題が解決したり、時間が解決したり、こころが安定してきたような気がしていました。 小学生のその頃、その後のことは、あまりよく覚えていませんが、ぼんやりと記憶の中にある思い出でした。 それから何年も経ち、成人式で私は当時のクラスメイトと再会しました。その時、当時についてお礼を言われたのです。 あの時、給食が食べられなくて苦痛だった日々を助けてくれてありがとう、と。辛い毎日に、大きな光であったと。 軽い気持ちでクラスメイトを助けていたことが、本人にとっては本当に忘れられない思い出で感謝していると言われ、なんだか照れ臭いような、でも過去の自分を褒めたいような、嬉しい気持ちになりました。 離れた場所で暮らしているので、そのクラスメイトに会うことはきっともうないのですが、私のこころにも大切な思い出になっています。

ゆきだるま さん

  • 給食

Comic

こしいみほ

滋賀県生まれ、埼玉在住のイラストレーター・漫画家。 漫画を担当した著書に『SNS マーケティングは7日間でわかります。』(Gakken)『学力があと伸びする子の親が大切にしていること』(実務教育出版)などがある。 好きだった給食のメニューはカレーうどん。

XInstagramホームページ

next

作品をもっと読む

28

焦げ目のついたご飯

なか憲人

26

秘密のジャージャー麺

こしいみほ

エピソードをもっと見る

エリアで探す

ぷーぱっぽんかりー

スコールが降りやんだばかりのむっとするバンコクで、仕事を終えた後、先輩、後輩と「メシに行こう」と市内へ。おススメのお店があるからと彼らに連れていかれたのはソンブーンというシーフードのお店だった。ここの「ぷーぱっぽんかりー」ってカレーやばいから、と自信満々。ぷーぱっなんとかって呪文みたいだな、よどみなくメニュー名を読み上げる感じが通ぶってんな、そもそもこの2人そんなに食通だったか?と訝しみつつカレーを待った。やがて大皿がテーブルに運ばれてきた。ぶつ切りされた大きいカ二がどーん!と真ん中に盛られ、そこにスパイス香るややスーピーなカレーがさーとかけられ、その上にふわとろっとたまごがとじられている。パンチ強いビジュアル。確かにうまそうだ。どうよ、とおらついた様子でニヤついている2人に苛立ちをおぼえつつ、いざ食べ始めるともう止まらない。めちゃうまい。くせになる。何も話せない。カニの殻がもどかしいいけど、どうでもいい。気が付けば3人が無言で「プーパッポンカリー」をがっついていた。食後「うめーよな」と先輩に言われ、「サイコーっすね」とここは完敗を認めざるを得なかった。同じ皿の「プーパッポンカリー」を食べた先輩、後輩とはその後も長ーい付き合いが続いている。

ヒロ さん

成人式で知った思い

私が小学生のころは、まだ、完全完食が目指される時代でした。給食もすべて食べるまで机に座らされて、食べ終わるまで、給食後の掃除の時間や5時間目が始まってからも給食のトレイを前にずっと座っているクラスメイトもいました。 ある時、いつもは元気で活発なクラスメイトが家庭環境によりこころが疲れていて、給食が食べられない、完食できないという時期がありました。 先生はいつものように、すべて食べるまで、給食時間を終わらせません。  何日かそんな日が続き、子供ながらにクラスメイトが辛そうな顔をしているとなんとかしないと…と思いました。 数日後から、私はこっそり、給食が配膳されたタイミングで、手をつける前に、そのクラスメイトのお皿から、給食を減らし、同じ班で食べている子達のお皿にササっと振り分けました。周りの子達の量を少しずつ増やし、食べられそうな量に調整したのです。 しばらくの間、先生が見ていない間にこっそりとそれを続けて、時間内に完食できるようにしたのです。 しばらく長い間、そんなことを続けていたと思います。でもそのうち、そのクラスメイトも様々な問題が解決したり、時間が解決したり、こころが安定してきたような気がしていました。 小学生のその頃、その後のことは、あまりよく覚えていませんが、ぼんやりと記憶の中にある思い出でした。 それから何年も経ち、成人式で私は当時のクラスメイトと再会しました。その時、当時についてお礼を言われたのです。 あの時、給食が食べられなくて苦痛だった日々を助けてくれてありがとう、と。辛い毎日に、大きな光であったと。 軽い気持ちでクラスメイトを助けていたことが、本人にとっては本当に忘れられない思い出で感謝していると言われ、なんだか照れ臭いような、でも過去の自分を褒めたいような、嬉しい気持ちになりました。 離れた場所で暮らしているので、そのクラスメイトに会うことはきっともうないのですが、私のこころにも大切な思い出になっています。

