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みんなから集まったごはんの思い出

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全8作品

つくってよかったな〜!と思わせてくれる満開笑顔

私は元々料理が得意なタイプでは決してないけれど、気づけば、もう7年ほど、家の料理当番として、子どものため、家族のためにごはんを作り続けている。料理が得意ではないといっても、食べること自体は好きなので、数あるレシピサイトを参照して、涼しい顔を気取りつつ料理に集中すれば、その日食べたいものを作ることができ、食べることができる。日々のごはん作りはそうして乗り切れるけれど、こどもの遠足の日のお弁当作りは時間との勝負だ。いつもよりも早起きをして、お弁当に入れられるくらいには冷ます時間も考慮して、2口コンロ(実際には3口あるが3口目がどうも使いづらい)を駆使して、脳内でシミュレーションしながら手を動かしていく。何度つくっても、同じ組み合わせも良くないだろうと新たなことに挑戦はしてしまう性格なので、毎回、勝負どきなことには変わりない。そうして何回も行事を乗り越えてきたが、初めてのお弁当のときには「時間が足りなくてフルーツだけ残しちゃった」なんてしょぼんとしながらお弁当箱を渡してきたこどもが、保育園の年長さんになってからは「みてみて!完食だよ」と空になったお弁当箱を見せてくれるようになった。そして、小学生にあがってから学童での夏休みの日々には「お弁当箱、一段じゃ足りないから2つに増やしてほしい」と不服そうに伝えてきた。ああ、この子はお弁当をもっと食べたいと思ってくれてるんだ……! 嬉しさと同時に、その成長に心が動いた瞬間でした。 それからは、一段のわっぱ弁当におかずを詰めて、スープジャーにはメインとなる炊き込みご飯やパスタ、オムライスを詰めて、小さなタッパーにフルーツを入れて持っていくようになりました。時に完食してこないこともあるけれど、持っていく朝、完成したお弁当を「見せて見せて〜」と覗いてくるこどものため、これからも時々、勝負のお弁当作りをがんばります!

おさつチップ さん

  • お弁当

お弁当ガチャ

”今日はSSRだ!!” 今日のお弁当のおかずは、玉子焼きとほうれん草のお浸しとピーマンの肉詰め。私が好きなものばかりだ。もちろん、毎日が好きなものばかりじゃない。嫌いなおかずが入っている日ももちろんある。そういう日はちょっと落ち込む。でもそれがいい。だって毎日好きなものだけ入っていてもつまらない。いつ引けるか分からない推しのガチャをまわすみたいに、わくわく感と共にお弁当の蓋を開けるのが楽しいのだ。さて明日は何が入っているか。今日がSSRだったから、明日はSRぐらいかな?

ペパーミント さん

  • お弁当

初めてのお弁当は親友と

私には親友と呼べる人がいる。中高一貫校で、中学1年生のときに仲良くなった女の子だ。 学校でずっと一緒にいるような感じではなかったしタイプも少し違ったのだけど、街で遊んでプリクラを10回連続で撮ったり、試験前にはスタバで粘って勉強したり、よく我が家にお泊まりに来たり。 幼いなりに喧嘩も絶交も、二人の歴史にはあったが、一生分を話し尽くしたような、話をしてもしてもしきれないような時間を10代で共有した。 そんな親友と、高校3年生の卒業間際、お台場に遊びに行こうとしたとき、私がサプライズでつくって持って行ったのがお弁当だった。 決して料理上手ではない私と、さほど家でするわけでもないのにお泊まりの際には上手くササっと手際よく作る親友……という組み合わせだったのに、なんとなく、面白いかなと、思いつきで早起きしてつくっていったお弁当。 いつもよりはうまく作れた気がするけれど、誰かにお弁当をつくる、というのはとてもドキドキすることだった。 お台場の海の前で、もったいぶって出したお弁当に彼女は驚き、喜んで、褒めながら残さず食べてくれた。 来たる大学生活、いろんな初めてが起こるだろうけれど、私が初めて誰かにお弁当をつくったのはこの彼女なことは変わらない、と思ったことをよく覚えている。社会人になった今も、彼女は変わらず大切な友だちです。

せっちゃん さん

  • お弁当

田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重

私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。

中田栄角 さん

  • お弁当

茶色多めのお弁当

子供の頃、煮物とか胡麻和えとか、すこしくすんだ卵焼きとか、茶色が多めのお弁当が、少し嫌だった。周りの同級生のお弁当はなんだか色鮮やかで羨ましかった。 でも親になって、子供にお弁当を作るようになって感じるのは、あの色合いは手作りのおかずが多かったからなんだなということ。冷凍食品はきれいだけど、手作りのおかずをお弁当煮詰める方が、よっぽど大変で、今になってあの少し茶色いお弁当のありがたさを感じる。

おいら さん

  • お弁当

でかいわ、おにぎり

運動会の時、うちのおにぎりだけ、異常にでかかった。中の具も、酢豚とか卵焼きとか、他の家庭とは一線を画していた。その時は少しはずかしさもあったけど、なんかがんばれって言われてる気がして、心強かった。親になった今、息子の運動会には、僕もとびきりでかいおにぎりを持たせている。

