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みんなから集まったごはんの思い出

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全32作品

京都滞在を延ばした本当の理由は、ごぼ天うどん?

大学1年生の12月28日、初めて一人旅に出た。場所は京都。 アルバイトで貯めたお金に余裕はなくて、宿泊はゲストハウスに。そのゲストハウスの人に教えてもらって、食べに入ったうどん屋さん。 そこで、ごぼ天うどんを食べて目を見開いた。ごぼうがシャクシャク、ホクホク。カレー塩がまぶしてあって、永遠に食べていられる絶妙なごぼ天なのだ。うどんとの相性も最高、悪いわけない、永遠コース。 感動した私は、ゲストハウスで人と知り合うたびにごぼ天うどんに誘い、新しく宿泊しにきた人をごぼ天うどんに誘い、ごぼ天の美味しさをただただみんなと共有し続けた。 そして、12月31日。この日には東京に帰る予定だったのに、「私、今夜も、ごぼ天食べていこうかな……」 その場にいたゲストハウスの友人たちは「本当にあのお店のごぼ天うどんが好きなんだねえ、付き合うよ」と笑ってくれた。 結局、2泊も延泊した。初めて、年越しを実家以外で過ごした冬だった。 私が延長したかったのは、ごぼ天を食べる時間だったのか、ゲストハウスで知り合った友人たちとの会話や時間だったのか。美味しさと楽しさをないまぜにして、東京に帰った。

ぐうぐう さん

  • 忘れられない旅ごはん

数年経っても家族の話題にのぼる、石垣島の島オクラ

転職前の有給休暇を使って、両親と子どもと行こうと計画した5月の石垣島旅行。 小さい頃は旅行好きの両親に連れられて、国内にも国外にもよく旅行に出たけれど、大学生になってからは友人や恋人との旅行が楽しくなり、親と旅行する機会は無くなった。 だから、みんな揃っての家族旅行は10年ぶりだった。 せっかくだから楽しんで欲しい、楽しみたい。大人になった私が上手にアテンドをして、リラックスしてもらいたい! そして、いざ旅行! 旅行によく慣れた、自分で動いてしまう両親だから、私のアテンドはなんだか空振り気味…。 いつまで経っても両親には敵わないなあ、と思いながら向かった初日の夜ごはんは、 石垣島の食材を使った数々の美味しい島料理が味わえる地元のお店。 石垣島らしさが詰まったメニューから何を頼もうかと目移りするのも楽しい…。 そこで、なんとなしに注文した島オクラ! 茹でて鰹節をかけられただけなのに、普段食べるオクラと違って、ふっくら柔らかく、味はほんのり甘い。 普段食べるオクラは五角形だけど、島オクラはまーるい。 そんなことを両親と子どもと不思議がりながら、「なんでこんなにこのオクラ美味しいんだろう?」とみんなで大はしゃぎ。 なんだ、みんなで、美味しいこと、不思議なこと、驚くことを楽しめばいいんだなあ。 みんなの楽しそうな笑顔を見て、ちょっとふさいでいた私の心もまーるくなりました。 この美味しい島オクラは、旅行から数年経った今でも、ふと家族の会話にのぼる、大事なごはんメモリーです。

すいとう さん

  • 忘れられない旅ごはん

遠野のジンギスカン

ある夏、一人旅で岩手へ行った。 岩手で働いていた人から話を聞いてぜひいきたいと思って。 宮沢賢治も大好きだし、岩手についた瞬間から、大きな岩手山が見えて、ああ、賢治の風景だ、と思ってワクワクした。 一人で花巻も龍泉洞もいった。 当時一日二通しかなかった電車で遠野にいき、岩手を勧めてくれた友人おすすめの遠野のジンギスカンを一人で食べた。 なぜ遠野といえばジンギスカンなのか、いまだにわからないけど、社会人になって数年、必死で休みもなく働いてきて、やっと一息ついて初めてしっかりとれた夏休みのジンギスカンは、とてもおいしかった。 おいしいね、と言える相手がいないことがさみしくもあったけど、この旅は一人がよかったんだろうと思った。

もいもい さん

  • 忘れられない旅ごはん

青春18切符での旅のシメご飯

お盆は名古屋の実家に帰っていたのですが、家族と予定が合わず私だけ別で現地集合に。 交通費を節約するために青春18キップで名古屋を目指したのですが、電車での長旅と途中熱海などで下車したこともあり、名古屋についたのは夜遅くに。 駅から実家に向かう途中の手羽先屋さんの手羽先をテイクアウトして食べたのですが、旅の疲れと手羽先の濃い味付けでビールが進み、とても美味しいごはんになりました。

