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みんなから集まったごはんの思い出

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全9作品

チキンバスケット

母は出産まで悪阻が酷くて私は母の実家に預けられました。 その母が体調のよい時に私に会いに来てくれました。母が帰る前に食事をする事になり駅に近いレストランへ。 そこでチキンバスケットを食べました。母が私に「これを食べたら、お母さん帰るからね」と言われておいしいし、お腹すいているから食べたいけど食べ終わったら母が帰ってまた会えないと思うと複雑でした。 今はそのレストランはなくなりましたが今でも店の前を通るとあのせつないような気持ちがよみがえります。

のん吉 さん

  • 家族とのごはん

週末の朝は……

平日の朝は基本的にパンとソーセージと卵料理(スクランブルエッグか目玉焼きか味玉)な我が家。いよいよ週末を迎えた土曜日ものんびり起きてくるので朝ごはんが適当になりがち。そして、週末の雰囲気になってきた日曜日が朝ごはんの本番で、大体、ホットケーキかクレープ、もしくは、いろんな味の蒸しパンをつくります。起きてきた子どもたちに「朝ごはん、今日はどれがいい?!」とリクエストをもらい、ホットケーキやクレープだと、大きなホットプレートでつくります。3歳の子どもは混ぜる係、6歳の子どもは卵を割る係と生地を入れたりひっくり返す係。私は総監督です。どれも子どもたちは大好きで、まあよく食べる。いつもの食欲と桁違いで、焼く・蒸すのが追いつかないくらい。普段は朝食を抜く夫も、この甘い朝ごはんの日だけはのそのそ出てきて、みんなで食べます。私の大切な日曜日の話です。

チョコレートサンデー さん

  • 家族とのごはん

お母さんの唐揚げは世界一

私の家はあまり裕福ではなくて、お肉が出ることがあまりなかったのですが3人兄弟の誰かが誕生日の時は必ず唐揚げがでました!その唐揚げが美味しかった!前日から下味をつけた唐揚げがお店なんかよりも美味しくて、今では兄弟みんな家庭を持っていますが、お母さんの唐揚げがそれぞれの家の味になりました

ぽつ さん

  • 誕生日

残飯処理班

中学生3年生の時にクラスで給食を残さないようにしようという取り組みがあり、クラスの有志5人(私以外全員男子)で毎日残った給食を完食目指して食べていました。私は野菜担当でしたが全員の配膳が終わりおかわりまで終わると、四角い食缶ごと自分の机に持って行き抱えて食べていました。私は納豆和えが大好きでしたが、人気の無いメニューだったので毎回沢山残っており…大好きなメニューをお腹いっぱい食べられてとても幸せでした。ただ食べ過ぎるとその後の掃除の時間にひびいて大変でした、当時はただの食いしん坊の奇行でした。今こうして思い返してみると、フードロスを最小限に減らせていた上に、私のブラックホールな胃袋まで満たされていたんだなと。画期的な取り組みだったなと思います(笑)男子達と食缶を抱えて食べたあの日々、とてもいい思い出です。

なじゅん さん

  • 給食

大会の前夜のラーメン屋さん

高校生のときです。部活の大会が土曜日の朝早くからあるため、前乗りで開催地の下関に向かうことがありました。学校を早退し、みんなと移動して宿泊をする高揚感を携えながら夜ごはんは顧問の先生、部活仲間と町の小さな中華屋さんで食べました。食後に撮った写真が残っており、そこには楽しそうな先生と私たち、そして笑顔で一緒に並んで写真に収まる店主さん。写真を見るとそのときの思い出が蘇ってきます。

ろんぐ さん

  • 学校行事

ご褒美のカンロ飴

小学生のとき、持久走大会の終わりにカンロ飴をもらえることが楽しみでした。カンロ飴の包装に書かれているロゴの色に黄色と黒色の2種類あり、黒色のほうがおいしい!と競って黒色を選んでいたのを懐かしく思います。

ろんぐ さん

  • 学校行事

瀬戸内海と尾道ラーメン

帰省のたびに食べる尾道ラーメンは、高校生のときから変わらない味。 毎年、お盆やお正月、帰省のタイミングで食べに行くけれど、ランチ時はいつも満席なので、帰省の期間中に食べられるかどうか。。。 瀬戸内海の潮風の匂いと一緒に思い出す、こってりした醤油味。