りくと さん

  • お弁当
  • 地元ごはん
  • 家族のごはん

甘くて美味しい玉子焼き

実家に帰るとご馳走で迎えてくれる母親  子供の頃から大好きだった料理をそのまま揃えた食卓  特にその中でも海苔巻きが大好きです  母親の作る玉子焼きは砂糖とほんだしが入っていて  それだけで甘くて美味しい  その玉子焼きはお弁当にもいつも入っていたから  懐かしい味わいでもある  私には綺麗な部分をくれる  でも玉子焼きが好きだからこの端っこを食べちゃう  また食べたくなってきた  実家に帰ろう

ながらぼ さん

  • お弁当
  • 実家ごはん

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理

小さい頃に初めて母に教えてもらった料理  甘くて美味しくて柔らかい  お弁当の中に入れても良いし  朝ごはんのお供にも最適 「卵焼き」 卵焼きが作れると早く結婚出来る  ってママに教えてもらった  卵焼きは作れますが未だ独身です

ぽこたん さん

  • お弁当
  • マンガ化決定
  • 実家ごはん

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母のたわらおにぎり

社会人になり東京に就職してからはなかなか実家への帰省ができなかった。そんな中、大阪のラジオ局での仕事が決まり、出張&帰省がダブルでできるように。母は毎日私が担当するラジオ番組を欠かさず聴き、コメントも毎日丁寧にLINEでくれる喜びっぷり。そんな日々が続く中、いつも通りある出張のついでに帰省すると、体調に異変が。せっかく帰省したにもかかわらず風邪で寝込んでしまった。帰省を楽しみにしている母とろくに話もできず、何なら看病してもらってしまう有様。情けないやら申し訳ないやらで気持ちもダウンしていた中、母親がたわら型のおにぎりをつくってくれた。ひとつは塩味で、もうひとつは鮭入り。社会人になってからは忙しくて、いつも冷たくて平べったい、コンビニのおにぎり。手作りのおにぎりのあたたかさとやわらかさが弱ったからだに沁みた。めちゃくちゃおいしかった。社会人になってもこどもみたいに迷惑かけちゃうけど、ダメなときは甘えさせてもらって、また明日から頑張ろうと思えた。あのおにぎり以上においしかったおにぎりには、まだ出会えていない。

町工場のむすめちゃん さん

友達のおばあちゃんの味噌おにぎり

小学生の頃いつも遊んでいた友人がいました。その家は農家でお米が沢山あり、おやつの時間になるといつも友人のおばあちゃんが味噌おにぎりを握ってくれていました。 毎回おやつは必ず味噌おにぎりなんだけど、食べ切れない位沢山握ってくれていつもお腹いっぱいになっていた。 実家に帰った時にふとその家の前を通って記憶が蘇り、親に聞くとずいぶん前にそのおばあちゃんは亡くなったそう。 遠い昔の事で写真に残しているわけもなく、おにぎりも丸だったのか三角だったのかも覚えていないし、おばあちゃんの顔さえ思い出せないけど、その味噌おにぎりの美味しさだけは忘れられない思い出です。

ながらぼ さん

一学期締めくくりの紅イモアイス

7月の中頃、終業式の最後に食べる給食には決まって沖縄のアイスクリームチェーン“ブルーシール”の紅イモアイスが入っている。 沖縄の芋の特徴である素朴な甘さと粘りが癖になるそのアイスは、冷房がない教室で4か月もの間勉学に勤しんだ小中学生の努力を讃えるような逸品であり、“あまりもの”が出てしまえば、クラス全員でジャンケンによる争奪戦が起こっていた。 この喧騒と紫色のアイスクリームが、県内の児童生徒に夏休みの訪れを告げるのだ。

ゆでたまご さん

おかわりした漬物サンドイッチの衝撃

いまから20年前。 ホーチミンの現地法人オフィスでベトナムの仲間たちとたどたどしい英語でミーティングしていた。 ディスカッションが長くなりショートブレイクを入れたタイミングで、フードデリバリーで軽食を頼んでくれるという。 いまでは日本でもすっかり有名になったバインミーがずらっと並んだメニュー表を渡されたが、彼らのおススメに従った。 パクチーが苦手でアジア・エスニック料理全般避けがちだった私は、届いたラップをおそるおそる開き、はしっこを小さめにかじってみた。 驚いた。フランスパンの間に肉と酸っぱいおしんこ?なます?が入っている。洋のものに和のものがはさまった、ベトナムのサンドイッチ?ほんの一瞬頭が混乱したが二口目からはもう夢中だった。 あんまりおいしくてつい調子に乗り、追加発注してもらえないかおねだりしたら喜んで発注してくれた。1個追加をお願いしたのに2個届いた。そして追加分の中には苦手なパクチー入りのものもあったがすべておいしくいただいた。 ベトナムの仲間たちのうれしそうな顔を覚えている。元気にしているだろうか。

