みんなから集まったごはんの思い出
投稿エピソード一覧
全5作品
思い出の夜ご飯
自分は中学2年生の吹奏楽部なのですが中学1年生の時コンクールに疲れしかも銅賞(吹部の中では最下位みたいなもの)で最悪な気分で帰り不機嫌なまま寝てしまいました。翌日は土曜日だったのですが朝早い両親は仕事へ姉2人は部活へ自分一人家に残りました。そして机の上に書置きがあり見てみると昨日の夜ご飯入っとるし食べといてと書いてありました。見ると自分が大好きなチャーハン。それも自分好みの味になっていました。まだ感謝を伝えられていません。
あいす さん
みそかやきって知ってる?
子どものころ「みそかやき」が大好きだった。大きなホタテ貝の上にネギと卵と味噌を混ぜて火にかけて、ぐつぐつしたのをご飯にかけてよく食べた。引っ越してから、はじめてみそかやきが全国区の食べ物じゃないことを知った。あと、ほんとのみそかやきにはホタテも入っていることも。多分昔は、節約のために貝がはいってないみそかやきがよく出てたのかな。「殻の上で焼くのに貝ははいってないの?」と聞いたことがあったけど「殻のだしを食べるもんだ」と言われた記憶がある。なんにしても、子供のころの大好物だった。
団長 さん
アメリカンドーナッツ
アメリカ留学中、お金がなくて、安かったコンビニのドーナッツと牛乳だけ買ってお腹を満たしてた。シェアハウスの玄関先のブランコに揺られながら食べてたあのめちゃくちゃにあまいドーナッツを牛乳で流し込んだ味は、自分にとって特別な味。写真がたのしくてたのしくて、食費もフィルムや印画紙台に当てていたあの学生の日々は、今思うととても幸せな時間だった。
テキサス さん
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故郷の味チキン南蛮
学生時代 好みのチキン南蛮を探しに良く食べ歩いた 鶏むねvs鶏もも タルタル有vs無 甘酢を浸すvsかけるvs甘酢でチキンを煮る いろんなチキン南蛮を食べてきた そんな私のチキン南蛮 最近はカロリー気にしてマヨは控えめ 米酢・紅生姜・ごまは我が家の定番 さっぱり食べられる 我が家はむね肉 小麦粉を下地に卵液の衣をつける 部活の大会前 受験前 お祝いごと 事あるごとに、食べてきた 甘酢を絡めて、さらに煮詰めた甘酢をかける タルタルをかけて、完成 思い出の味 我が家のチキン南蛮
mabo さん
学生時代に作った大量カレー
学生時代ってホントお金ないですよね なんでね もうホント食べるのもね どうしようかなって結構考えたりしますよね ってことで私の場合はですね カレーとかシチュー またおでんや肉じゃが そういう煮物系をですね 一度にいっぱい作りまして それでね もう一週間ずっと食べ続けているっていうのをありましたね 途中でね 少なくなってきましたら また作って継ぎ足してって感じでね もうそれだったら違うの作れよって感じなんですけれどもね もうホント一週間カレーだったり一週間シチューとかね 一週間ずっとおでんだったりとかね してましたね でもね なんか飽きなかったんですよね やっぱり好きなものって飽きないですよね
サンロード さん
おじいちゃん特製肉じゃが
良く、おじいちゃんを思い出す味。 土日休みに、おじいちゃんちにいくと作ってくれた。 じゃがいもの形がいびつで、不器用ながらだしを使って作ってくれた肉じゃが。 私が好きなじゃがいもとお肉をたっぷり入れてくれた。 おじいちゃん特製の肉じゃがだ。
あしゅしゅ さん
旭川の塩ホルモン
出張で旭川に行ったとき、駅前通りでふらっと入った「馬場ホルモン」が絶品だった。入ったら注文は聞かれず、お皿に乗った塩ホルモンが出てきた。同僚と顔を見合わせながら、おそるおそる「ビ、ビール」というと瓶ビールが無言で出てきて、周りを見ながら「お代わり」というと追加のホルモンが運ばれてくることを悟って。メニューは塩ホルモンだけだから、聞く必要はなくて、追加がいるかどうか、それだけ。そういう地元ルール満載の異文化感もなんかワクワクした。
旅するお皿 さん
妻とはじめて喧嘩した青春のフグ刺し
