36

深夜の呼び出しラーメン

会話の内容も、ラーメンの味も覚えてないし、あんなに眠かったのに。もう戻ってこないあの時間が尊いんですよね。そんな記憶があるってだけで、すごく幸せなことなのかもしれないと思わせてもらいました。

SNSでシェア

Original Episode

深夜の家系ラーメン

後輩はいつも決まって深夜に急に電話をかけてきて、「先輩今からラーメン行きませんか?」と誘ってきた。 あまりお腹がすいていなくても、期末試験で忙しくてもついつい誘いにのって食べにいってしまう。 何を話したのか、まったく覚えていない。たぶん内容のない話ばかりだったのだろう。 でも過去に戻れるとしたらそんな時間に戻りたいなと思う。

ラジコ さん

  • 地元ごはん

Comic

吉本ユータヌキ

漫画家、イラストレーター。1986年大阪生まれ。2020年に「漫画家やめたい」と落ち込んでいたタイミングでコーチングと出会い、雑談を繰り返すうちに「他人の期待に応えるために漫画を描くことに苦しみを感じていた」と気づく。1年かけて「自分の描きたいことを描く」へと少しずつ変化し、それ以降「気にしすぎ」な人が少しでも気楽に生きられるヒントになる作品をつくりたいと思っている。

Xホームページ

next

作品をもっと読む

37

じいじのお寿司って

吉本ユータヌキ

35

父のふわとろオムライス

吉本ユータヌキ

エピソードをもっと見る

エリアで探す

一緒に同じものが食べられるようになった

私には子どもがいます。生まれてからの最初のご飯は母乳。私は母乳が出るように、でも、時短でごはん・玉子焼き・納豆など…寝ている子どもが起きないようにそっと食べる。(もちろん大半は起きるので抱っこして食べる笑) その次は離乳食。決めた時間に食べさせる。離乳食は休日にストックを作って。一緒に食べる余裕なんてない。子どもが快適に。私が困らないように。だって初めての育児だもの。わからない。とにかく尽くす。 そして、離乳食拒否。こぼされる。投げられる。ぐちゃぐちゃを楽しむ。…心が少し折られる…なんとか回復。作る。食べる。遊ぶ。を繰り返す。心はもう折られない。食べる量が増え、何より愛しい。 まだ濃いものは食べれられない。だから、料理中に取り置きしたり、別のものを作ったり。「いただきまーす!」が一緒。嬉しいな。 そして、今。保育園でカレーを食べたと聞いて。我が家は幸いにも甘口。家では食べないかもしれないと頭の中に入れておいて。家族みんな同じカレー。並べて嬉しい。家族一緒のご飯。「いただきまーす!」食べる。子どもの口の周りが茶色。かわいい。ちょっとこぼして、洋服のうさぎにもおすそわけ。いいの。いいんだよ。昔と比べて気にしない。大丈夫。それよりも、食べてるね!えらいね!すごいね!ママと同じカレー!嬉しいな!大きくなったねえ!これからたくさん「一緒」のご飯食べようね*「おいしいね!」って共有しようね!

にょだ さん

これだけは食べたい雑炊の話

母は料理をしない人で、ほとんど外食や惣菜を買ってきていた。ただ、唯一、自分の手で作ってくれるのが冬に食べるお鍋でした。私は無限に具が追加されるような夜のお鍋も好きだったけれど、我が家では、翌日にそのお鍋でつくってくれる雑炊が格別でした。いろいろな旨みが染み込んだ鍋地に、卵がやわらかくとろけて、ごはんがハフハフ。片手鍋いっぱいにつくった雑炊を何度もお代わりして、絶対に食べ切っていました。そのおかげで、何度か学校に遅刻しそうになったくらい…… お鍋の日の翌朝、冬なのにお腹がたっぷりの雑炊で温まっている、あの嬉しい気持ちを冬になるとよく思い出します。

ぎゅうすけ さん

大会の前夜のラーメン屋さん

高校生のときです。部活の大会が土曜日の朝早くからあるため、前乗りで開催地の下関に向かうことがありました。学校を早退し、みんなと移動して宿泊をする高揚感を携えながら夜ごはんは顧問の先生、部活仲間と町の小さな中華屋さんで食べました。食後に撮った写真が残っており、そこには楽しそうな先生と私たち、そして笑顔で一緒に並んで写真に収まる店主さん。写真を見るとそのときの思い出が蘇ってきます。

