みんなから集まったごはんの思い出
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全35作品
福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん
母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。
うめしそおくら さん
母のたわらおにぎり
社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。
町工場のむすめちゃん さん

お母さんのカニクリームパスタ
誕生日や特別な日は自分が大好きなカニのクリームパスタにしてくれる両親。2人でカニを買ってきて、仕込んで仕上がる味は絶品。大きくなっても、それがずっと好きだと思って作ってくれる。でも、自分的には「ちょっと飽きてきたかな」と思うけど、毎回得意げに「今日はカニクリームパスタよ」と言ってくる両親の顔を見ると言えないし、愛されているなと改めて感じるそんな”ごはんメモリー”でした。
キュータロー さん
瀬戸内海と尾道ラーメン
帰省のたびに食べる尾道ラーメンは、高校生のときから変わらない味。 毎年、お盆やお正月、帰省のタイミングで食べに行くけれど、ランチ時はいつも満席なので、帰省の期間中に食べられるかどうか。。。 瀬戸内海の潮風の匂いと一緒に思い出す、こってりした醤油味。
カモメと猫 さん

カミカミ昆布
カミカミ昆布ってご存知ですか? 給食で出たメニューでちょっと甘い味付けの昆布が三本入ったおやつみたいなものです。 私が小学生の頃に出されていたのですが、大人になった今でもふと思い出して食べたくなってネットで購入してしまいます。 他県の友人に聞いてもわからないとのことで私の地域だけ?と思い投稿させていただきました。
トリニード さん
みそおにぎり
自分の地区では、おにぎりの外側に味噌をまんべんなく塗った味噌にぎりを食べます。特徴は焼かないこで、炊き立てのご飯に味噌を塗るだけです。冷や飯でも美味しいですが、 この食べ物は自分が子供のころから、おやつがわりにおばあちゃんがよく作ってくれました。 この味噌にぎりを一番美味しいと思ったのは、高校の時です。私の通っていた高校では一昼夜を通して80km強の距離を歩く「強歩」というイベントがありました。1日目の朝に出発し、那須・大田原あたりをぐるっと回るこの強歩はかなりきつく、次の日の昼に終わった時には本当に立ち上がれないくらいに疲れ切ってしまいます。これを三年間、毎年私は最後まで完歩しました。 一年目の強歩が終わってへろへろの状態で家に帰ると、おばあちゃんが「疲れたろ」と言い、この味噌にぎりを作ってくれました。高校になってから部活も勉強も忙しく、おやつを食べることも少なくなっていた私にとって、それは久々の味噌にぎりでした。なんだこんなもの、と思いながらも食べると、それは疲れと空腹もあって、人生で一番美味しかった味噌にぎりでした。 あっという間に平らげると、おばあちゃんはもう1つ作ってくれて、それもすぐに食べると3つ目を作ってくれました。「味噌は力になるから」というのがおばあちゃんの口癖で、その時もそれを言っていました。 おばあちゃんはそれからしばらくして施設に入りましたが、味噌にぎりを食べる私を見ながらにこにこ笑っていた顔を今でも思い出します。
栃木のバティストゥータ さん
友達のおばあちゃんの味噌おにぎり
小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。
ながらぼ さん
イタリアンソーダ
学生時代、近くにお気に入りのカフェがあり、そこでイタリアンソーダというものを初めて飲んだ。炭酸に好きなシロップを選んで入れる。たくさん味の種類はあるけれど、どれも氷がたくさん入って、少し薄くて淡い味わいのイタリアンソーダ。少し奮発して(コンデンス)ミルクを足すのが、お金がない学生生活のひそかな贅沢だった。お気に入りはココナッツシロップにミルク。日本では見かけたことがないけれど、今飲んでも当時と同じくらい美味しく感じるのだろうか。
イーグルス さん

