みんなから集まったごはんの思い出
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全2作品
思い出の椎茸と鍋焼きうどん
夫との出会いは友人宅で開催された鍋パーティーだった みんなで鍋の準備をしている時 私は椎茸の飾り切りが上手に出来なかった 不細工な椎茸を見てみんなが笑う中 初対面の夫がこう言った 『伸びしろがあってええやん』 ポジティブな言葉と優しい関西弁の夫に私は惚れた 夫と結婚して十五年 人生色々あるけれど 理解のある優しい夫に救われる事は多い 父としても申し分ない そして 椎茸の飾り切りが上手に出来なかった私は 毎日家族のためにバランスを考えてごはんを作れる主婦になった 人は誰しも伸びしろしかない 努力は必ず報われる そんな事を思いながら 今日もごはんを作る
shufuおうちごはん さん
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チリンチリンアイス
夏といえば、チリンチリンアイス。おばあちゃんが「チリンチリン」と鐘を鳴らしながら売っていたからそう呼んでいたけど、正式名称なんなんだろう。田舎のお店もあんまない場所で、夏休みになると音を聞いて子供たちが集まってきて、同級生との社交場のようになっていた。なつかしいなぁ。まだあるのかな。
ちょび さん
美味しくないけど幸福な旅の味
旅行に行った先で、どの料理も味がいまいちな観光地の料亭に入ったことがある。著名人のサインだらけで、店内も満員、入った瞬間は期待感で一杯だったんだけど、来る料理来る料理、味がほんとうにいまいち。ただ満員の店内で美味しくないと口に出すわけにもいかず、最初は静かに食べていたんだけど、そのうち、美味しくない料理を、満員の店内でみんなが静かにたべている状況が、たまらなくおかしくなってきてしまい、一人で笑いを必死でこらえてた。ふと家族をみると、なぜかみんな笑いをこらえた顔をしている。弟がついに笑い出してしまったのを皮切りに、家族でたくさん笑ったのを覚えている。美味しくないのにとても幸せだった食事は、最初で最後だった。雪が降っている海辺の風景もよく覚えている。
おいしい思い出 さん
真冬のニューヨークとピザ
ある年の大晦日、ニューヨークへ弾丸で一人旅をした。 その年は記録的な大寒波が到来、空港に到着するなり、耳や頭が冷えて、だんだんと具合が悪くなるほどに寒かった。 英語もろくに喋れないのに、無謀にも1人で海外旅行に挑戦してみたが、寒さと言葉の通じない心細さで、初日から心が折れて、早く帰りたい気持ちになってしまった。 お店の注文も不安だったので、宿泊先のホテル近くの小さなピザ屋で何とか安いピザとコーラを頼み、空腹を満たした。せっかくニューヨークまで来たのに、安いピザとコーラしか食べられない自分に情けなくなりながら、その日は眠りについた。それでも1-2日ほど過ごしたら、次第にフッキレたのか、言葉が通じないことにもめげず、色々なお店に行ったり、観光地に行ったり、旅行を楽しむことができた。年越しの瞬間は、地元の人たちが集まるレストランで、テレビに映るタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら知らない人たちとシャンパンで乾杯していた。 今でも時々、テレビで真冬のニューヨークを見ると、あの時のピザとコーラを思い出す。
mukamuka さん
母親からの仕送り
上京して自分の家族ができてから、なんとなく煩わしくなり両親と連絡をまともに取らない時期が続いている。その間も母親からは定期的に、郷土の食材が送られてきていたが、お礼もまともに言ったこともなかった。この間も小さいころに好物だったすじこやたらこ、つぶ貝が送られてきて、喜んでいる子供たちを見ていた時に、なぜかふと、この仕送りがなくなったら寂しいな、と感じる瞬間があった。今回はきちんとお礼を伝えようと思う。ありがとう。
ねぶたろう さん
サンフランシスコの海鮮シチュー
仕事で訪れたサンフランシスコ。せっかくだから何かおいしいものを食べたいと探してみつけたのが名物の「チョッピーノ」。その昔、イタリアから入植した漁師たちから生まれたメニューらしい。カニやエビ、ホタテ、イカ、クラム、ムール貝などもりだくさんの魚介類をトマト、ワインベースのスープで煮込んでいる。バケットをひたして食べるのがたまらなくおいしい。半年前に行った際は夕食時だというのに街中閑散としたお店ばかりだったが、チョッピ-ノで有名なお店だけは大変な賑わい。次から次へと予約客が入ってくる。どのテーブルにもチョッピーノは必ずサーブされていた。隣のテーブルで食べ終わった老人が席を立つ際に「どう、おいしい?それはよかった」と流ちょうな日本語で話しかけてきた。アメリカはどの都市に行っても同じような食べ物ばかりと思いがちだが、半島の先端に位置して海の幸に恵まれたサンフランシスコには、この都市ならではの地元ごはんがあった。また食べに行きたい。
ソットマーレ さん
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季節を感じる食卓
幼少期に親戚でもない近所のおばさんの家に預けられていた。 その時の食体験が今のベースにある気がする。 庭に柿の木が植っていて、秋にはもいで食べた。夏は近所から梅をもらってきて、梅ジュースをつくった。畑もやっていたので、旬の野菜も収穫してふるまってくれた。 おじさんは近所の川で川釣りをしてきて、魚をさばいてくれて食べたり。 そういえば、そばも毎回粉から練って、手動の機械で麺にして食べていた気がする。 どれも子供にとっては本当に楽しい経験だった。
徹 さん
誕生日がクリスマス
私の誕生日は12月24日。そうクリスマスだ。幼少期はこれがとても嫌だった。なぜなら、ケーキを食べる機会が被ってしまい、一回分食べられなくなるからだ。友達の家は誕生日とクリスマスにどちらもケーキを食べると聞いたとき、ひどく損した気分になって自分の運命を恨んだものだ。しかし、今になって気づくと、誕生日と行事が被っているというのは幸せなことだったなと思う。すぐに覚えてもらえるし、フライドチキンなどのご馳走も一緒に頼んでくれたから、同級生と比較しても、ひときわ豪華な誕生日だったと思う。親に感謝だなぁ。
しょんぼりクリスマス さん
やっぱ日本人
中学生の夏、短期留学に希望した友達と一緒にオーストラリアに行きました。初めての海外でちょっぴり不安もありながら好奇心で胸がいっぱいでした。オーストラリアに着いてからはホストファミリーと一緒に友達と暮らしながら留学生活を送っていました。 主食はお米ではなくじゃがいも、何もかもが大きくて量が多い!(笑)毎日今日の夜ご飯は何かとワクワクしていました。 そして、いよいよ日本に帰る日がやって来ました。嬉しくも寂しい気持ちを抱えながら飛行機で日本へ ホテルに泊まるためにみんなで夜ご飯をコンビニで買いに行きました。するとみんないっせいに同じ場所(笑) 大好きな「おにぎり」の場所へ やっぱり日本人だな〜
まんまるお米 さん
カンボジアのバス停とフライドライス
大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。
アジアの純真 さん