チャン さん

はじめてホヤを食べた日

親が好きで食べていたホヤを、初めて食べた日のことは忘れられない。見た目はもちろんのこと、甘いともしょっぱいとも言い切れないあの不思議な味。水を飲むとなぜか少し甘く感じた衝撃。海のパイナップルと言ったのは誰だ、と本気で腹が立った。それからも好奇心で父親が食べていると、一切れもらっては、うそでしょー、と盛り上がっていた。20年近くたって、今は大好物のホヤ。人間の味覚って不思議ですね。

つまみ さん

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ジャージャー麺が好きな人

小学生のとき、ずっと好きな人がいた。彼はジャージャー麺が好きだったから、給食の献立にジャージャー麺と書いてあると、大きな声で喜んでいた。私はその決戦の日にできるだけ給食当番になり、さらに、麺担当になるべく画策した。 いざ配膳のとき、彼は「ねえ、多めでお願いします」と冗談らしく声をかけてきたが、私はクールぶった対応をした。隣に並ぶ同級生と彼がふざけ合う間、私は、彼の分のジャージャー麺を、贔屓にならない程度、気持ち多めによそった。 「あれ、ちょっと多くね?」と気づいてくれないかなあ、とソワソワしながら、彼が隣のスープを受け取りに横にずれるのを視界の片隅で見ていた。

さり さん

父と山菜

季節になると、父とよく山菜のたらのめを採りに行っていた。中学生ごろになると、父と話すことも見つかりづらくなっていたけど、山道の道中、ぽつりぽつりと会話をしたり、山菜が群生している場所を見つけた時に、一緒に声を出して喜んだのををいまでもよく覚えている。今も父は季節になると嬉しそうに自分で採った山菜を送ってくる。

雪解けしどけ さん

偏食な父が好きなもの

子どものころ、焼き魚が食卓に乗ったことはない。お刺身も、お寿司も。 唐揚げ、親子丼、焼き鳥など鶏肉もめったに食べなかった。肉は牛、次いで豚。これのみ。 母は栄養バランスを考え、子どもたち用に工夫して父と異なるごはんをつくってくれた。大変だったと思う。感謝しかない。 父は偏食だった。元をたどれば父方の祖父が偏食だった。牛肉が好きで、90歳を超えてもステーキをよく食べていた。 週末。父はよくラーメンやそばの出前をとった。月に1回くらい、少し遠出して父がお気に入りの中華そばも食べに行った。ランチはお子様ランチのあるファミレスによく連れていってくれた。ハンバーグ、ステーキ、コロッケ、オムライス、ナポリタン・・・どれも父自身が好きだったから。 平日の夜。ビールに厚揚げ、生ショウガの味噌合え、スルメイカにマヨネーズ(唐辛子かけ)などをアテにしていた。下戸なのに。ちびちびと吞んでいた。 ああ、結局ぜんぶ好きになったものばかり。ただ、焼き魚もお刺身もお寿司も大好きになった。好みは受け継いだが、私は偏食家ではない。

あっちゃん さん

カンボジアのバス停とフライドライス

大学2回生の頃、よくバックパッカーとして旅に出ていた。それは自分を探す旅、とか、世界を知りたい、とか、高尚なものではなく、周りの人間が何かに打ち込んでいる中で、何もしていない自分への焦燥感に追いやられた旅だった。そんな中で思い出に残っているご飯はベトナムとカンボジアを繋ぐ長距離バスで名前も知らないカンボジア人の青年と食べたフライドライスだ。たまたま横に座った白いシャツをパリッと着こなした青年が「なぜこのバスに乗ってるんだ?」って話しかけてきたことから会話が始まった。当時も今も英語ができない僕は電子辞書を駆使しながら会話を続けていた。そこで話したことも何も覚えていないんだけど、途中休憩で着いたバスターミナルのことをよく覚えている。彼は「俺が奢ってやるから一緒にご飯を食べよう」と言ってくれたので、素直に好意を受け入れることにした。 そこで何も考えずに注文したフライドライスにはハエがたかり、テーブルに置いてあるスプーンは洗われておらず、トイレットペーパーで拭いて食べるスタイルだった。心の中では目を瞑りながら、感覚を麻痺させて、美味しいと言いながら完食した。彼に御礼を言い、彼はとても喜んでくれていたし、僕もとても嬉しかった。人の優しさや自分の喜びを感じながらも拭い去れない不快感がありながら、自分に卑しさを覚え、初めて感じた複雑な感情が渦巻き、これを成長と呼ぶのかな?と感じた僕のおもいでのごはんメモリーです。

アジアの純真 さん

おじいちゃん特製肉じゃが

良く、おじいちゃんを思い出す味。 土日休みに、おじいちゃんちにいくと作ってくれた。 じゃがいもの形がいびつで、不器用ながらだしを使って作ってくれた肉じゃが。 私が好きなじゃがいもとお肉をたっぷり入れてくれた。 おじいちゃん特製の肉じゃがだ。

あしゅしゅ さん