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みんなから集まったごはんの思い出

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全9作品

特別な卵焼き

私が物心つくときには母と私と弟の3人で暮らしていました。母の収入だけなのでお菓子や玩具は少なかったですが、お弁当だけは毎回大好きな卵焼きを入れてもらってました。我が家の卵焼きは丸いフライパンに卵を広げて半分に畳んだ半月の形のもの。 それを格子状に切って真ん中の厚みがある部分がお弁当箱へ、まわりのパリパリ部分がある所は朝ごはんで食べさせてもらってました。私は卵焼き専用フライパンがあることを大人になってから知りました笑 今でも帰省したときは母の作る特別な卵焼きが大好きです。

羽柴歩 (・∀・) さん

  • お弁当

つくってよかったな〜!と思わせてくれる満開笑顔

私は元々料理が得意なタイプでは決してないけれど、気づけば、もう7年ほど、家の料理当番として、子どものため、家族のためにごはんを作り続けている。料理が得意ではないといっても、食べること自体は好きなので、数あるレシピサイトを参照して、涼しい顔を気取りつつ料理に集中すれば、その日食べたいものを作ることができ、食べることができる。日々のごはん作りはそうして乗り切れるけれど、こどもの遠足の日のお弁当作りは時間との勝負だ。いつもよりも早起きをして、お弁当に入れられるくらいには冷ます時間も考慮して、2口コンロ(実際には3口あるが3口目がどうも使いづらい)を駆使して、脳内でシミュレーションしながら手を動かしていく。何度つくっても、同じ組み合わせも良くないだろうと新たなことに挑戦はしてしまう性格なので、毎回、勝負どきなことには変わりない。そうして何回も行事を乗り越えてきたが、初めてのお弁当のときには「時間が足りなくてフルーツだけ残しちゃった」なんてしょぼんとしながらお弁当箱を渡してきたこどもが、保育園の年長さんになってからは「みてみて!完食だよ」と空になったお弁当箱を見せてくれるようになった。そして、小学生にあがってから学童での夏休みの日々には「お弁当箱、一段じゃ足りないから2つに増やしてほしい」と不服そうに伝えてきた。ああ、この子はお弁当をもっと食べたいと思ってくれてるんだ……! 嬉しさと同時に、その成長に心が動いた瞬間でした。 それからは、一段のわっぱ弁当におかずを詰めて、スープジャーにはメインとなる炊き込みご飯やパスタ、オムライスを詰めて、小さなタッパーにフルーツを入れて持っていくようになりました。時に完食してこないこともあるけれど、持っていく朝、完成したお弁当を「見せて見せて〜」と覗いてくるこどものため、これからも時々、勝負のお弁当作りをがんばります!

おさつチップ さん

  • お弁当

お弁当ガチャ

”今日はSSRだ!!” 今日のお弁当のおかずは、玉子焼きとほうれん草のお浸しとピーマンの肉詰め。私が好きなものばかりだ。もちろん、毎日が好きなものばかりじゃない。嫌いなおかずが入っている日ももちろんある。そういう日はちょっと落ち込む。でもそれがいい。だって毎日好きなものだけ入っていてもつまらない。いつ引けるか分からない推しのガチャをまわすみたいに、わくわく感と共にお弁当の蓋を開けるのが楽しいのだ。さて明日は何が入っているか。今日がSSRだったから、明日はSRぐらいかな?

ペパーミント さん

  • お弁当

初めてのお弁当は親友と

私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。

せっちゃん さん

  • お弁当

田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重

私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。

中田栄角 さん

  • お弁当

茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

  • お弁当

でかいわ、おにぎり

運動会の時、うちのおにぎりだけ、異常にでかかった。中の具も、酢豚とか卵焼きとか、他の家庭とは一線を画していた。その時は少しはずかしさもあったけど、なんかがんばれって言われてる気がして、心強かった。親になった今、息子の運動会には、僕もとびきりでかいおにぎりを持たせている。

