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じいじのお寿司って

自分の家族が飲食店で働かれていて、お客さんが喜ぶ顔まで見ていたってすごく羨ましいなと思いました。そんな経験したくても、なかなかできないと思うので。こうして描かせてくださり、思い出をお裾分けしてくれて、ありがとうございます。

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Original Episode

じいじのお寿司

私のじいじは寿司職人で、いつも遊びに行ったらおすしを握ってくれました。 じいじが握ったお寿司は優しくて、大好きでした。 苦手だったマグロのお寿司もじいじのおかげで食べれるようになり、今では大好きなネタの一つです。 一度お店に行った時、お客さんが笑顔でじいじのお寿司を買っていて、じいじのお寿司はみんなから愛されているんだなと、嬉しかったのを覚えています。 今はもう雲の上にいってしまって食べることができなくなってしまったけど、 これからもずっとじいじの握ってくれたお寿司が一番大好きです。

はるきち さん

  • 家族のごはん

Comic

吉本ユータヌキ

漫画家、イラストレーター。1986年大阪生まれ。2020年に「漫画家やめたい」と落ち込んでいたタイミングでコーチングと出会い、雑談を繰り返すうちに「他人の期待に応えるために漫画を描くことに苦しみを感じていた」と気づく。1年かけて「自分の描きたいことを描く」へと少しずつ変化し、それ以降「気にしすぎ」な人が少しでも気楽に生きられるヒントになる作品をつくりたいと思っている。

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深夜の呼び出しラーメン

吉本ユータヌキ

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地元を離れて初めて食べたゴーヤチャンプルー

6歳まで沖縄にいて、今は親の転勤で別の県にいる私。 沖縄での食卓には、時々母の作るゴーヤチャンプルーがのぼりました。 時々、というのも、その頃は私たち兄弟は、にがーいゴーヤを好んで食べることはなかったからです。ゴーヤチャンプルーといえば、大人のメニューでした。 その頃は引越しするだなんて考えたこともなかったから、全然知らない場所に引っ越すことになって驚きました。 県外に出て、めったに食べられなくなったメニューもあります。 それでも、ゴーヤチャンプルーはやはり食卓にのぼりつづけました。 大学生になったある日。栄養バランスも考えて食べなきゃなあ、と、ゴーヤチャンプルーを食べはじめました。 すると、コリコリ苦くて爽やかなゴーヤ、ふわふわの炒り卵、ジューシーなスパムが奏でるハーモニーに惚れ惚れしちゃいました! いつの間にか、私はゴーヤチャンプルーをもりもり食べられるほど大人になっていたのかしら、としみじみしました。 沖縄を出ていろんなことがありました。全く違う環境に慣れるために頑張ったり、夢ができたり、父が亡くなっなり。 目まぐるしい変化の中で、変わらない味のゴーヤチャンプルーを好きになった、という「変わったこと」が、とても嬉しかったです。 もう随分里帰りしていないですが、1口食べればすぐに沖縄に帰れる、母の作るゴーヤチャンプルーが大好きです。

銀河 さん

誕生日だけど、娘の好きなケーキはモンブラン

初産、それは私がママになった特別な日。 考え深いもので、娘の誕生だけはやはり特別に記憶がある。 そんな日には、娘の誕生日をお祝いと口では言いながら頭の中は自分が頑張った日だから自分を満足させよう♪そう思っている母なのだ。 娘には小さい頃から私の初めてを捧げている。 とりあえず、未知の世界を知るきっかけが娘なのだ。 誕生日ケーキといえば、イチゴがのったワンホールをイメージしていた。 だが、娘はあまり好きではない。 甘いものを先は先へと先送りにしていたが故に、ジュースも飲まない、甘いお菓子も周りのお友達に合わせて少し食べる程度。 そんな娘が好んだのが、モンブラン(栗の味がするところ)だった。 確かに、美味しいよねそこは。 初めて食べさせるものは特別に美味しいものをという考えで毎回、お金をかけてきただけある。 贅沢なモンブランの食べ方は、誕生日だけは許してあげようと数年間、誕生日にはモンブランを準備した。 高くついたが、家族みんなの分のモンブランを買い、盛大に祝った誕生日。 あれは何年まえになるのか。 近所のケーキ屋さんを周り、モンブラン食べ比べをした誕生日。 私の心をいっぱいにした自己満の母心、娘には伝わったかな? もう、自分が食べたいモンブランより家族が喜ぶものを希望してくれるようになった娘。 モンブラン誕生日、やって本当によかったよ。

みっちゃん さん

はぱのみ焼き

自分のお父さんは極稀に「はぱのみ焼き」という美味しいお好み焼きを作ってくれます。具材は様々で枝豆が入っていたりチーズが入っていたりとにかく様々な種類で美味しいのです。小さい頃から自分は店員の事をペンギンと呼んでおり店員の事を呼ぶ時(店員はお好み焼きを運ぶ人の事)ペンギンと呼んでいます。いつも何故はぱのみ焼きなんだろうと考えていましたが、小さい頃は「お好み焼き」の、のみからとったんだなと思っていました。それから特に考えることなく中学校2年生になりました。そこでわかったんです。のみはだけと同じ意味ののみなんだと。いつもありがとう