カモメと猫 さん

  • 地元ごはん

妻とはじめて喧嘩した青春のフグ刺し

九州と本州を結ぶ関門橋がある街、下関市。そこにぼくは生まれ育ち、今年からまた、ここで働いている。高校までずっと地元で過ごしてきた僕は、大学進学を機に山口市内の大学に進んだ。教員採用試験に受かってこの春、4年ぶりにこの現地の学校に帰ってきて教師になった僕は、週末になるといつも関門海峡が見える市場に出かける。海を眺めながらイキのいい海鮮を食べる。その中でもやはり、フグは僕に取っては避けられない、小さい頃から慣れ親しんだ味だ。どんな店で食べるご飯よりも、ここで食べるフグ刺しに勝るものはない。大学時代、男らしさを見せるために広島出身の彼女を地元に連れてきて、ふぐ差しを箸で一気にすくって豪快に一口で食べたらドン引きされ、大げんかしたことがあった。それも淡く切ない青春の思い出だ。当時と同じように、市場で買ってきたフグを箸で一気にすくう。口いっぱいに頬張り、幸せを噛み締める。その隣には、大学時代と変わらない笑顔と、太陽に反射した金属のリングが光って見えた。もうすぐ僕は結婚する。結婚してからも、子どもができてからも、僕は当時と変わらないこの味を、大好きな地元で、大好きな家族と一緒に味わうだろう。

たっき〜 さん

  • 地元ごはん
  • 学校
  • 家族のごはん

禁断のワード、広島焼き

上京してはや10年、地元の広島へ帰省したときに必ず食べるのは「お好み焼き」。たっぷりキャベツと麺の上に様々な具や卵、生地が載り、ジュウジュウと熱々の鉄板から、皿は使わずヘラで直接食べるのが広島流。 東京に出てきて気がついたのは、この紛れもない「お好み焼き」を、東京では「広島焼き」「広島風お好み焼き」と呼ぶのが一般的だということだ。 広島の人たちはお好み焼きを、「関東風」でも「関西風」でもなく、紛れもなく自分たちが元祖「お好み焼き」だと誇りに思っており、「広島焼き」という呼び名は広島県内で見たことも聞いたこともないので、受け入れることができない。 「『広島焼き』なんてものは存在せんよ。」「広島風~ならギリギリ許してやらんこともなぁけど、、あれは『お好み焼き』じゃけぇ。。」 そんな私は、東京に出てきて以来、折に触れて都会の人々に、お好み焼きの真実を伝えている。これは『お好み焼き』ですよ!と。 ちなみに広島のライブハウスには、県外からきたミュージシャンがウッカリ禁断のワードを口にしないよう、「MCで『広島焼き』と言うのはやめてください」と張り紙がしてあるらしい。 広島に行くときは、うっかり口を滑らせぬようご注意を。

瀬戸の花婿 さん

  • 地元ごはん

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金沢のお寿司、のどぐろの炙り

東京のお店ではよく「時価」で提供されるのどぐろ。高級魚というイメージ。 ところが金沢を訪れると、あれっ?と思うほどお値打ち価格でおいしくいただける。 去年の夏、高級店でも回転すしでもない、市場の中のお寿司屋さんで食べたのどぐろの炙りがおいしかった。 あー、また金沢へ行きたい。

れきれき さん

おばあちゃんの手作りミルクアイスキャンディー

雰囲気とか、話し方とか、笑い方とか、おばあちゃんはなんだか魔女みたいな雰囲気の人だった。車で40分くらいのところにある、かつて父も暮らした家に住んでいた。夏休みに家族で遊びに行くと決まって、いいものあるよぉ、食べるかぃー?ってちょっと芝居がかった前振りをされる。うん食べたい!って答えると、銀色の筒に棒が刺さったアイスキャンディーを出してくれる。カラフルなオレンジ味、グレープ味、レモン味もあったが、真っ白なミルク味が一番好きだった。どう、おいしい?それはよかったわぁ!ってうれしそうだった顔を思い出す。孫のために手作りしてくれた、甘くて、シャリっとして、素朴な味で、本当においしかった。父たち兄弟も食べていた、おばあちゃんのお得意デザートだったとあとで聞いた。

ねるねるねるね さん

冬の予備校帰りに食べたカツ丼の味

なんでもないご飯なのに、とても感動することがある。 受験生だったとき、朝から晩まで勉強で我ながらよく頑張っていた気がする。 しかし成績は思い通りに伸びるわけではなく、よく落ち込んでいた。 たしか、模試の結果が良くなく、落ち込みながら帰った帰り道。 ふと見つけたカツ丼屋に吸いこまれていった。 寒くて凍えるような日で、出てきたカツ丼を食べて、あまりのおいしさに少し涙が出た。 あれ以来、色々なカツ丼を食べたけど、あの日のカツ丼を超えることはまだない。