りくと さん

  • お弁当
  • 地元ごはん
  • 家族のごはん

甘くて美味しい玉子焼き

実家に帰るとご馳走で迎えてくれる母親  子供の頃から大好きだった料理をそのまま揃えた食卓  特にその中でも海苔巻きが大好きです  母親の作る玉子焼きは砂糖とほんだしが入っていて  それだけで甘くて美味しい  その玉子焼きはお弁当にもいつも入っていたから  懐かしい味わいでもある  私には綺麗な部分をくれる  でも玉子焼きが好きだからこの端っこを食べちゃう  また食べたくなってきた  実家に帰ろう

ながらぼ さん

  • お弁当
  • 実家ごはん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

  • お弁当
  • マンガ化決定
  • 実家ごはん

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おばあちゃんのあげぱん

私にはおばあちゃんがいます。 正確には居ました。今はお空の上でひいおばあちゃん達と仲良く暮らしてると思います。 突然ですが私は揚げパンがとても大好きです。小さい頃からよくおばあちゃんが揚げパンを作ってくれていました。 ただ コッペパンを揚げる揚げパンとは違い食パンを四等分にしみみを切り正方形のまま揚げてお砂糖をまぶす至って簡単な作り方です。 1度に作る量が多いので毎回こんなに食べきれないよ〜と思いつつも結局美味しくてほとんど1人で平らげてしまうほど美味しかったんです。 おばあちゃんは私が成人する3ヶ月前に亡くなりました。 いつも何かあるとおばあちゃんに助けてもらいおばあちゃんの作ったご飯を食べ一緒に寝るのが本当に大好きでした。 亡くなってからは大好きな揚げパンを食べることが無くなり市販の揚げパンでは物足りなくどうしてもコッペパンの揚げパンではなくおばあちゃんが作ってくれたあの揚げパンが恋しかったんです。 ある日母が揚げパンを作ってくれました。 食べる気にもなれず そう伝えようと思い母が出してくれた揚げパンを見るとおばあちゃんの作った揚げパンと似ていて思わず1つ手に取ってしまいました。 とても美味しくておばあちゃんの作ってくれた揚げパンよりほんのちょっと甘めで それでも気がつくと泣きながら食べていました。 揚げパンが大好きな私を見兼ねて普段そういう料理を作らない母が作ってくれたことが何よりも嬉しく思いました。 あの時揚げパンを作ってくれた母には感謝していますし今では自分でもおばあちゃんと母が作ってくれた揚げパンを真似して作っています。 いつかおばあちゃんに私が作った揚げパンを食べて欲しい なんて思いながら。

しょくぱん さん

甘くて美味しい玉子焼き

実家に帰るとご馳走で迎えてくれる母親  子供の頃から大好きだった料理をそのまま揃えた食卓  特にその中でも海苔巻きが大好きです  母親の作る玉子焼きは砂糖とほんだしが入っていて  それだけで甘くて美味しい  その玉子焼きはお弁当にもいつも入っていたから  懐かしい味わいでもある  私には綺麗な部分をくれる  でも玉子焼きが好きだからこの端っこを食べちゃう  また食べたくなってきた  実家に帰ろう

ながらぼ さん

給食が嫌いだった

給食が嫌いだった。 ”決められた時間で食べ終えなければいけない”  ”給食当番がかなりめんどくさくて大変” ”残してはいけないというあの雰囲気” 栄養価が高い以外のメリットをあまり感じていなかった。だから、高校生になって給食がなくなったときはすごく嬉しかった。でも、ある日友達と好きな給食のメニューの話ですごく盛り上がった。違う中学校で住んでいる地域も違う。なのに給食という共通の思い出は合って、そのことが嬉しかったし面白かったのだ。 栄養価が高い以外にもメリットがあった。それは給食という共通の思い出を私たちに提供してくれていることだ。そう考えると無性に食べたくなった。

ペパーミント さん

鴨川のほとりの春を感じる食

春の京都に行くといつもいく店がある。 鴨川のほとりで柳の木の緑が美しく見えるお店だ。 旬の野菜の魅力をそのままおいしく出してくれる。 お店はドアが開かれてきて、春の風を感じることができる。

MK さん

給食のずんだ春巻き

小学校の給食で、名産のずんだの春巻きがよく出ていた。とくに美味しい!というわけじゃないんだけど、ずんだ春巻きが給食に出た日は、おかわりの取り合いのじゃんけんが異常に盛り上がったのを覚えてる。なんだったんだろう、あの熱気は。

