みんなから集まったごはんの思い出
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全55作品
おじいちゃんのもつ煮込み
母方のおばあちゃんの家は、我が家から道を挟んだ向かい側にある。 誕生日やクリスマス、お正月や節分、お盆にお彼岸……もちろん、なんでもない日も気軽に遊びに行ってたけど、なにかイベントがある時は、家族みんなでおばあちゃんの家に集まった。 特別な日におばあちゃん家に行った時は、決まっておじいちゃんがもつ煮込みを作ってくれた。大鍋2つ分。1つはみんなで食べる夜ご飯用。もう1つは、私達が家で食べる用。うちは3人姉弟5人家族だから、帰りにお土産として、その大きなお鍋ごともつ煮込みを持たせてくれる。 みんな、おじいちゃんの作るもつ煮込みが大好きだった。 私が小学校の頃、おじいちゃんは病気で寝たきりになってしまった。そして高校生の時に亡くなった。 おじいちゃんは料理上手だった。いろんな美味しいものを沢山食べさせてくれた。でも、一番思い出に残っているのは、大鍋いっぱいのもつ煮込みだった。 おじいちゃんが亡くなった後、おばあちゃんやお母さんがもつ煮込みを作ってくれた。だけど、すごく美味しかったんだけど、「やっぱりおじいちゃんのとは味が少し違うね」っておばあちゃんもお母さんも笑ってた。 何年も経って、大人になった私達姉弟は、就職をして家を出て。そしてお正月に帰省して。久々に家族5人揃ったからと、みんなで初詣に行った。 車で少し遠出して、少し大きな神社へ。お昼過ぎだったから、人もそこまで多くはなかった。 お参りをして、おみくじを引いて、お守りを買って。立ち並ぶ屋台を見て、お家でお留守番しているおばあちゃんにお土産を買って行こうという話になり。 大判焼きと煮イカを買って、駐車場に戻ろうとすると、ぽつんと一軒の屋台が目に入った。色鮮やかな暖簾には『もつ煮込み』の文字。 境内の屋台列から外れたこんな人気の無い所に一軒だけあるのも不思議に思ったし、もつ煮込みの屋台なんてあるんだ〜なんて、そんなことを思いながら通り過ぎようと思って。 でも美味しそうな匂いに惹かれて。汁物で持ち帰れないから、その場でみんなで分け合おうということになり、1杯だけ買った。 そのもつ煮込みは、おじいちゃんのもつ煮込みと同じ味がした。 屋台の店主も全然知らない人だし、きっと本当に偶然だったのだと思うのだけれど、家族みんな口を揃えて「これはおじいちゃんの味!」と同じ感想を抱いていて。 おばあちゃんに食べさせてあげられなかったのはすごく残念だったけど、その年のお正月は、おじいちゃんも含めてみんな居たように感じられて、とてもあたたかい気持ちになった。
そば子 さん
恋人と塩パン
彼と同棲していた家から20分くらい川沿いの道を歩くと辿り着くところに、美味しいパン屋さんがありました。膨らんだ体で、パンづくりなら任せとけ、とでもいうような表情のパン職人のイラストを掲げたパン屋さんで、素朴すぎずお洒落すぎない佇まい。散歩がてらそのパン屋さんに行き、買いたての中からひとつだけパンを取り出して、食べながらまた家に帰るのが好きでした。私はそのお店の、クーベルチュールチョコを使ったようなショコラ系のパンや、生ハムと大葉のサンドイッチが好きだったのですが、彼はシンプルなパンを好んでいて、いつもトレーに並んだパンはくっきり「私のもの」「彼のもの」がわかりやすいくらいでした。中でも彼は塩パンが好きで、私は「塩パン〜〜〜?!?こんなにたくさんリッチなパンがあるのに!」と常々思っていたのですが、ある日、「焼きたてですよ〜」と塩パンが運ばれてきました。普段は表情を顔に出さない彼が嬉しそうにするので、つい私の分もトレーにのせて、お店を出てすぐにふたりでガブッ。すると、焼きたてのパンにじゅわっとほどける塩みがあまりに美味しくて、「なにこれ?!」と感激しました。毎回のように塩パンを食べていた彼に言わせても、その焼きたて塩パンは特別に美味しかったそうで、二人で、塩パンを褒めちぎりながら帰りました。塩パンの美味しさは、彼と一緒にいないと知らないものだったな〜と思います。
あひる さん
ナイフとフォークの使い方