さいとう さん

仙台アーケードの揚げかまぼこ

仙台のアーケードで売ってる揚げかまぼこが青春の味、あの頃はCD屋さんも賑わっていて、新星堂で時間をつぶしたりしながら友達とアーケードをぶらぶらしながらよくたべてた。 いろんなことを思い出す味。

たなばたん さん

週末の朝は……

平日の朝は基本的にパンとソーセージと卵料理(スクランブルエッグか目玉焼きか味玉)な我が家。いよいよ週末を迎えた土曜日ものんびり起きてくるので朝ごはんが適当になりがち。そして、週末の雰囲気になってきた日曜日が朝ごはんの本番で、大体、ホットケーキかクレープ、もしくは、いろんな味の蒸しパンをつくります。起きてきた子どもたちに「朝ごはん、今日はどれがいい?!」とリクエストをもらい、ホットケーキやクレープだと、大きなホットプレートでつくります。3歳の子どもは混ぜる係、6歳の子どもは卵を割る係と生地を入れたりひっくり返す係。私は総監督です。どれも子どもたちは大好きで、まあよく食べる。いつもの食欲と桁違いで、焼く・蒸すのが追いつかないくらい。普段は朝食を抜く夫も、この甘い朝ごはんの日だけはのそのそ出てきて、みんなで食べます。私の大切な日曜日の話です。

チョコレートサンデー さん

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いやいや食べた思い出の春巻き

僕は給食が嫌いだった。偏食で、味の濃いものしか口にしなかった。春巻も野菜が入っているというだけで食べられなかった。でも、4年生のときに当たった厳しい先生に、春巻きを食べさせてもらった。最初は嫌すぎて涙を流したけど、勇気を出してみると意外と美味しかった。それ以来、春巻は大好物。これを食べるたびに、あの時の先生の顔を思い出す。

丹波人 さん

福井出身、月島に住む、もんじゃのおじさん

母方の田舎は福井だった。母は早くに母(私にとっての祖母)を亡くしたこともあり、親類との付き合いを大事にしていた。そんな母の親戚が一人だけ、月島に住んでいた。 同じく東京に暮らす私たち家族は、その親戚であるおじさんに会いに、よく月島に行った。おじさんと行くのはいつももんじゃ焼きのお店。 おじさんは手慣れた手つきでヘラを使いこなし、土手を器用につくって、美味しいもんじゃ焼きをつくってくれる。私と弟は「もんじゃのおじさん」と呼んでいた。 もんじゃのおじさんはよく言っていた、「俺の地元は月島だよ。大人は自分で好きなところに住めるんだ、そこを地元にできるんだ」 当時の私はもんじゃ焼きのおこげが大好きで、小さいヘラを動かすのに夢中だったけれど、大人になって、「地元」という言葉を見るたびに思い出す。 私の地元はどこにしよう。まだまだどんなところにも住めるんだ。

うめしそおくら さん

青春の食べ放題

中学生のころ、なにかイベントがあると時々同級生と田舎の食べ放題に行っていた。電車に乗って遠出をする感じが、子供たちだけで旅に出ているようで、どこか特別な感じした。子供にとっては豪華な金額を払っていることもあり、もとをとろうとはりきって食べ過ぎて、ぱんぱんのお腹で田んぼのあぜ道を駅に向かって帰っていた夕闇の風景をとても覚えている。

青春っていいよね さん

なんちゃってピザ

地元はドがつくほどの田舎。 お米が無くなってしまい、買いにも行けない事態に陥った母が作り始めたのは「なんちゃってピザ」 母は貧乏ごはんなんて言いながら、そのピザは忘れられないほど美味しかった。 手際よくクレープ生地のような液を作って焼き、その上に生野菜とトマトソース、チーズをトッピング。 小さい頃は分からなかった母の知恵と愛情がたっぷり詰まっていた。 ひとり暮らしをしている今、上手くいかぬ事もある。 でも、実家に帰れば、知恵と愛情が詰まった母の味が待っている。 それだけで大変なことも乗り越えられる、そんな話。

さくらねこ さん

給食のずんだ春巻き

小学校の給食で、名産のずんだの春巻きがよく出ていた。とくに美味しい!というわけじゃないんだけど、ずんだ春巻きが給食に出た日は、おかわりの取り合いのじゃんけんが異常に盛り上がったのを覚えてる。なんだったんだろう、あの熱気は。

えだまめ さん