なんでもないや さん

  • 忘れられない旅ごはん

結婚初日のカレー

結婚するまで実家暮らしだった自分。27歳で結婚することとなり、初めて実家を出て、妻と暮らすことになりました。結婚初日、仕事帰りに家に帰ると、妻が作ったカレーがありました。妻と食べる同棲初日の初めての夕食。実家で慣れ親しんだ今までのカレーとは少し味が違うけれど、これがこれから「暮らしのカレー」になるんだとしみじみ思ったのを覚えています。

ひろし さん

  • 忘れられない旅ごはん

伊豆大島のうつくしいべっこう丼

去年学生時代の友人と訪れた伊豆大島。東京竹芝埠頭から夜間の大型客船の波に揺られ、朝方到着したのは自然が壮大な島の景色でした。まだ眠い目をこすりながら朝ごはんのお店を探すと、港の近くに小ぢんまりとした定食屋さんを発見。朝早い時間にも関わらく笑顔で店主さんが迎え入れてくれ、オススメされた「べっこう丼」を注文することに。 伊豆大島の郷土料理という「べっこう丼」は、新鮮な白身魚をお刺身をピリリと辛い島唐辛子入りの醤油だれに漬け込んで丼仕立てにしたもの。朝ごはんにもぴったりなおいしさに感動していると、「すごく簡単だからお家でも作れるよ」と丁寧に作り方を教えてくれるやさしい店主さんでした。

らじぱんだ さん

  • 忘れられない旅ごはん

迷子のおにぎり

本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。

しゃけぱんだ さん

  • 忘れられない旅ごはん

今までで一番美味しかった八重山蕎麦

真夏の石垣島で自転車をこいで、汗をかいた後に食べた八重山蕎麦が、格別の美味しさだった。空気感とか気候とか、やっぱり現地じゃないと味わえない味がある。

るん さん

  • 忘れられない旅ごはん

新入社員時代のローカル焼肉

入社一年目、本当に忙しいなかで、生活の手続きまで手が回らなくて、気づくと電気も水も止まってしまった。季節は夏。水と電気がない週末はほんとに厳しい。ふと思い立って、旅行に行くことにした。東京での生活につかれてしまったのもあり、誰にも会いたくなくて、あえてなにもなさそうな茨木の田舎に行った。数時間、電車にゆられて、無人駅を乗り継ぎ、目的地についてみたら、観光地らしいものは何もない。ほんとうに「普通」のまちだった。とりあえず、地元の本屋で漫画を大人買いして、部屋でセミの声を聴きながら、ただ寝転んでぼーっと読んでいた。ひとりで宿の食堂で食べるのもなんか嫌だったので、ふらふらと町を歩いて、地元の焼き肉屋に入ってみた。入ってみると、お店の子どもと地元の高校生がアルバイトしていて、ローカルラジオがかかっていて、急に旅に来たんだなぁという気がしたのを覚えている。本棚には、昔のマンガがたくさんあった。焼肉は美味しかった、多分。正直何を食べたかとかは覚えていないんだけど、東京から遠く離れて、自分とは違う場所でも当然だけどその場所での生活や時間があって。あぁ、今の生活だけがぜんぶじゃないんだよなぁって気持ちが楽になった。いつかまた行きたいと思ってるんだけど、まちの名前も駅の名前も思い出せない。なんとなく不思議な記憶。

雲 さん

  • 忘れられない旅ごはん

真冬のニューヨークとピザ

ある年の大晦日、ニューヨークへ弾丸で一人旅をした。 その年は記録的な大寒波が到来、空港に到着するなり、耳や頭が冷えて、だんだんと具合が悪くなるほどに寒かった。 英語もろくに喋れないのに、無謀にも1人で海外旅行に挑戦してみたが、寒さと言葉の通じない心細さで、初日から心が折れて、早く帰りたい気持ちになってしまった。 お店の注文も不安だったので、宿泊先のホテル近くの小さなピザ屋で何とか安いピザとコーラを頼み、空腹を満たした。せっかくニューヨークまで来たのに、安いピザとコーラしか食べられない自分に情けなくなりながら、その日は眠りについた。それでも1-2日ほど過ごしたら、次第にフッキレたのか、言葉が通じないことにもめげず、色々なお店に行ったり、観光地に行ったり、旅行を楽しむことができた。年越しの瞬間は、地元の人たちが集まるレストランで、テレビに映るタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら知らない人たちとシャンパンで乾杯していた。 今でも時々、テレビで真冬のニューヨークを見ると、あの時のピザとコーラを思い出す。