あいす さん

成人式で知った思い

私が小学生のころは、まだ、完全完食が目指される時代でした。給食もすべて食べるまで机に座らされて、食べ終わるまで、給食後の掃除の時間や5時間目が始まってからも給食のトレイを前にずっと座っているクラスメイトもいました。 ある時、いつもは元気で活発なクラスメイトが家庭環境によりこころが疲れていて、給食が食べられない、完食できないという時期がありました。 先生はいつものように、すべて食べるまで、給食時間を終わらせません。  何日かそんな日が続き、子供ながらにクラスメイトが辛そうな顔をしているとなんとかしないと…と思いました。 数日後から、私はこっそり、給食が配膳されたタイミングで、手をつける前に、そのクラスメイトのお皿から、給食を減らし、同じ班で食べている子達のお皿にササっと振り分けました。周りの子達の量を少しずつ増やし、食べられそうな量に調整したのです。 しばらくの間、先生が見ていない間にこっそりとそれを続けて、時間内に完食できるようにしたのです。 しばらく長い間、そんなことを続けていたと思います。でもそのうち、そのクラスメイトも様々な問題が解決したり、時間が解決したり、こころが安定してきたような気がしていました。 小学生のその頃、その後のことは、あまりよく覚えていませんが、ぼんやりと記憶の中にある思い出でした。 それから何年も経ち、成人式で私は当時のクラスメイトと再会しました。その時、当時についてお礼を言われたのです。 あの時、給食が食べられなくて苦痛だった日々を助けてくれてありがとう、と。辛い毎日に、大きな光であったと。 軽い気持ちでクラスメイトを助けていたことが、本人にとっては本当に忘れられない思い出で感謝していると言われ、なんだか照れ臭いような、でも過去の自分を褒めたいような、嬉しい気持ちになりました。 離れた場所で暮らしているので、そのクラスメイトに会うことはきっともうないのですが、私のこころにも大切な思い出になっています。

ゆきだるま さん

父が作ってくれたスクランブルエッグ

私が受験生だった時  夜中に「お腹空いた」と言うと父がお酒を飲みながら作ってくれた。  「半熟加減が難しいんだぞ〜」と解説しながら作る父。  美味いだろ〜!って言う父の笑顔が大好きだった。  今では私が作ったこのスクランブルエッグを旦那と子供が笑顔で食べる。  その笑顔を見ると父を思い出す。  皆元気だから天国で見守っててね。 

kenchicoクッキング さん

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毎年一度のすき焼きパーティ

毎年、年末年始の帰省を楽しみにしている。 我が家の1月1日はすき焼きパーティが開催される。 年に一度、元旦だけのすき焼き。 それも霜降りな高級肉だ。おかげさまで毎年最高な1年のスタートを切れる。 時は経ち、それぞれが家族を持ち、別々で元旦を過ごすことも多くなった。その中で、家族全員が揃ってのすき焼きはなくなってしまった。 でも、みんな、すき焼きが食べたい。 そんな食い意地から、1月2日、1月3日と、それぞれの家族と両親で、2daysのすき焼きパーティが行われる風習となった。 今は、両親の胃もたれだけが気になっている。

ふるたろ さん

夜道の焼き鳥

高校生の頃、よくお泊まりにくる友だちがいて、お風呂にも入った後、夜食に駅前の焼き鳥を買いに行っていました。うちのマンションから駅前まではだいたい10分くらい、駅前のちょっと年季が入ったお店で好きなだけ焼き鳥を買って、それを食べながらまたマンションまで帰る。寄り道したり、わざとゆっくり歩いたりしながら、焼き鳥を食べ歩きする帰り道はちょっとお行儀が良くなくて、なんだかいい気持ちでした。仲は良かったしなんでも話すような友だちだったけれど、家の中じゃ話せないし、向き合っていると話せない、そういうことがあったんだよな〜と思います。ああいう夜は大人になってからは取り戻しづらくて、たまにすごく懐かしいです。

月の番人 さん

やっぱ日本人

中学生の夏、短期留学に希望した友達と一緒にオーストラリアに行きました。初めての海外でちょっぴり不安もありながら好奇心で胸がいっぱいでした。オーストラリアに着いてからはホストファミリーと一緒に友達と暮らしながら留学生活を送っていました。 主食はお米ではなくじゃがいも、何もかもが大きくて量が多い!(笑)毎日今日の夜ご飯は何かとワクワクしていました。 そして、いよいよ日本に帰る日がやって来ました。嬉しくも寂しい気持ちを抱えながら飛行機で日本へ ホテルに泊まるためにみんなで夜ご飯をコンビニで買いに行きました。するとみんないっせいに同じ場所(笑) 大好きな「おにぎり」の場所へ やっぱり日本人だな〜

まんまるお米 さん

思い出の椎茸と鍋焼きうどん

夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった  みんなで鍋の準備をしている時  私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった  不細工な椎茸を見てみんなが笑う中  初対面の夫がこう言った  『伸びしろがあってええやん』  ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた  夫と結婚して十五年  人生色々あるけれど  理解のある優しい夫に救われる事は多い  父としても申し分ない  そして  椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は  毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった  人は誰しも伸びしろしかない  努力は必ず報われる  そんな事を思いながら  今日もごはんを作る

shufuおうちごはん さん

おばあちゃんの煮た林檎

私の好物は煮た林檎。 幼少期おばあちゃんが作ってくれた料理。 その料理が生まれたのは、乳歯が抜ける時期。私が「歯がぐらぐらして痛いから、りんごは食べれないよ。」と言うとおばあちゃんは「じゃあ煮てあげようね。」と、切った林檎を煮て、砂糖をかけてくれた。 幼い私にとって未知なる姿に変わった林檎は、とても衝撃的だった。甘くて口の中でとろける、アップルパイの中身だけ頬張ったような幸せな味だった。それから私のお気に入りになったこの料理。暖かいまま食べると、私の心を優しく包み込んでくれるのです。今でも私はおばあちゃんを思い出しながら、林檎を煮て食べています。

イマジナリー さん

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