大学生になって、地方から東京に出てきた僕は、東京に馴染むために頑張った。標準語を身につけたし、サークル活動も頑張った。でも、一個だけ大きな失敗をして、ずっと心のどこかに刺さっていたことがある。同じ大学で初めて彼女ができた僕は、明らかに洗練された所作を見せる彼女に引け目を感じていた。ずっと彼女についていこうと気張っていた僕の心が折れたのが食事のとき。頑張ってお金を稼ぎ、いい店でステーキを一緒に食べた。すると彼女が言う。「ナイフとフォーク、こうやって持つんだよ」 何気ない一言だったが自分が田舎者だと言われた気がしてショックだった。それから別れを切り出して、10年彼女がいなかった。ナイフとフォークを使う食事に行く機会もなかった。社会に出て数年経ち、久しぶりに彼女ができた。仕事で会い、同郷ということで話が盛り上がったのだ。いい店を予約して、食事をすることになった。10年ぶりのナイフとフォーク。意識はしていたものの、付け焼き刃だから持ち方はたぶん10年前とそんなに変わっていない。バレバレだった。でもそのぎこちない食器の使い方をみて、彼女は自分の食べ方を見せた。僕とそっくりだった。「安心した。テーブルマナーとか教わったことないからわからないよね。」背伸びして付き合うよりも、自然体の自分を好きでいてくれる彼女と、もう少ししたら僕は結婚するだろう。
ライトニング さん
お誕生日おめでとう
大学生の頃、付き合ってた彼も同じく大学生で2人とも美術を専攻していたこともあり、バイト代のほとんどを制作費に費やしお金がなかった。 でも、その頃は制作が一番で、2人でいて楽しければ、それで満足していた。 そんな中、私の誕生日が近づいてきた。しかし、彼の方が数日後に展覧会を控えており、気持ち的にもお金的にもお誕生日パーティーどころではなかった。私も仕方ないかと思っていたら、誕生日前日22時ごろ彼から「今から家に来れる?」と連絡が来た。丁度バイト帰りだったので、出かける手間など感じず、彼の家に向かった。 彼の家に着くと彼は「明日お誕生日だからさ、一緒に迎えたかったんだ」と言ってくれ、私は忙しい中、時間を作ってくれたことがとても嬉しかった。 そこからしばらくおしゃべりをし、0時を過ぎようとしたころ、彼が「ちょっと待ってて!」と言い、キッチンへ。「まさかケーキとか用意してくれてるの?」と私は内心、超テンションぶち上がりになった。 そして、部屋の電気が消され、ビートルズのハッピーバースデーが流れ出しいよいよだ!、とドキドキして待ったなしでいると、彼が「お誕生日おめえええええぇえ?!!!」と叫びに近い声で入ってきた。 彼の手元を見ると、ファミレスのとりわけ皿くらいの小さい皿持っている。それには何か載っており、さらにその何かの上に大きな火の塊ができていた。私は咄嗟に息を吹き掛けたが消えることもなく、むしろ彼に燃え移りそうで、2人でわたわたしてるうちに火は自然に消えた。(とても安心したのを覚えている) 火が消えて、部屋の電気をつけると、彼の持っていた皿には蝋だらけのチョコパイが載っていた。当時、彼は食事の代わりによくチョコパイを食べており、それは好物でもあったので、決して人にあげることはなった。(さすがの当時でも、金がないうえにすごくケチだな、一個くらいくれよ、と思っていた。) お金も時間もなかった彼は、自分の大切なチョコパイをケーキとして私に用意していたのだった。でも、ただ渡すだけでは流石に味気ないと思ったようで、私の年齢の数、約20本の誕生日ケーキ用の蝋燭を指していたのだ、直径10センチほどのチョコパイに。 そこに点火し一気に燃え移り、先のような状態になってしまい、蝋だらけのチョコパイが残ったのだ。 彼は「これじゃ食べられないね。」ととても悲しそうな顔をして、新しいチョコパイを私にくれた。 気がついたら日付は変わっていて、私は一つ年をとっていた。 誕生日とはいえ彼がチョコパイを分けてくれたこと、そして何よりもこんなにハラハラして笑いながら誕生日を迎えたのは初めてだったので、「とても楽しい誕生日ケーキをありがとう。」的なことを言って、2人でチョコパイを半分こして食べた。 その後、彼とは社会人のなり方ですれ違い、別れてしまったが、今でも定期的に会うような間柄である。もう10年以上は経つが、自分の誕生日だけでなく、家族の誕生日ケーキを見るだけで、あの日の炎のチョコパイバースデーを思い出し、ニヤリとしてしまう。
タミー さん
お父さんの好物はキャベツ炒め
