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情熱の階段
自分もミュージシャンを夢見て上京した時に、1週間同じものを食べるなど当たり前の状態でした。
たくさん作って分けて食べていた料理も繰り返しているうちに小技を覚えて、アレンジもだんだんとレパートリーが増えていくのも生活が根付いていくようで嬉しかった。そんな頃を思い出す良い機会をいただきました。
★★★
皆さんの青春時代のごはんの思い出が「針原翼/はりーP」さんにより楽曲とミュージックビデオになりました!
「情熱の階段」
情熱の階段 僕は登ってる 一生懸命に膝を立てて
結局のところさ 僕は何者だろう
どうしてこんなに悩んでんだろう
情熱の階段 僕は登ってる 絶望の可能性を抱えながら
悪戦苦闘が 染みになったトレーナー
着はじめた色とは程遠いよな
本音はこんなはずじゃないと言いたげで
ニガニガした顔だったよ
情熱の階段 僕は笑ってる 必死に涙を隠しながら
なんだってチャレンジ そんな心構え
大鍋で作り置いたカレーの底
生きる術はたくさん「生きる理由」は一握り
すっかり板についた物言い癖
本音を手放してしまえば簡単で
ジタバタしてないんだろう
夢を逆走したアパート 暖房のない六畳で
信じられるものと出会って 別れ道を選んだ
けれどお腹だけは満たして 典型な理想を語って
この世の終わりと戦って 見事にお腹が空くんだ
ほかほかのごはん 出来立てのごちそう
卵焼き 海苔巻き からあげの山
「おかえり」「ただいま」夢にまで見ること
「いってらっしゃい」に返事を求められないこと
情熱の階段 僕の生きる道
もしかしたら降っていたのかもしれない
瞬く間の出来事 その連続で心は
壊れそうになるけれど闘ってるんだ
情熱の階段 僕は
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学生時代に作った大量カレー
学生時代ってホントお金ないですよね なんでね もうホント食べるのもね どうしようかなって結構考えたりしますよね ってことで私の場合はですね カレーとかシチュー またおでんや肉じゃが そういう煮物系をですね 一度にいっぱい作りまして それでね もう一週間ずっと食べ続けているっていうのをありましたね 途中でね 少なくなってきましたら また作って継ぎ足してって感じでね もうそれだったら違うの作れよって感じなんですけれどもね もうホント一週間カレーだったり一週間シチューとかね 一週間ずっとおでんだったりとかね してましたね でもね なんか飽きなかったんですよね やっぱり好きなものって飽きないですよね
サンロード さん
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冬の予備校帰りに食べたカツ丼の味
なんでもないご飯なのに、とても感動することがある。 受験生だったとき、朝から晩まで勉強で我ながらよく頑張っていた気がする。 しかし成績は思い通りに伸びるわけではなく、よく落ち込んでいた。 たしか、模試の結果が良くなく、落ち込みながら帰った帰り道。 ふと見つけたカツ丼屋に吸いこまれていった。 寒くて凍えるような日で、出てきたカツ丼を食べて、あまりのおいしさに少し涙が出た。 あれ以来、色々なカツ丼を食べたけど、あの日のカツ丼を超えることはまだない。
さいとう さん
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小さいころに、家族で小豆島に行ったときに、お父さんが急に釣りをしようといって、家族で釣りをした。それまで何度か釣りをしたけど、あんま連れたことがなかったんだけど、この日は小さい魚が何匹か連れて。何の魚か覚えていないけど、宿に持ち帰ってから揚げにしてもらったら、ホクホクでとても美味しかった。釣れた時も食べてるときも、お父さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えている。せっかくの旅行だから、いい思い出を残したくて張り切っていたのかな、と、今思い出していてなんとなく思う。釣りをしていた時にみた海に反射する夕日がとてもきれいだったのとあわせて、なんとなく忘れられない旅の思い出。
sayaka さん
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福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん
母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。
うめしそおくら さん
迷子のおにぎり
本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。
しゃけぱんだ さん
茶色多めのお弁当
子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。
おいら さん
新入社員時代のローカル焼肉
入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。
雲 さん