九州と本州を結ぶ関門橋がある街、下関市。そこにぼくは生まれ育ち、今年からまた、ここで働いている。高校までずっと地元で過ごしてきた僕は、大学進学を機に山口市内の大学に進んだ。教員採用試験に受かってこの春、4年ぶりにこの現地の学校に帰ってきて教師になった僕は、週末になるといつも関門海峡が見える市場に出かける。海を眺めながらイキのいい海鮮を食べる。その中でもやはり、フグは僕に取っては避けられない、小さい頃から慣れ親しんだ味だ。どんな店で食べるご飯よりも、ここで食べるフグ刺しに勝るものはない。大学時代、男らしさを見せるために広島出身の彼女を地元に連れてきて、ふぐ差しを箸で一気にすくって豪快に一口で食べたらドン引きされ、大げんかしたことがあった。それも淡く切ない青春の思い出だ。当時と同じように、市場で買ってきたフグを箸で一気にすくう。口いっぱいに頬張り、幸せを噛み締める。その隣には、大学時代と変わらない笑顔と、太陽に反射した金属のリングが光って見えた。もうすぐ僕は結婚する。結婚してからも、子どもができてからも、僕は当時と変わらないこの味を、大好きな地元で、大好きな家族と一緒に味わうだろう。
たっき〜 さん
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おばあちゃんの手作りミルクアイスキャンディー
雰囲気とか、話し方とか、笑い方とか、おばあちゃんはなんだか魔女みたいな雰囲気の人だった。車で40分くらいのところにある、かつて父も暮らした家に住んでいた。夏休みに家族で遊びに行くと決まって、いいものあるよぉ、食べるかぃー?ってちょっと芝居がかった前振りをされる。うん食べたい!って答えると、銀色の筒に棒が刺さったアイスキャンディーを出してくれる。カラフルなオレンジ味、グレープ味、レモン味もあったが、真っ白なミルク味が一番好きだった。どう、おいしい?それはよかったわぁ!ってうれしそうだった顔を思い出す。孫のために手作りしてくれた、甘くて、シャリっとして、素朴な味で、本当においしかった。父たち兄弟も食べていた、おばあちゃんのお得意デザートだったとあとで聞いた。
ねるねるねるね さん
迷子のおにぎり
本当に昔、4〜5さいの頃、長野県のサービスエリアによってしゃけおにぎりを買いました。近くのベンチは混んでいたので、少し離れたところのベンチで食べようと思い、ベンチまで歩きました。さあ食べようと思ったら、おにぎりをどこかに置いてきてしまいました。家族がかったおにぎりは食べたい味がなく、ベンチで泣きじゃくっていました。そのとき、隣に座ってた大学生くらいのお姉さんが、「このおにぎり、もうお腹いっぱいだからあげる!」と言ってしゃけおにぎりをくれました。しゃけおにぎりが食べれて本当に嬉しかったです。もしまた会えたら、私がしゃけおにぎりをあげたいです。
しゃけぱんだ さん
おばあちゃんのあげぱん
私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。
しょくぱん さん
おかわりした漬物サンドイッチの衝撃
いまから20年前。 ホーチミンの現地法人オフィスでベトナムの仲間たちとたどたどしい英語でミーティングしていた。 ディスカッションが長くなりショートブレイクを入れたタイミングで、フードデリバリーで軽食を頼んでくれるという。 いまでは日本でもすっかり有名になったバインミーがずらっと並んだメニュー表を渡されたが、彼らのおススメに従った。 パクチーが苦手でアジア・エスニック料理全般避けがちだった私は、届いたラップをおそるおそる開き、はしっこを小さめにかじってみた。 驚いた。フランスパンの間に肉と酸っぱいおしんこ?なます?が入っている。洋のものに和のものがはさまった、ベトナムのサンドイッチ?ほんの一瞬頭が混乱したが二口目からはもう夢中だった。 あんまりおいしくてつい調子に乗り、追加発注してもらえないかおねだりしたら喜んで発注してくれた。1個追加をお願いしたのに2個届いた。そして追加分の中には苦手なパクチー入りのものもあったがすべておいしくいただいた。 ベトナムの仲間たちのうれしそうな顔を覚えている。元気にしているだろうか。
チャン さん
初めてのお弁当は親友と
私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。
せっちゃん さん