昔、九州に父が単身赴任をしていたときのこと。父が大好きだった小学生の私は、本気で父と赴任先の家に住みたくて、そのためには料理ができるといいだろうと、父に好物を聞きました。すると回答は「キャベツ炒め」。母に習い、真剣に作り方をメモし、一人で作れるように無事マスター。それでも、赴任先には連れて行ってもらえなかったわけですが……。数年もすれば、キャベツ炒めがとりわけ父の好物だったわけではなく、小学生の私でもつくれるメニューを挙げてくれたということがわかります。キャベツ炒め、美味しいですけどね! 大人になった私は、たまにその頃の私のいじらしさを思い出しながら、リモートワークのお昼にキャベツ炒めをささっと作って食べています。
むすめ さん
一緒に同じものが食べられるようになった
私には子どもがいます。生まれてからの最初のご飯は母乳。私は母乳が出るように、でも、時短でごはん・玉子焼き・納豆など…寝ている子どもが起きないようにそっと食べる。(もちろん大半は起きるので抱っこして食べる笑) その次は離乳食。決めた時間に食べさせる。離乳食は休日にストックを作って。一緒に食べる余裕なんてない。子どもが快適に。私が困らないように。だって初めての育児だもの。わからない。とにかく尽くす。 そして、離乳食拒否。こぼされる。投げられる。ぐちゃぐちゃを楽しむ。…心が少し折られる…なんとか回復。作る。食べる。遊ぶ。を繰り返す。心はもう折られない。食べる量が増え、何より愛しい。 まだ濃いものは食べれられない。だから、料理中に取り置きしたり、別のものを作ったり。「いただきまーす!」が一緒。嬉しいな。 そして、今。保育園でカレーを食べたと聞いて。我が家は幸いにも甘口。家では食べないかもしれないと頭の中に入れておいて。家族みんな同じカレー。並べて嬉しい。家族一緒のご飯。「いただきまーす!」食べる。子どもの口の周りが茶色。かわいい。ちょっとこぼして、洋服のうさぎにもおすそわけ。いいの。いいんだよ。昔と比べて気にしない。大丈夫。それよりも、食べてるね!えらいね!すごいね!ママと同じカレー!嬉しいな!大きくなったねえ!これからたくさん「一緒」のご飯食べようね*「おいしいね!」って共有しようね!
にょだ さん
初対面はBBQ
恋人と付き合い、この人と長く一緒にいることになるのかなあ、と思い始めた20代半ば、実家の屋上でお昼にBBQをする話が持ち上がり、今だ!と思い、その日に恋人を両親に紹介しようと決めました。恋人は事の重大さを意識しているのかいないのか、「いいよ〜BBQいいね〜」と緩い反応。両親は「分かりました たくさんお肉を準備しておきます」とテキストだけではわからない反応。そしていざ当日、恋人も両親も自然な感じで始まるBBQ。あれ、私だけがドキドキしていたのかな…?と思うほど自然に進行し、順調に胃のなかに収められていく食材たち。お酒も入って、「まあもういいか〜」という気分になった頃、ソファが目に入り、私は酔いもあいまって、眠りの底に……。気づくと、ソファの隣で、恋人の寝顔。私たちは二人、実家の巨大なソファでぐうぐう眠っていたようです。自分のことはさておいて、「この人!彼女の実家に来ておきながら、眠ってる?!」と驚きましたが、気持ちよさそうにまだ眠る恋人と、屋上でまだお酒を飲み続けていた両親。自然体こそ人生の秘訣なのかもしれない、と考え直し、また目を瞑っていると、降りてきた父がふわっと私たちにブランケットをかけてくれるのが分かりました。
ふじもと さん
夜道の焼き鳥
高校生の頃、よくお泊まりにくる友だちがいて、お風呂にも入った後、夜食に駅前の焼き鳥を買いに行っていました。うちのマンションから駅前まではだいたい10分くらい、駅前のちょっと年季が入ったお店で好きなだけ焼き鳥を買って、それを食べながらまたマンションまで帰る。寄り道したり、わざとゆっくり歩いたりしながら、焼き鳥を食べ歩きする帰り道はちょっとお行儀が良くなくて、なんだかいい気持ちでした。仲は良かったしなんでも話すような友だちだったけれど、家の中じゃ話せないし、向き合っていると話せない、そういうことがあったんだよな〜と思います。ああいう夜は大人になってからは取り戻しづらくて、たまにすごく懐かしいです。
月の番人 さん
ほたて缶の高校生パスタ