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仙台アーケードの揚げかまぼこ
仙台のアーケードで売ってる揚げかまぼこが青春の味、あの頃はCD屋さんも賑わっていて、新星堂で時間をつぶしたりしながら友達とアーケードをぶらぶらしながらよくたべてた。 いろんなことを思い出す味。
たなばたん さん
父と山菜
季節になると、父とよく山菜のたらのめを採りに行っていた。中学生ごろになると、父と話すことも見つかりづらくなっていたけど、山道の道中、ぽつりぽつりと会話をしたり、山菜が群生している場所を見つけた時に、一緒に声を出して喜んだのををいまでもよく覚えている。今も父は季節になると嬉しそうに自分で採った山菜を送ってくる。
雪解けしどけ さん
大会の前夜のラーメン屋さん
高校生のときです。部活の大会が土曜日の朝早くからあるため、前乗りで開催地の下関に向かうことがありました。学校を早退し、みんなと移動して宿泊をする高揚感を携えながら夜ごはんは顧問の先生、部活仲間と町の小さな中華屋さんで食べました。食後に撮った写真が残っており、そこには楽しそうな先生と私たち、そして笑顔で一緒に並んで写真に収まる店主さん。写真を見るとそのときの思い出が蘇ってきます。
ろんぐ さん
大阪のおでん屋さんのうどん
20代前半、社会人になって間もないころ、慣れない出張で大阪へ。緊張しながらも取引先と日中の仕事を無事終えることができた。夜は打上げで大いに盛り上がり、1軒で3時間は過ぎていただろうか。すでにだいぶお酒も呑んでいた。店を出ると、「締めの一杯行こうぜ」と言われ、まだ呑むのかよ、勘弁してくれよ、と思いつつ千鳥足で歩き回り、営業しているおでん屋さんをみつけ飛び込んだ。とりあえずじゃないけどビールとおでんを少々頼み再度乾杯。そこで口にしたおでんのおだしが・・・うまい。東京と違う。地域によっておだしが異なるという知識はあったが、体験したのは初めてだった。さらに若かった私はまたお腹がすき始めていることに気づき、おでんでは飽き足らず、何か追加注文しようと思い立った。「うどん頼んでいいすか」と取引先に伝えると、「いいよ、しっかしお前、よく食うなぁ―」と上機嫌。でてきたのはシンプルきわまりない素うどんだったが、これが五臓六腑にしみわたるうまさ。そもそも、なんでおでん屋にうどんがあるんだ?、東京にはおでん屋ってないよなあ、大阪なんかいいな、と思いながらうどんをすすってあっという間に完食。取引先は半寝状態。何だか大人の階段を上った気がした夜だった。
河童 さん
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餃子の時間
美味しくて大好きだけど、一人や大人ふたりではなかなか作らなかったお家餃子。子どもが3、4歳になった頃くらいから、急に「たまにつくるメニュー」に登場。ふつうの包み方をするだけでは大人も飽きてくるし、子どもあのヒダヒダをつくりながら包むのは大変そうなので、いつからか、ヒダヒダではない包み方の餃子が多くなりました。手で遊んで創作したり、それもアイデアが尽きると「餃子 ユニーク 包み方」などで検索して試してみたり。食べる本番前に、そんなふうにわいわい包む時間も楽しくて、餃子は2度美味しい。今は子どもも楽しそうに一緒に包んでくれるけれど、いつか、ヒダヒダのふつうの餃子ばかり一人で包む日がきたら、もうお家餃子は卒業かもしれません。その日まで、変な包み方の餃子時間を楽しみます!
水餃子も好きだけど さん
夜更けの四万十居酒屋ご飯
学生時代の頃、東京から九州までヒッチハイクだけで往復をしたことがある。 新幹線に乗れば快適な道だが、当然ながら簡単には乗せてくれる人は見つからず、大変な旅だった。その分、人との交流や出会いがたくさん生まれた。 九州から四国にフェリーで上陸した時、すでに夕方くらいになっていた。 着いた港町はなかなか人手も少なく、車すらあまり走っておらず、ようやく乗せてくれる人を見つけて、四万十市についた頃には、夜遅くになっていた。 不安な気持ちでとりあえず夕飯を食べようとやっていた居酒屋のドアを開けると、にぎやかで温かい空気が流れていた。 四万十の名物を地元のおじさんに教えてもらいながら、旬の魚料理をいただいた。 またいつか行ってみたい。
もっちー さん
甘くて美味しい玉子焼き
実家に帰るとご馳走で迎えてくれる母親 子供の頃から大好きだった料理をそのまま揃えた食卓 特にその中でも海苔巻きが大好きです 母親の作る玉子焼きは砂糖とほんだしが入っていて それだけで甘くて美味しい その玉子焼きはお弁当にもいつも入っていたから 懐かしい味わいでもある 私には綺麗な部分をくれる でも玉子焼きが好きだからこの端っこを食べちゃう また食べたくなってきた 実家に帰ろう
ながらぼ さん

地元を離れて初めて食べたゴーヤチャンプルー
6歳まで沖縄にいて、今は親の転勤で別の県にいる私。 沖縄での食卓には、時々母の作るゴーヤチャンプルーがのぼりました。 時々、というのも、その頃は私たち兄弟は、にがーいゴーヤを好んで食べることはなかったからです。ゴーヤチャンプルーといえば、大人のメニューでした。 その頃は引越しするだなんて考えたこともなかったから、全然知らない場所に引っ越すことになって驚きました。 県外に出て、めったに食べられなくなったメニューもあります。 それでも、ゴーヤチャンプルーはやはり食卓にのぼりつづけました。 大学生になったある日。栄養バランスも考えて食べなきゃなあ、と、ゴーヤチャンプルーを食べはじめました。 すると、コリコリ苦くて爽やかなゴーヤ、ふわふわの炒り卵、ジューシーなスパムが奏でるハーモニーに惚れ惚れしちゃいました! いつの間にか、私はゴーヤチャンプルーをもりもり食べられるほど大人になっていたのかしら、としみじみしました。 沖縄を出ていろんなことがありました。全く違う環境に慣れるために頑張ったり、夢ができたり、父が亡くなっなり。 目まぐるしい変化の中で、変わらない味のゴーヤチャンプルーを好きになった、という「変わったこと」が、とても嬉しかったです。 もう随分里帰りしていないですが、1口食べればすぐに沖縄に帰れる、母の作るゴーヤチャンプルーが大好きです。
銀河 さん