えだまめ さん

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おかわりした漬物サンドイッチの衝撃

いまから20年前。 ホーチミンの現地法人オフィスでベトナムの仲間たちとたどたどしい英語でミーティングしていた。 ディスカッションが長くなりショートブレイクを入れたタイミングで、フードデリバリーで軽食を頼んでくれるという。 いまでは日本でもすっかり有名になったバインミーがずらっと並んだメニュー表を渡されたが、彼らのおススメに従った。 パクチーが苦手でアジア・エスニック料理全般避けがちだった私は、届いたラップをおそるおそる開き、はしっこを小さめにかじってみた。 驚いた。フランスパンの間に肉と酸っぱいおしんこ?なます?が入っている。洋のものに和のものがはさまった、ベトナムのサンドイッチ?ほんの一瞬頭が混乱したが二口目からはもう夢中だった。 あんまりおいしくてつい調子に乗り、追加発注してもらえないかおねだりしたら喜んで発注してくれた。1個追加をお願いしたのに2個届いた。そして追加分の中には苦手なパクチー入りのものもあったがすべておいしくいただいた。 ベトナムの仲間たちのうれしそうな顔を覚えている。元気にしているだろうか。

チャン さん

故郷の味チキン南蛮

学生時代  好みのチキン南蛮を探しに良く食べ歩いた  鶏むねvs鶏もも  タルタル有vs無  甘酢を浸すvsかけるvs甘酢でチキンを煮る  いろんなチキン南蛮を食べてきた  そんな私のチキン南蛮  最近はカロリー気にしてマヨは控えめ  米酢・紅生姜・ごまは我が家の定番  さっぱり食べられる  我が家はむね肉  小麦粉を下地に卵液の衣をつける  部活の大会前 受験前 お祝いごと  事あるごとに、食べてきた  甘酢を絡めて、さらに煮詰めた甘酢をかける  タルタルをかけて、完成  思い出の味  我が家のチキン南蛮 

mabo さん

お父さんと釣った魚

小さいころに、家族で小豆島に行ったときに、お父さんが急に釣りをしようといって、家族で釣りをした。それまで何度か釣りをしたけど、あんま連れたことがなかったんだけど、この日は小さい魚が何匹か連れて。何の魚か覚えていないけど、宿に持ち帰ってから揚げにしてもらったら、ホクホクでとても美味しかった。釣れた時も食べてるときも、お父さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えている。せっかくの旅行だから、いい思い出を残したくて張り切っていたのかな、と、今思い出していてなんとなく思う。釣りをしていた時にみた海に反射する夕日がとてもきれいだったのとあわせて、なんとなく忘れられない旅の思い出。

sayaka さん

残飯処理班

中学生3年生の時にクラスで給食を残さないようにしようという取り組みがあり、クラスの有志5人(私以外全員男子)で毎日残った給食を完食目指して食べていました。私は野菜担当でしたが全員の配膳が終わりおかわりまで終わると、四角い食缶ごと自分の机に持って行き抱えて食べていました。私は納豆和えが大好きでしたが、人気の無いメニューだったので毎回沢山残っており…大好きなメニューをお腹いっぱい食べられてとても幸せでした。ただ食べ過ぎるとその後の掃除の時間にひびいて大変でした、当時はただの食いしん坊の奇行でした。今こうして思い返してみると、フードロスを最小限に減らせていた上に、私のブラックホールな胃袋まで満たされていたんだなと。画期的な取り組みだったなと思います(笑)男子達と食缶を抱えて食べたあの日々、とてもいい思い出です。

なじゅん さん

遠足で食べた卵焼き

僕は遠足が嫌だった。まるまる太っていて、気が弱く、いつもびくびく過ごしていた。でも、はあはあ息を言わせてやっとお弁当を食べられるようになったとき、食べた卵焼きは何よりも美味しかった。大人になって節制し、スリムになったいま、運動した後に食べたご飯と同じ美味しさを味わえるものには会えていない。嫌だった行事も、そういった楽しみ方があったのだなぁといま、しみじみと実感する。

福知山なるみ さん