高校生の頃、友だちがうちに遊びにきていたときのこと。お腹が空いたけれど、お菓子が何もなくて、家を出るのも面倒……。料理上手な友だちが「なにか作ろう」と言い出して、シンク下を一緒にガサゴソ。するとパスタの乾麺とほたて缶を2つ発見!「これなら作れる。ほたてパスタにしよう」とキラキラした目で言い出し、手際よく、ほたての旨みたっぷりパスタをつくってくれました(私は盛り上げ担当)。できたパスタはとっても美味しくて、こんなものがお家で…?!と驚くほど。二人で何度も「おいしいね」と言いながら食べ切りました。その後、友だちはそのほたてパスタの作り方を教えてくれた叔母さんに「ほたて缶をまるまる使ったらそれは美味しくなるよ」と言われたそうですが、ほたて缶の力だけではない美味しさがあったんだと思います。その頃から10年経った今でも、ほたて缶を見るたびに「ほたてパスタ作ろうかな…?」と思いますが、今作ってもあの美味しさは越えられないんだろうなぁと思ったり、そして、ほたて缶の価格に怖気付いて、そっと次のコーナーに向かっています。
ちりこ さん

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酒饅頭屋の弟子入り
地元にはあまり名物と呼ばれるものがないが、酒饅頭は郷土料理として親しまれている。 中学の自由研究で、テーマに困って、酒饅頭を研究してみたことがある。 地元の有名な酒饅頭屋さんのおばちゃんに頼み込んで、弟子入りをして学ばせてもらった。 酒饅頭には、麹菌が大事で、先祖代々酒饅頭づくりをする湿度の高い建物の至るところに菌が住んでいるらしい。 おばちゃんがつくってくれた出来立ての饅頭は本当においしい。
サム さん
あぁ、我が故郷の味わらびもち
僕が小さいときからきなこをかけて食べていたわらびもち。量が多くて激安。我が家のおやつは常にこれだった。でも、大人になってから兵庫県を出るとまったく店に置いていなくて焦った。その事実に気づいてからは、兵庫に戻るたびに大量に買って、あのすきとおったプルプル食感のもちに舌鼓を打っている。
高田 さん
毎年一度のすき焼きパーティ
毎年、年末年始の帰省を楽しみにしている。 我が家の1月1日はすき焼きパーティが開催される。 年に一度、元旦だけのすき焼き。 それも霜降りな高級肉だ。おかげさまで毎年最高な1年のスタートを切れる。 時は経ち、それぞれが家族を持ち、別々で元旦を過ごすことも多くなった。その中で、家族全員が揃ってのすき焼きはなくなってしまった。 でも、みんな、すき焼きが食べたい。 そんな食い意地から、1月2日、1月3日と、それぞれの家族と両親で、2daysのすき焼きパーティが行われる風習となった。 今は、両親の胃もたれだけが気になっている。
ふるたろ さん
田中角栄も食べたしょうゆドバドバ鰻重
私は学歴コンプレックスがあった。小中と成績はよかったが、生まれが貧しく、高校への進学が認められなかった。「勉強で人生を逆転しよう」と考えていた当時の私にとって、それは人生を奪われるほど辛い出来事だった。中学を卒業してすぐ、私は肉体労働を始めた。苦しい仕事だった。そんな辛い日々を支えてくれたのが、私と同じように学歴を持たず、成功した今太閤・田中角栄の存在である。給料日には、私は必ず背伸びをして、角栄が好きだった鰻を食べた。醤油が好きだった彼のように、ドバドバ醤油をかけてエネルギーを補給し、辛い仕事を続けた。私の勉強への思いは冷めることはなかった。5年仕事を続けた私は、仕事をするかたわら勉強を続け、20歳で通信制高校に入った。卒業してからは、東京の大学にも入って7年かけて卒業した。学び舎での勉強の日々は、私にとっては何よりも嬉しかった。日々怒号が飛び交う、命の危険のある職場で働いていた自分にとっては鮮烈で、喜びを毎日噛み締めながら学校に通った。大学を出るのに時間がかかったのは起業したからだ。忙しい日々を送る中でたくさん失敗もしたが、一つのビジネスが当たり、私は夢にまでみた大金持ちになった。私は自身の苦学と成功によって、学歴コンプレックスを克服した。40代になった私は今、10代のときに食べた鰻を変わらず、好物として食べ続けている。行きつけは、もちろん、私が尊敬する田中角栄がよく通っていたと言われている店だ。今日も私は、昼食に、角栄が愛した鰻屋で、彼が愛したように鰻重にたっぷり醤油をかけて食べている。辛い日々から這いあがろうとした10代の、青春の蹉跌を思い出しながら。