ゆきだるま さん

これだけは食べたい雑炊の話

母は料理をしない人で、ほとんど外食や惣菜を買ってきていた。ただ、唯一、自分の手で作ってくれるのが冬に食べるお鍋でした。私は無限に具が追加されるような夜のお鍋も好きだったけれど、我が家では、翌日にそのお鍋でつくってくれる雑炊が格別でした。いろいろな旨みが染み込んだ鍋地に、卵がやわらかくとろけて、ごはんがハフハフ。片手鍋いっぱいにつくった雑炊を何度もお代わりして、絶対に食べ切っていました。そのおかげで、何度か学校に遅刻しそうになったくらい…… お鍋の日の翌朝、冬なのにお腹がたっぷりの雑炊で温まっている、あの嬉しい気持ちを冬になるとよく思い出します。

ぎゅうすけ さん

お父さんと釣った魚

小さいころに、家族で小豆島に行ったときに、お父さんが急に釣りをしようといって、家族で釣りをした。それまで何度か釣りをしたけど、あんま連れたことがなかったんだけど、この日は小さい魚が何匹か連れて。何の魚か覚えていないけど、宿に持ち帰ってから揚げにしてもらったら、ホクホクでとても美味しかった。釣れた時も食べてるときも、お父さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えている。せっかくの旅行だから、いい思い出を残したくて張り切っていたのかな、と、今思い出していてなんとなく思う。釣りをしていた時にみた海に反射する夕日がとてもきれいだったのとあわせて、なんとなく忘れられない旅の思い出。

sayaka さん

中学生のときに食べた肉まん

無二の親友と言える友がいる。彼とは、中学時代一番長い時間を過ごした。部活で家に帰るのが遅くなったら、いつもコンビニに寄って食べたのがほっかほかの惣菜まんだった。特に冬に食べた肉まんはうまかった。雪が積もる寒い都道府県だったので、吹雪の中スリップしながら帰る日もあった。そんな日に暖房が効いたコンビニに寄って、イートインスペースで食べたほっかほかの肉まんは、ゲームのセーブポイントみたいな魔法の地点だと感じたっけ。大人になってからも交流が続いているが、年末に飲んだとき、ふとその話になって、若き日の自分と、彼の姿を思い出した。飲んでフラフラになったあと、懐かしくなって友達を誘ってコンビニで肉まんを食べた。昔より美味しくなってたけど、思い出は色褪せなかった。

ニックマン さん

タグで探す

はじめてホヤを食べた日

親が好きで食べていたホヤを、初めて食べた日のことは忘れられない。見た目はもちろんのこと、甘いともしょっぱいとも言い切れないあの不思議な味。水を飲むとなぜか少し甘く感じた衝撃。海のパイナップルと言ったのは誰だ、と本気で腹が立った。それからも好奇心で父親が食べていると、一切れもらっては、うそでしょー、と盛り上がっていた。20年近くたって、今は大好物のホヤ。人間の味覚って不思議ですね。

つまみ さん

母親からの仕送り

上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。

ねぶたろう さん

福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん

母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。

うめしそおくら さん

仙台アーケードの揚げかまぼこ

仙台のアーケードで売ってる揚げかまぼこが青春の味、あの頃はCD屋さんも賑わっていて、新星堂で時間をつぶしたりしながら友達とアーケードをぶらぶらしながらよくたべてた。 いろんなことを思い出す味。

たなばたん さん

忘れられない日と別れ

18歳の夏、彼女と別れた。泣いた。ひたすら泣いた。僕は本当に彼女のことが好きだった。でも、僕は自分の夢を追うために地元を離れることを決め、受験勉強をしていた。そして、僕は遠方への進路を決めた。進路が決まったタイミングで、友達が誕生日会を計画してくれた。しかし、なんとそこに元カノも呼ばれていた…… おそるおそる話を聞いてみると、気まずいし、断ろうと思ったらしいけど、この機会を逃したらもう僕に2度と会えないと思って来てくれたらしい。帰るとき、こっそりプレゼントをもらった。手作りチョコレートと一緒に、手紙が入ってた。「元気でね」 それを見て僕はまたわんわん泣いた。小腹が空いてチョコレートを食べるときは、今でもあの特別な誕生日を思い出す。あの子は今、元気にしてるだろうか。

goo さん

1/4