ろんぐ さん

偏食な父が好きなもの

子どものころ、焼き魚が食卓に乗ったことはない。お刺身も、お寿司も。 唐揚げ、親子丼、焼き鳥など鶏肉もめったに食べなかった。肉は牛、次いで豚。これのみ。 母は栄養バランスを考え、子どもたち用に工夫して父と異なるごはんをつくってくれた。大変だったと思う。感謝しかない。 父は偏食だった。元をたどれば父方の祖父が偏食だった。牛肉が好きで、90歳を超えてもステーキをよく食べていた。 週末。父はよくラーメンやそばの出前をとった。月に1回くらい、少し遠出して父がお気に入りの中華そばも食べに行った。ランチはお子様ランチのあるファミレスによく連れていってくれた。ハンバーグ、ステーキ、コロッケ、オムライス、ナポリタン・・・どれも父自身が好きだったから。 平日の夜。ビールに厚揚げ、生ショウガの味噌合え、スルメイカにマヨネーズ(唐辛子かけ)などをアテにしていた。下戸なのに。ちびちびと吞んでいた。 ああ、結局ぜんぶ好きになったものばかり。ただ、焼き魚もお刺身もお寿司も大好きになった。好みは受け継いだが、私は偏食家ではない。

あっちゃん さん

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

タグで探す

季節を感じる食卓

幼少期に親戚でもない近所のおばさんの家に預けられていた。 その時の食体験が今のベースにある気がする。 庭に柿の木が植っていて、秋にはもいで食べた。夏は近所から梅をもらってきて、梅ジュースをつくった。畑もやっていたので、旬の野菜も収穫してふるまってくれた。 おじさんは近所の川で川釣りをしてきて、魚をさばいてくれて食べたり。 そういえば、そばも毎回粉から練って、手動の機械で麺にして食べていた気がする。 どれも子供にとっては本当に楽しい経験だった。

徹 さん

哀しいくらい君が好き

僕の間違いは、君を僕のもとから離してしまったことだった。地元で教師になる君を振って、僕は自分の夢を追うために他県に進んだ。今、夢を叶えて自分の好きな仕事をしているが、心は満たされていない。君が僕のそばにいないからだ。そう思いながら、自分で作った卵焼きを食べた。甘い。甘すぎる。君が作った卵焼きとは随分違うな。高校時代、君が毎日作ってきてくれたお弁当。そこに入っていた酸っぱい卵焼きの味が、今でも恋しい。そう思って、久しぶりに連絡を取ってみた。すぐに返ってきた。向こうも驚いていたようだった。ちょうど別れたところで今、彼氏はいないらしい。今までずっと新たな恋をしようとしても、若き日の僕が心の中にいて長続きしなかったそうだ。なんという奇跡。10年間の心の隙間を埋める、新しい恋が始まりそうだ。

哀しき街 さん

年末年始の寿司

東京から帰ってきたら、実家に豪勢な寿司が並んでいた。近隣に海がない関東のお寿司は美味しいが、ネタが小さくて割高だと感じる。でも、海に面した地元だと、安くて大きな身の寿司がたくさん食べられる。これこれ!食卓に並んだプリップリのブリに舌鼓を打つ。歯応えがあるのに、口の中でとろける。東京価格だと10万円くらい払ってもいいけど、驚くほど安くでこんなご馳走を味わえる。こんな美味しいお寿司を小さいときからたくさん食べさせてくれた地元と、両親に感謝したい。

寿司五郎 さん

玉ねぎ卵かけごはん

三重に旅に行ったときに、宿泊先の民宿のおじさんが農家で、仕事終わりにもってきた生の玉ねぎのスライスをご飯にかけて、生卵をかけて食べさせてくれた。醤油なんかかけるな、と少しだけ塩を振ってくれたその卵かけご飯が、信じられないくらい美味しかった。玉ねぎが辛くて、卵がまろやかで、鮮烈な香りがあって。美味しそうに食べていた僕を見て、がはは!!とわらう豪快さに、おじさんすごくかっこいいな、と思ったのを覚えてる。

たまねぎお さん

フィリピンで死にかけて食べたご飯

フィリピンの離島に行った時のこと。離島からカヤックを漕いで他の島を探検していた。 しかし奥に入り込みすぎて、あたりが次第に暗くなってきた。 頑張って漕いで、急いだけど、真っ暗になってしまい、どこから来たのかもわからなくなってしまった。 波で転覆しそうになりながら、灯台の光だけを頼りに何とか陸まで帰ってきた。 宿に買えると、心配した友達が迎えてくれて、温かいフィリピンの地元のご飯を食べた。 食べているうちに、緊張感がとけた。

ボーダーレス さん

1/4