中田栄角 さん
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ナイフとフォークの使い方
大学生になって、地方から東京に出てきた僕は、東京に馴染むために頑張った。標準語を身につけたし、サークル活動も頑張った。でも、一個だけ大きな失敗をして、ずっと心のどこかに刺さっていたことがある。同じ大学で初めて彼女ができた僕は、明らかに洗練された所作を見せる彼女に引け目を感じていた。ずっと彼女についていこうと気張っていた僕の心が折れたのが食事のとき。頑張ってお金を稼ぎ、いい店でステーキを一緒に食べた。すると彼女が言う。「ナイフとフォーク、こうやって持つんだよ」 何気ない一言だったが自分が田舎者だと言われた気がしてショックだった。それから別れを切り出して、10年彼女がいなかった。ナイフとフォークを使う食事に行く機会もなかった。社会に出て数年経ち、久しぶりに彼女ができた。仕事で会い、同郷ということで話が盛り上がったのだ。いい店を予約して、食事をすることになった。10年ぶりのナイフとフォーク。意識はしていたものの、付け焼き刃だから持ち方はたぶん10年前とそんなに変わっていない。バレバレだった。でもそのぎこちない食器の使い方をみて、彼女は自分の食べ方を見せた。僕とそっくりだった。「安心した。テーブルマナーとか教わったことないからわからないよね。」背伸びして付き合うよりも、自然体の自分を好きでいてくれる彼女と、もう少ししたら僕は結婚するだろう。
ライトニング さん
年末年始の寿司
東京から帰ってきたら、実家に豪勢な寿司が並んでいた。近隣に海がない関東のお寿司は美味しいが、ネタが小さくて割高だと感じる。でも、海に面した地元だと、安くて大きな身の寿司がたくさん食べられる。これこれ!食卓に並んだプリップリのブリに舌鼓を打つ。歯応えがあるのに、口の中でとろける。東京価格だと10万円くらい払ってもいいけど、驚くほど安くでこんなご馳走を味わえる。こんな美味しいお寿司を小さいときからたくさん食べさせてくれた地元と、両親に感謝したい。
寿司五郎 さん
いくつでも食べたらいいよ
私は小さい頃、母方のおばあちゃんっ子で、兄弟は父方のおじいちゃんが大好きでした。だから夏休みや冬休みは兄弟とバラバラに、私は遠方のおばあちゃん家に預けられて一人っ子みたいな気分。その日々は、ずっと甘えてもいい、私も東京から離れて、ぐーっとのびのびできるような時間でした。料理上手なおばあちゃんはいつも好きなものをすぐにつくってくれたけれど、お寿司だけは決まったお店があり、お寿司が食べたい日はそのお店に二人で手を繋いで行きました。そこで「好きなものをいくつでも買って帰ろうね」と言われて、私は大好きな干瓢巻きといなり寿司をお腹いっぱい食べて……。おばあちゃんのやさしい声音を今でもよく覚えています。好きなものを好きな分だけ食べていい、大好きなおばあちゃんがくれる夢のような時間でした。
リラ さん
初対面はBBQ
恋人と付き合い、この人と長く一緒にいることになるのかなあ、と思い始めた20代半ば、実家の屋上でお昼にBBQをする話が持ち上がり、今だ!と思い、その日に恋人を両親に紹介しようと決めました。恋人は事の重大さを意識しているのかいないのか、「いいよ〜BBQいいね〜」と緩い反応。両親は「分かりました たくさんお肉を準備しておきます」とテキストだけではわからない反応。そしていざ当日、恋人も両親も自然な感じで始まるBBQ。あれ、私だけがドキドキしていたのかな…?と思うほど自然に進行し、順調に胃のなかに収められていく食材たち。お酒も入って、「まあもういいか〜」という気分になった頃、ソファが目に入り、私は酔いもあいまって、眠りの底に……。気づくと、ソファの隣で、恋人の寝顔。私たちは二人、実家の巨大なソファでぐうぐう眠っていたようです。自分のことはさておいて、「この人!彼女の実家に来ておきながら、眠ってる?!」と驚きましたが、気持ちよさそうにまだ眠る恋人と、屋上でまだお酒を飲み続けていた両親。自然体こそ人生の秘訣なのかもしれない、と考え直し、また目を瞑っていると、降りてきた父がふわっと私たちにブランケットをかけてくれるのが分かりました。
ふじもと さん