mukamuka さん

  • 忘れられない旅ごはん

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台湾の鍋

実は鍋メニューが充実する国、台湾。出張時に仕事仲間から紹介され、ぜひ家族にも教えてあげたいとプライベートでも訪れるほどはまった鍋がある。長白小館というお店の酸菜白肉火鍋。漢字から想像できるように、酸味のある白菜の漬物と豚肉を重ねている。それだけでもおいしそうな見た目なのだが、席から離れたたれコーナーで10種類を超える調味料や具材を組み合わせ、好みのつけだれを調合するのが楽しい。いざ家族を台湾に連れてきてみると、八角の香りが苦手で食べられないメニューもあったが、この鍋は小さな子どもたちにも好評だった。もう10年近く前の家族旅行だが、いまでも振り返ると必ず話題にのぼるハイライトだ。

ヤマ さん

仙台アーケードの揚げかまぼこ

仙台のアーケードで売ってる揚げかまぼこが青春の味、あの頃はCD屋さんも賑わっていて、新星堂で時間をつぶしたりしながら友達とアーケードをぶらぶらしながらよくたべてた。 いろんなことを思い出す味。

たなばたん さん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

嫌いな食べ物ある?

「嫌いな食べ物ある?」 居酒屋で飲んでいた時にした会話。 友達たちが「パクチー」「ほうれん草の味噌汁」「ゆでたキャベツ」と順番に答えていく。 一番最後私の番。もはや大喜利だろみたいなこの場面で私が答えたのが、 「加工されたいちご」。 全くウケなかった。分かっていたけど何か悔しい。何が正解だったのだろう。あれからずっと考えているが答えが出ない。 だからこそ皆さんに問いたい。 「嫌いな食べ物ある?」

和こうちゃ さん

無骨な父のほうとう

父はあまり料理をしないが、出身地の山梨の名物のほうとうはよく作ってくれた。 野菜はざっくりとしか切れていないし、かぼちゃは熱で溶けてしまっているけど、なぜか絶妙においしい。 不器用な父の愛情を感じてすごく好きな料理だ。

森田 さん

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割るオムライス

あまり料理をしない父が、唯一得意にしていたのが、卵をのせて最後に包丁で割るとトロッとひらくオムライス。何かのテレビで見てつくったところ、「プロみたい!」と家族に褒められ、気をよくした父は、ことあるごとにそのオムライスを披露してた。今思うと、きれいに包む方が難しい気もするけど、あのオムライスは、いなかの我が家の食卓にあって、ダントツでおしゃれで、何だが幸せな味がした。わかっていても、割れた瞬間「おぉ・・・!」とみんなで歓声をあげて、そのたび父はとても自慢げだった。

タマゴ さん

いやいや食べた思い出の春巻き

僕は給食が嫌いだった。偏食で、味の濃いものしか口にしなかった。春巻も野菜が入っているというだけで食べられなかった。でも、4年生のときに当たった厳しい先生に、春巻きを食べさせてもらった。最初は嫌すぎて涙を流したけど、勇気を出してみると意外と美味しかった。それ以来、春巻は大好物。これを食べるたびに、あの時の先生の顔を思い出す。

丹波人 さん

誕生日がクリスマス

私の誕生日は12月24日。そうクリスマスだ。幼少期はこれがとても嫌だった。なぜなら、ケーキを食べる機会が被ってしまい、一回分食べられなくなるからだ。友達の家は誕生日とクリスマスにどちらもケーキを食べると聞いたとき、ひどく損した気分になって自分の運命を恨んだものだ。しかし、今になって気づくと、誕生日と行事が被っているというのは幸せなことだったなと思う。すぐに覚えてもらえるし、フライドチキンなどのご馳走も一緒に頼んでくれたから、同級生と比較しても、ひときわ豪華な誕生日だったと思う。親に感謝だなぁ。

しょんぼりクリスマス さん

おばあちゃんのあげぱん

私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。

しょくぱん さん

気難しい母が笑う体育祭

私の母は気難しい人で、自分に厳しく、家族にも厳しい仕事人だった。そんな母は元々県大会で優勝するようなランナーだったこともあって、私の体育祭だけは、毎年欠かさず一人で応援に来てくれた。 体育祭のお昼休憩で合流する母は、いつもよりも盛り上がっていて、「今年の綱引きはあの戦いが見所だった」「あの競技のあの場面は応援しちゃうよね」「徒競走、惜しかったじゃん!もうちょっとだったよね」と、次々、話しかけてくれる。いつもと違う人みたい。 そんな母と食べる体育祭の日のお弁当は、いつもと同じような母が作ってくれるお弁当だったけれど、なんだか味が違った気がする。お弁当なのに、冷めていなかった気がする。

かもめコップ さん